IMG_8570_タイトル2-4

サンバと自由律俳句

サンバと聞いて何を連想しますか?「マツケン」「浅草」「ボインちゃん」どれも正解。でももしここで「バイーア」を思い浮かべる方がいらしたら、その方は大正解。今日のエッセイはそのバイーアから始まります。

バイーアはブラジル北東部の海に面した港。かつては奴隷貿易でアフリカから連れてこられた黒人が上陸する場所でした。前回のエッセイを読んでくださった方は「ははーん。バイーアでもゴスペルが歌われたのね」と思われるかもしれません。が、残念。バイーアで奏でられたのはサンバです。

サンバは、ゴスペルのように白人が黒人に押し付けたものではなく、アフリカの宗教的民族舞曲とヨーロッパの舞曲のコラボです。ではなぜバイーアの地でこのようなコラボが可能だったかというと、ブラジルのポルトガル人はアメリカのイギリス人よりも黒人に慣れていたため、黒人を恐れる気持ちが弱く、黒人独自の宗教や音楽を禁止しなかったんですね。その結果、アフリカとポルトガルの文化が融合し、サンバが育ったというわけです。

この「文化の融合」という意味において、サンバと自由律俳句は似ているような気がします。自由律俳句は、皆様ご存知の通り、文字数や季語にこだわらない俳句です。「咳をしても一人(尾崎放哉)」はその代表例で、ご存知の方も多いことでしょう。「自由律俳句って何だろう」と考える時、私には「俳諧とツイートが融合した文芸」のように思えるのですが、いかがでしょう。全然違いますか?違っていたらコメント欄で優しく教えて下さいね。

ここで、私の詠んだ自由律俳句をご紹介します。写真は家の近所で撮影した新幹線の線路です。


さて、文学史において、古典的な俳句と自由律俳句は激しい火花を散らしたこともあるようです。恐れ多いのでサラッと触れますが、正岡子規のお弟子さんのツー・トップが高浜虚子と河東碧梧桐であり、前者が定型を重んじ、後者が自由律を提唱しました。この二つの流れは今もアマゾン川の黒い水と白い水のように同居しながらも混ざり合うことなく、それぞれの美しさを保っているようです。

では「お前はどっちなんだ」と聞かれたらどうしましょう。答えは決まっています。どちらも好きです。読む分には古典的な俳句も新傾向的な俳句もどちらも好き。だってどちらであっても面白いものは面白いじゃないですか。

でも、自分が詠むとなると、定型で季語を入れた古典的な俳句を意識しています。なぜかというと、私の場合、そもそも感覚がフワフワしているので「器」がないと収まらない気がするからです。

長文になってきたので今日はこの辺で。次回は5/19(時間は未定)。「器」から繋げて、生け花と俳句について書いてみます。どうぞお楽しみに。

【オマケ:バイーア地方の音楽をご紹介】

本文に出てくるバイーアの音楽をご紹介します。
Simone Moreno、ホットでクール、かっこいいですよ♪
https://www.youtube.com/watch?v=6UgINwxGZfU


この記事が参加している募集