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育児日記。ついにこのときが。最後の保育園の登園日に思い出す、息子の成長と私の仕事に対する気持ちの変化。

今日は上の息子の保育園の登園最終日。
さみしいのか、朝から甘えてきた。
弟と膝の取り合いになり、ふたりをギューした。

歩き、バス、チャリ、どれで行きたいか聞いたらチャリとのことで、胸を張って風を切って最後のチャリでの送りをした。

泣きそうなので、無心で3333字で6年間を振り返る。


1年目。0歳クラス。

一番最初の日は、まだ5ヶ月で預けられてもあまりわかっていない様子だった。すぐに風邪でお休みが続き、胃腸炎で入院。ついで夫も体調を崩し入院。私の職場復帰とともに我が家が大揺れの大惨事だった。良妻賢母の方なら、この時点でもう仕事を辞めていたかもしれない。

その後も結膜炎やRSなど病気をもらってきて、落ち着いて仕事ができたのは、息子が朝まで寝るようになり体調も落ち着いた頃、夏を過ぎてからだったように思う。とはいえ、夏はおむつかぶれで皮膚科に通い詰めだし、秋からまた風邪でなんらかのお医者さんに常に通う。

フルタイムで復帰したけどあまりに家での時間の余裕のなさに時短勤務に切り替えた。

仕事は量より質で勝負になったものの残業は全て子どもが寝てから。気合いで乗り越えた。時給換算で割りの悪い仕事をしていた時期だと思う。

夫婦ともガッツリ働いた翌年度だったので保育料が高いわ、社会保険料減の効果も薄く時短で手取りは減るわ、経済的には、むなしさあふれる一年だった。

息子はしかし、保育園でたくさんの経験をさせてもらい、ただただ、親は息子が保育園を楽しむ姿に癒された。

保育園で行われる様々な季節の行事では、ちょっとしたお土産をもらえて家でも行事を楽しめたし、こどもの日や誕生日のお祝いは家より豪華なくらいだった。バラエティ豊かな給食に、「保育園のごはんを私も食べたい。休みの日も保育園のごはんが食べられたらいいのに。」が口癖だった。

保育園は核家族共働き家庭にとって最強のインフラ。今弟がこの保育園に通っている。ありがたや。

2年目。1歳クラス。

危うい0歳児クラスが終わり、少しずつ我が家は落ち着きを取り戻してきた。息子の体調管理もだいぶしやすくなったと思う。職場でも、在宅勤務が普及してきて、ワークライフバランスの最適化が図られた一年だった。

夫の自営業化の恩恵で保育料が下がり、再び子どもの教育資金貯蓄に励むことができた。

2歳の誕生日を迎える頃の息子はもう言葉も話すし、食べられるものも増えて、電車が大好きな男児になっていった。髪の毛がすぐ伸びるのでヘアカットをプロに頼むようになるなど、いよいよ、人間らしさが出てくる。

息子は異様なまでにひらがななどの形に興味を持ち始め、家ではずっとひらがなの積み木で遊んでいた。2歳の誕生日のプレゼントはプラレール。息子はこの後プラレール沼にハマっていく。

3年目。2歳クラス。

息子は保育園で楽しく過ごしていた。お友達もできて、先生にも懐いていた。親も、なんとか家庭と仕事のバランスを見つけて落ち着いてきた。

しかし、落ち着いた日々は次なる課題に飲み込まれる。そろそろ第二子がほしい夫と、そろそろ仕事でギアを上げたい私と、向かいたい方向がぴたりと揃わない日々が続いた。

この頃、ちょうど同じクラスにも第二子(三の人もいたかもしれない)が誕生したり妊娠する事例が目立ってくる。世に言う二人目不妊の我が家。気分が沈むことが多かった。

息子が親や親族が年老いて死んでいくとき、共に支え合えるきょうだいがいたらという思いと、第二子が出来ないと落胆しながら過ごす後ろめたさの間で苦悩した。

週末は息子といつも電車に乗っていた。新しい電車に乗り、路線に乗り、駅に行き、いつも好奇心と充実感でいっぱいだった。音楽教室に通ったり、文字や数字の勉強をして子どもの成長に目を見張るばかりだった。年度末に弱視の治療も始める。

仕事は、楽しくなるばかりでブレーキが効かなくなる。同時に過剰労働と、どっぷり仕事をするとありがちな理不尽なことに振り回される。

今思えば、良妻賢母の方ならこのあたりで仕事を辞めるか働き方や職場を変えるのではないかと思う。子の3歳は濃密だ。

しかし、私は仕事にも慣れ息子も体調を崩さなくなりフルタイムに戻していた。

4年目。年少クラス。

2歳児クラスまでの保育園から、年長までクラスのある保育園に入り直す保活を行った。そして、ここから息子の成長での悩みがポツポツと出てくる。

仕事がオーバーヒートして、運良く新しいポジションに異動した。コロナ禍で完全在宅勤務になり、仕事は穏やかになり、職場の人間関係も快適になり、妊娠発覚。

5年目。年中クラス。

息子の成長を感じることも、不安を感じることも、どちらもあり相変わらずゆさぶられる。ただ、可愛さは増大する一方。渾身の親バカ。下の子が産まれてきたら、親バカが長じて、どうにかなっちゃいそうで怖くなる。

夏にオンラインで励んでいたイギリスの大学のMBAを終えて、産休に入り、生産期に入るとすぐ出産し、怒涛の夏が終わる。

お兄ちゃんになった息子は、しばらくおばさんと保育園に登園。赤ちゃん帰りらしきものもなく、スムーズに4人家族生活に移行した。4歳ってこんなにお兄ちゃんなんだなあ、成長したなあ、と思う。ただ、息子は弟が気になり過ぎて家に篭りがちになり、パパの配慮で幼児教室に入れられてしまう。

6年目。年長クラス。

息子の保育園の集団生活における懸念も解決されたり、されずに残っていたりいろいろだったが、幼児教室では、意外な長所も見せてくれた(もちろん、至らない点も多かった)。
総合的には、息子は、生活面、巧緻性、情緒面など、心配な分野も少しずつ解決していった。

子育てにおいて、様々な人の手を借りて子ども見ることの大切さ、ありがたさを実感する。

最初の育休復帰後の、ドタバタ惨劇が教訓となり、できれば一歳から下の子は保育園に入れたいと思っていたところ、ちょうど、小学校受験をしてみようという流れになり、10月まで乳児を抱えて息子と幼児教室に足繁く通った。

このとき小学校では、それまで以上に子への高度なサポートが必要になると悟る。

無事小学校受験を終え、下の子が一歳になって程なくして育休を終え仕事復帰した。

以前と比べて仕事に対する考え方は決定的に変わった。

来たる小1の壁に備えて、仕事で家庭を危機に晒すような働き方は到底出来ないと腹を括った。勝負に出なければならない時が来ても、できる範囲で戦うしかない。それをわかってサポートしてくれる職場に出会えたことがありがたい。

そのような職場にいなければ、またも、良妻賢母の方なら仕事を辞めているかもしれない。

そして今、大好きな息子へ。

今日で保育園が終わりとは、6年間があっという間で怖い。振り返るとその時々に長くしんどいと感じるときもあったけれど、どんな時も息子だけは変わらずに成長していった。

そんな、息子の前に進んでいく姿に励まされ、勇気づけられてきた。どうしてこうも、子どもは大人の知らないうちにぽんぽんと、大人へと続く階段を登ってしまうのか。

もう目の届かないところへも行くようになるし、親の考えの及ばないようなことを思いつくようにもなっていくのだろう。

イヤイヤ期でも、癇癪を起こしていても、何かに没頭して反応がなくても、息子が可愛くなかったことは一瞬たりともない。ずっとずっと、これからも大好きなのだ。

息子も、まだ、ママ大好きと言ってくれる。一緒にお風呂に入ったり一緒の布団に入ったり
髪を撫でておでこにキスしたり。特に、弟とのコンボは唸るほどにかわいい。

そんな幸せな時間が終わる瞬間は着々と近づいてくる。それがわかっているから、必死で幸せを抱きしめている。

ずっと、息子の寝顔を見るのが私のストレス解消法だった。でも最近、息子の寝顔を見るのが寂しく感じる。

もうこんなにおっきくなっちゃったんだなあ。
もっとゆっくりおっきくなってほしいのに。
願ってもかなわない。

寝顔がいちばん、産まれた頃の顔に近い。
産まれた頃の寝顔からずっと、素顔を見つめて、過去の写真を見つめて、幸せを祈っている。

今日という日はきみの記憶の中の一日になる。

それでも、寝顔だけは私の記憶の中に入れさせてねとお願いしている。

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