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わかよたれそ つねならむ

モノも人も情報も溢れている。常にあらゆる物事が流動する中で、多少の違和感や不快感をいちいち気に留めていては、その流れにおいていかれてしまうどころか周りの人間の足を引っ張ってしまう。留まっているだけであることに気が付かず、好き勝手に悪口を言えていた頃は幸せだったのかもしれない。トレンドに敏感になりたがる人間が溢れる時代だからこそ、「鈍感さ」がこの世界を生きていく上での必須スキルになり得ている。


私は私で

基本的に主観でしか物事を見れない。客観的に見ると、というそれも、自分がもし他人だったとして、という前提条件の下で見れば決して本当に客観視できているとは思えないものばかりだ。人はいつも何かを見たり、何かを発信したりする時に自分の経験や立場に基づくバイアスが掛かっている。それを理解せず、あらゆる立場の人間の気持ちを分かったつもりになって達観するのは愚かだと私はずっと思ってきたが、インターネットの世界はそんな人間で溢れている。

私は私であり、私以外のものには染まらない。

本当はそうありたい。でもそうもいかない。人と生きる煩わしさに比例して必ずそこにいる、人と生きたい孤独と、知らず知らずのうちにごく限られた世界しか見えなくなってしまう無意識の閉鎖が私をただの凡人にする。それがいけないことかと言われたら、いけないことではないけれど、それでも私は小さな世界の中で自分を見失いそうになる。


壊れた

そうして私はまた静かに何かに蓋をしたつもりになっていた。目をつぶれば、目の前の景色が見えなくなるのは当たり前のことだった。そうしてある日、私の中で何かが氾濫した。

泣いて、泣いて、ぶつけた気持ちを受け止めてくれる人がいたことが救いだと心から思う。受け止めてくれることはわかっていた。それでもその負担を負わせることさえ、今の私ごときに許されることではないと思っていた。何に謝っていたのかは分からないけれど、ごめんなさいという気持ちと、もう疲れたという気持ちがとめどなく溢れてきて、あの時の私は完全にパニックを起こしていたと思う。

私の中の何かが決壊して氾濫してすぐは、罪悪感と虚無感に襲われて何もする気が起きなかった。まるで赤ちゃんに戻ってしまったかのように、死ぬほど泣いて、泣いて、泣き疲れて、そうして久しぶりにしっかりと眠りについた。それでも1時間後には微睡の中で意識が戻ってきて、ひたすらに頭が痛くて、死にたいなと思いながら私はもう一度目を瞑った。


気付き

時計を確認できるくらいに目が覚めたのは、私の決壊から20時間ほど経ってからだった。体のダルさも、頭の痛さも、目を閉じる前に何があったか忘れさせないかのように私の体を執拗に攻撃してくる。それでもやっぱりスッキリしている部分もあって、考えて考えて、お風呂に入って少し寝て、を繰り返した。

そのうちだんだんと、落ち着いて自分を見ることができるようになった時、ふと「私はなんで私のままでいることにこだわっているんだろう」と疑問に思った。私が思う「私のままで」の元となる、不変の私なんて、そもそも存在しているのか。

自分が自分じゃなくなってしまうような感覚が怖かった。それでも、あれだけ壊れても、私は私を生きている。私はどんなに変わっても私なのに、私が変えたくなかった私の実態はどこにあるんだろう。

環境や周りの人間が変われば、自分自身も否応無しに変わっていく

そんな当たり前のことが、気がついたら見えなくなってしまっていた。変わりたくなかった、変えたくなかった私はきっと、環境の変化に適応できていなかっただけで、動いていたのは本質的な私の核ではなく、私の周りの世界だったのだ。


いろはにほへと

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ

さまざまな起源があるとされている「いろはにほへと」の2文目、『わかよたれそ つねならむ』は、「この世は誰にとっても常に変わらないということはない」という意味でまさに今回私が感じたことの真意をついたものである。

自分だけが自分を見失ってしまうかのように感じている瞬間も、変化の中を生きているのは私だけでなく周りも同じで、むしろ柔軟にあることは己を曲げることとは異なることであると気付いた。すっかりマインドが変わったかと言われれば、私はまだ焦ってしまう。自分が置いていかれているような気持ちになってしまう。それでも、私ができることは目の前のことを着々と遂行することと、自分の中で自分を評価してあげられるように少しずつあらゆるもののクオリティを上げていくこと。結果を出すことに囚われなくて良い、周りと比べる必要もない。私は私のやり方で、私なりの答えを探していけばいいのだ。


1人で生きていくには、私はまだ弱すぎる。
人と生きるには、私は臆病なのかもしれない。
それでも、私が私のペースで良いと、その歩みをサポートしてくれる人が1人でもいるその事実だけで、私はきっと変わることができる。

私は私がワクワクする未来を、私以外の人間とつくりたい。

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