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俳句マガジン 「ランタン」

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小生の処女句「ランタンはゆつくり灯る秋の雨」より。これから俳句を始める人や、句作に悩んでしまった人たちの、道を少しでも照らせたらと思う。
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#読書記録

【句集紹介】山のこゑ 飯田龍太句集を読んで

・紹介  飯田龍太の句は優しい。家族がいて、自然がある。俳人飯田蛇笏の子として生まれ、自身も俳人として大成した。  兄弟を早くして亡くし、自身も患い、その中で家を援け、農業にいそしむ。龍太の句を見るといつも「泰然自若」という言葉を思い出す。  「無理はしなさんな」。龍太の声が俳句から聞こえてくる。その肉声を小生は知らないが、いつも暖かい。 ・厳選10句・作者略歴(百科事典マイペディアより)

【句作のコツは、まとめず、散らすこと】俳句的を読んで(2章-10のまとめ)

 ずいぶん間が開いてしまったが、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は2章10項「放つ」についてのまとめである。そしてこれで2章のまとめ終了。ようやく半分。これだけ一冊に向き合ったのは初めてかもしれない。外山先生には直接お話を伺ってみたかった。  毎度おなじみの映画監督エイゼンシュタインのモンタージュ論が紹介されている。俳句と映画は近いものがある。今後はそのことを意識しながら映画鑑賞をしてみようと思う。 ・日本語非論理説(10項P95) 

【句集紹介】現代俳句文庫 茨木和生句集を読んで

・紹介 最近、奇をてらった言葉遣いの俳句に疑問を感じている自分がいる。初めのうちは「おお、こんな言葉も俳句になるのか!」「その視点の俳句は面白い!」などと感動した句たちが、同じ構文をぐるぐる回しただけの、ただの言葉遊びの羅列にしか見えなくなってきた。  もちろん、面白く感動するような、トリッキーな句もたくさんある。しかし、小生がかつて「俳句ってスゲー」と感動したものとは何かが決定的に違うような気がする。  そのもやもやしたものの正体は、今回紹介する茨木和生氏の句集を読んで

【句集紹介】聖樹 菊池洋勝句集を読んで

・紹介 小生が管理人をする「房州オンライン句会」に参加いただいている俳人菊池洋勝氏の句集紹介である。  いつもなら、句集についての紹介文や感想をここでつらつらと語るのだが、今回は短文でご容赦願いたい。洋勝氏の句を前に、小生の文章力では上っ面の薄っぺらいことしか書けそうにない。 呼吸器と同じコンセントに聖樹 菊池洋勝  この句は小生が俳句を初めて間もない頃、北大路翼氏編の「アウトロー俳句」にて知った氏の代表句だ。  言わずもがな、この句はまさしく「今を全力で生きている人

【句集紹介】未来一滴 乾佐伎句集を読んで

・紹介  俳句に比べて、短歌が若い人たちの間でポピュラーな理由の一つには、俵万智の「サラダ記念日」があると思っている。  「サラダ記念日」は市井の人々が短歌に感じていた、得体のしれない小難しさを破壊し尽くした。思ったことをあるがままに31音に託せばいい。短歌はそれでいいのだということを、あの恋に溢れた口語調の歌は示した。  それじゃあ、俳句はどうなのとなる。俳句にも優れた若い俳人が沢山いて、素晴らしい句集をたくさん出している。俳句愛好家たる小生はそれらの句を楽しんでいるが

【句集紹介】夕ごころ 芥川龍之介句集を読んで

・紹介 あまり知られていないが、芥川龍之介は俳句もすごい。 そして驚くことに、完成度はあまりにも高い。たった17音の俳句の中にも、芥川龍之介の文学らしさがしっかり刻み込まれている。  例えば、 死にたれど猶汗疹ある鬢の際 芥川龍之介  意味としては「死んでもなお、頭の側面の髪の際にあせもがあることだ」となろうが、どことなく『羅生門』にでてくる老婆を想起させられる。 水洟や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介  水洟は「みずはな」で鼻水のこと。哀愁溢れるこの句は処

【句集紹介】春のお辞儀 長嶋有句集を読んで

・紹介 長嶋有の「俳句は入門できる」が面白かったので、氏の句集を読んでみた。「俳句は入門できる」については、下記記事をご一読いただきたい。  この句集。とにかく「なんじゃこりゃ?」といった感想が常に付きまとう、珍しいタイプの句集だった。 例えば、 朝ハンバーグ昼ハンバーグ昼花火 長嶋有  意味不明である。朝も昼もハンバーグって何があったんだろうか。しかも季語に花火があるが、世にも珍しい昼花火である。これは俳句なんだろうか、川柳なんだろうか、ツイートなんだろうかという考

「俳句なんかやっている場合か!」って時こそ俳句を作ろう。俳句は入門できる(長嶋有著)を読んで

 芥川賞作家にして俳人の長嶋有の新書の紹介である。読了後のアウトプットと合わせて行いたい。  特に面白かったのは 初鮫は片足残しくれにけり 長嶋有  と言う句の紹介だ。安心して欲しい。この句は、フィクションである。「俳句とはわざわざ人が作って成立するものだ」という、至極当然のことに気が付いた著者が、その気付きに感動して句に残したものだという。辞世の句があるように、俳句は「そんな非常時に俳句なんかやっている場合か!」という時にでも、割と平気で詠まれていたりする。それが俳人

【句集紹介】粹座(すいざ) 加藤郁乎句集を読んで

・紹介 読了後思わず拍手をした。この句集で描かれていたのは一人の江戸っ子の半生の物語だった。  タイトルにある通り、この句集は「粹=粋(いき)」をテーマにしている。江戸っ子の粋と言ったら、いなせで、偏屈で頑固と相場が決まっている。本書はそんな気質の主人公の若かりし日から老年へのドラマである。  一例を出すと、例えば嫁さん。江戸っ子は妻のことを褒めない。妻のことを二流呼ばわりしたり。料理に感謝をしなかったり。黙ってついてくればいいとさえいう。本書でもそんな言動が句から読み取

【句集紹介】鶏頭 正岡子規句集を読んで

・紹介 『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』で有名な正岡子規の俳句の紹介である。  ここでは本書の題でもある鶏頭に触れておこう。子規の句で鶏頭と言うと 鶏頭の十四五本もありぬべし が思い出される。後に「鶏頭論争」を巻き起こした句である。ちなみに鶏頭とはこんな花である。 鶏頭(ケイトウ)…夏から秋の季語。ニワトリの鶏冠に似ていることが由来。燃えるような朱色をしていて、庭などに好まれて植えられている。  句の意味としては、「鶏頭が14~15本咲いているに違いない」といった感

【句集紹介】彩 桂信子句集を読んで

・紹介 もう、とにかくすごい。17音でよくぞこれだけ妖しげで、淫靡で、しかしどこか悲しい世界を描き出せるものである。  桂信子の句は「間接照明」のようだ。暖色系の照明に柔らかく照らされ、中心以外の景はぼやける。そしてその光の当たらぬ余白より、仄かに甘美なにおいが漂ってくる。誤解を恐れずに言うと、全男子が一度は夢見る、妖しげな世界が描き出される。  あとがきにおいて「私は幼ないときから、原色よりも間色を好んだ」と言っている。もしかしたら、そういった趣向も、句に反映されていた

【プライドを捨てよ。添削を受けよう】俳句的を読んで(2章-8.9のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は8項「音楽と絵画の間」、9項「けずる」についてのまとめる。  本項では、芸術において如何に添削が大事かが説かれている。後世に残り続けるような本物の芸術表現を目指すのならば、添削は必要不可欠だと、著者はいう。添削は正直怖いものである。小心者の小生は、先生にびしばし赤ペンを入れていただくたびに、胃の辺りがキリキリする。しかし、上手くなりたい一心で、その恐怖に耐える。  「この人は」という先生に

【個性的でない個性的な文章の書き方】俳句的を読んで(2章-5.6.7のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は5項「視点」、6項「よむ?」、7項「点と点」についてのまとめである。  ここで、小生の心に深く刻み込まれている句をご覧いただきたい。 かげろうや目につきまとうわらひ顔 小林一茶  この句は「陽炎(かげろう)」、「付きまとう」、「笑い顔」という語のかたまりで、できた句である。それぞれの言葉を単体で見ると、どちらかと言うと「プラス」の意味合いに感じ取れるものが多い。  しかしこの句が書かれ

【何故俳句に句読点がないのか】俳句的を読んで(2章-4のまとめ)

 引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は4項「点と丸」について、まとめる。  当たり前の話だが、俳句には句読点を使わない。何故かと言われると困る。皆そういうものだと思っている。多分疑問にすら思わない。小生もろくに考えずここまで来た。  しかし俳句をより理解するためには、こういった当たり前を疑って自分なりに考えてみることは必要だろう。外山先生からは学んでばかりである。 ・句読点には相手への不信がひそむ(2項P68) 日本人は句読