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余波。

何となく。
ここなら誰もわたしを知らないし、いいかなって。

自分の内側を少しでも整理したいから。


した人は忘れても案外、残るよね。
そんな話。


性格は変わらないなんて言うけど、
生まれ持った性格はあれど、
育つ環境やあるきっかけ、事柄、そういったものにも
良くも悪くも形作られていくものだと思う。

よく言われる言葉。

人当たりがいいね。
優しい。
穏やか。
いっしょだと癒される。楽しい。

そうだよ。だってそういうふうにしてるもん。
だからその言葉が返ってくるのは当たり前。

大人になったからその場の空気を読むとか、
そんなんじゃない。

ソレ、ワタシジャナイヨ。

って思ってる。心の中で。

本当に本当に素を見せられる人には、
そんなこと言われた記憶はない。たぶん。


なんでって。
当たり障りなく穏やかに生きたいから。
適度に距離を取りたいから。
内側に入られたくないから。

嫌われたくないから。

そう。嫌われたくないから。
これが一番大きい。

小学校4年生からバレーボール部に所属していた。
同級生はいない。誘ったけど、すぐ辞めちゃった。

上級生ばかり。

みんな仲良くしてくれた。

中学にあがり、田舎の小さな学校なので、
同じ学校の人は私立受験しない限り、同じ中学へ。

中学でもバレーボール部に入っていた。
上級生は全員、小学生の頃と変わらず。

でも3年生が抜けてから少し経つと
空気が変わった。感覚だから言い切れないけど。

なんか上級生の視線を感じる。
なんかこっち見て、というか私を見て
動きを真似されているような。

分かる人には分かると思う。

あの目。
からかいと少しの悪意。

本当は私じゃなかったのかもしれない。
真相は闇の中。

だけど、私は感じた。強く、はっきりと。

直接的ではないけど、いじめられてる。
そこまでじゃないにしろ、雑に扱われている。
悪意や空気に私は敏感なほうだと思う。
あの目。こっちを見る目。

何かが違う。

わたし何もしてないよ。思いつく限りは。
なんで。小学生の頃は仲良かったのに。
いっぱいおしゃべりしたのに。
兄弟にお姉さんがいないから嬉しかったのに。

こわい。逃げたい。息がつまる。帰りたい。
この場から一目散に逃げ出してしまいたい。
誰に相談すればいい。
でも本当に私に対するいじめなの?分からない。
でもこの空気、この空間には耐えられない。

一学期の終わり頃、もう我慢できなくて
顧問の先生にも、親にも嘘をついて部活をサボった。

その数日後。
とある理由で友達が入ってた部活を辞めて、
違う部活に入ることとなった。
その友達は、幼稚園からの仲。

何となくふんわり、どうやって辞めたの?
と聞いた。
一度入った部活を抜けるのは、うちの学校では
なかなかにハードルが高かったのだ。
今でも、その方針は理解できないのだけれど。

同学年の隣のクラスの歳が若い、
女の先生に相談して辞めたとのこと。

悩み事やいじめ相談にも慣れているというような
そんなことも付け加えていた。

とりあえずこの先生に。
藁にもすがる思いで、先生を捕まえ
放課後、泣きながらわたしの感じてきたこと、
辛くしんどい気持ち、部活を辞めたいことを話した。

優しく聞いてくれて、
でも担任の先生とご両親にも、しんどいけどお伝えしないとね。と。
担任の先生と顧問の先生にはとりあえず、
わたしがお話しするからと。
すごく親身になってもらった。

そして、夏休み。
父に震えながら打ち明けた。

そのあとの記憶はもやがかかったように
とぎれとぎれの薄い映像でしか、
わたしのなかに残っていない。

ただひとつ覚えているのは、
校内放送でわたしと上級生が空き教室に呼び出され、
わたしと顧問の向かいに上級生と副顧問が座る
へんてこな席が作られていた。

わたしは自分が被告なのか…..?と
回らない頭で考えていた。
まるで尋問されているよう。

構図がおかしい。不信感。
元々、学校なんか嫌いだったけど
余計にだいっきらいになった気がする。

上級生の視線が痛かった。
針の筵とはこのことか……..
現実か非現実か。

よく分からないまま会は終わった。

でも、これで辞めることはできる。。
それだけが救いだった。

結局、その先輩たちとは関わることはなく、
その後も何もなく終わった。
拍子抜け感。

あっちもそこまでのつもりは無かったのだろう。

でもわたしには、残っている。
人の目。
急に変わる人の目。


もうこんな思いはしたくない。

今のわたしの中にもまだまだ消えない。
記憶は薄れてぼやけても、
消えない。消えない。消えない。

変わった。その経験があるからだと思う。
思うというか、そう。

八方美人。ニコニコ笑顔。
人の良さそうな顔と雰囲気。
作ってる。キラワレナイヨウニ。
距離も間違えないよ。
信頼できる家族と5人の友達以外には
わたしを出すことはないんだろう。

他の人には
人のいい人。
頼まれたら断れない、大丈夫ですって笑顔で言う人。

でも大人になって
友達といるより、職場の人たちとの関わりがほとんど。

だから。

自分が誰だか分からなくなることがあった。

たまに友達と会って感覚を取り戻す。

そんなことを数年続けていた。


もう何年、無理していたのかな。
もう何年、自分の心を蔑ろにして、
他人の目を優先していたのかな。

いつも他人の目、他人から見える自分や評価なんか
を考えて、生きていた。と思う。


昨年、7月。救急車に運ばれる前。
数ヶ月前から、涙が急に出てくることが多々あった。

それに、異動後の職場内は
人間関係はそこそこ良いけど、
なんか息の詰まる職場だった。

息ができない。
自分が出せない。

自分を出して嫌われるのが怖い。

あの目が怖い。

急に分からないうちに嫌われるのが怖い。


そんな、わたしになっていた。

だから。
する側は、ほんのささいな気持ちでも。
された側は、そのあともずっと心に、気づかなくても潜在的な行動を変えられている。
残ってる。心に澱がたまる。しこり。

そのあとも、苦しみや生きづらさは続いていく。
何かしらを変えられることで、
ある日、環境と共鳴し浮きでるのだ。

些細なことでも、
その人のその後に影響を与えるのだ。

そう、思う。わたしはね。

こんなこと、誰にも言ったことはないけれど、
他人軸を変えたいから。
5月から始まるカウンセリング前に整理したかった。

公認心理士さんにも話したかったから。

余波はどこまで続くのだろう。


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