自己紹介 #3 うつ病は突然に〜交通事故と失ったもの〜
まだ特に記事でなかったが、私がうつ病を発症した直接のきっかけは、交通事故だ。と、今もそうは思う。
もう病気との付き合いが20年近くになるので、前記事のごく短い社会人生活の手前でこの事故に遭っている。
在宅介護も突然に、なのだが、少し時間を前後させて、うつ病との出会いを書くことにする。
反対側の歩道で待ってくれていた友人たちの目の前で、青信号を歩いて渡っている私を自動車が跳ねた。
友人たちも目撃し騒動に巻き込んだので、彼らにもそれなりのトラウマが残っただろう。
その後の私の転落ぶりも見ているから尚のこと。
もう彼らとの直接の繋がりはないのだが。
車に跳ねられ、ボンネットにも当たって転がったそうだが、数秒後むくりと起き上がった私の第一声は
私、なにか悪いことした?
だった。今でも鮮明に覚えている。
自分で救急車を呼び頭部CTを撮影、異常なしとのこと、全身打撲のみでそのまま未明に病院を後にした。
警察も呼んだが、当時の若くて未熟な私は私を跳ねた人を罰とすることをしなかった。
とても動揺していたし、それが優しさやある種の正義だと勘違いしたのかもしれない。
そこから途端に食欲がなくなり、登校も意思に反してどんどんできなくなった。
私は当時、これから女が長く働くには、資格と手に職だとばかりに美容師を目指して、毎日授業は勿論、課外イベントや各種コンテスト、サークルの立ち上げなど、同志のような仲間とそれは楽しく学校に通っていたのに。
講師や助手の先生たちとも打ち解け、本当に心の底から毎日が楽しかったのに、だ。
何故かベッドからも起きられなかった。
これは更に数年後にわかるのだが、両手の握力が5kg以下に落ちていた。
事故の後遺症はすぐにはわからないを身をもって知った。他に見当たることがない。
指のピンチ力やその他の複雑な指や手の筋肉の動きその他でだいぶ補っていたようだが、確かにプルトップや紙パックからペットボトル優位文化に移行したのはキツかった覚えがある。
よく考えたら、みんなは普通に開けていたな。
割り箸もきちんと割れなくなっていた。
今もペットボトルは道具を使わないと開けられないし、硬めのスプレーは噴出させられない。
そして、精神病を患った者は、お客さんの前で鋏という刃物を扱う生業の美容師にはなれない。
至極当然だ。スウィーニー・トッドじゃあるまいし。
法律上、資格取得要件に値しなくなった。
すごく
虚しくなった。
当時の仲間や講師や教員も、そのうちよくなるよ、数年くらいスタートが遅れても大丈夫だよ!と励ましてくれたが、今20年近く経っても美容師の資格も取れそうもない。
まだ私はあれから変わらず精神疾患患者だ。
変わらず、いや、当時より若さもなくし、症状も今悪化している。
またしても、文章に起こして感じるのは悔しいという想いだ。
自己紹介しておいて毎度負の感情を憶えるなんて、自分でも心底面倒だと思っている。
人にはもっている人ともっていない人という2種類がいるときく。私は結果的に前者になれるのか、克服しました側の人になれるのか。
noteを始めて思ったことを今まできちんと伝えていなかった。
読んでくれて、どうもありがとう。
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