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承認欲求との向き合い方

男性ホルモンが強ければ強いほど、競争心が強く、承認欲求も強い。と言うメンタリスト。
顔面の工事に数百万の資金を投じ、社会的地位である顔面の美麗さを手に入れたと思っている港区女子。
男女とかそういう問題ではなく、生物である以上承認欲求たる厄介な存在は誰しもが胸に抱きながら生活している

この厄介者との折り合いが一旦自分の中でついたので、つらつらと記録していきたい。

学生時代、多くの人と交流する時期を2~3年過ごした。
社会人になり、ここ1年は人との接触のない日々を過ごしてきた。
「コロナが」とか「上京が」とかもわずかながら要因ではあるが、大きくは
「一級建築士取得」という目標に向かって時間を費やし、結果的に人との交流が少なくなったというだけだった。

この試験のハードルは予想以上に高く、昨年取得した宅建試験の10倍は勉強していて、未だに合格ラインすれすれである。

何よりのハードルは、「仕事をしながら」ということ。自分が勉強に時間を費やすことで人に迷惑がかかることも多々あった。
ろくに仕事も覚えないまま、資格試験の勉強をすることで精神的に参ることもあったし、遊びに行く余裕がなくなり、そもそも「遊び」とは何かを忘れてしまった。大学から一緒に上京した友人は鬱の診断書を片手に今日から休職している。

とまぁ建築士試験の愚痴はいいとして、このような状況でひとつ大きな精神的な学びがあった。それは、人が大人になるということは、
「子供時代の承認欲求を捨てること」だということである。

日本の教育制度は、優を伸ばさず、劣を克服する。しかし一つおかしいのは克服した劣は役には立たず、褒められもしないという点だ。
よって褒められるためには劣を優にする必要がある。これには多くのエネルギーを要することは言うまでもない。
そんな中で育まれた日本なりの「承認欲求」とは、ものすごくコスパの悪い負の産物だといえるだろう。

ただこれは教育の話で、大人になってからは新たなステージに移っていかなければならない。子どもの頃に抱いていたこのような負の産物をいつまでたっても持ち続けていることはそりゃあ、負の遺産となってしまう。

ではどのようにすれば「承認欲求」を捨てれるのかというと、申し訳ないがこればかりは自分の頭で考えるしかない。
このタイトルにヒットしている時点で「明確な何か」を求めようとしているのは百も承知だが、ひとつだけアドバイスできるとすれば、
「嫌われる勇気」という名著を一読してみてはどうだろうか。
きっと多くの人が一度は読んだことがあるだろうが、この本のすごいところは読むときの自分の体調や状況にあわせて、向こうから声色をかえてくれるところである。ぜひ体験していただきたい。

どこかしらのタイミングかで、僕らは「大人」になってゆく。
私自身、「一級建築士」という肩書きのほしさにはじめた部分もあるが、日々の自己の成長実感を得られることが一番の幸福につながっている。

この「承認欲求」→「自己実現の欲求」へシフトできたことは本当に大きな人生の一歩であった。




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