子どもに教えられたこと。数え切れないほどの幸せと暮らしている。
ママの幸せ。
これはもうじきまた歳を重ねる上の子、息子の物語。そして、私の物語でもある。
幼い頃、両親が襖の向こうで大声で喧嘩をしているのを聞いて育った。家族4人で乗る車の中で両親が怒鳴り合いになったことも多々あった。
単身赴任サラリーマンと専業主婦。
お金も時間も心の余裕もない男女。
オトナだからって喧嘩は避けられないだろう。
私は長い間、
「お父さんとお母さんは、幸せな、満足のいく人生を歩んでいるのだろうか、私をこの世に生み出したことを悔やんでいるのではないか」 と考えていた。
子どもがいるせいで、つまり、私のせいで、お金と時間と心の余裕がなくなり、幸せじゃないのではないか?私がいなければ、ニコニコ楽しく過ごしていたのかな?私なんて、いない方がいいんだ…。
なぜがそう考えて徹底的に反抗した。
どうせ私のこと嫌いなんでしょ!
そんなふうに怒りをむき出しにした。
しかし、子どもをもうけたのは両親の選択だ。
なぜ、私が、「私のいるせいでお金も時間も無くなっちゃう!お父さんとお母さんが幸せじゃなくなっちゃう!」と心配して、私は大切にされてないなんて恨みを持つ必要があったのか?
矛盾だらけだし、1人で空回りして、あまり頭の良い子じゃなかったんだろう。
そんな小さい頃のバグにより、私は、長い間、もし自分に子どもができたら、「自分が幸せでいたい」と強く願っていた。
しかし、願うまでもなく、子どもは可愛く、私は幸せだった。
もし子どもがいなければあれもこれも叶うのに、なんて思うどころか、子どもたちが好きすぎて子離れができるか不安だ。
もちろん全てが順調とは言わないが、夫とは喧嘩することはそこまではないし、私はあなたたちがいてとても幸せであると直接伝えようとしている。
あれは、下の子の産休中だっただろうか。
上の子、息子とバーガーやポテトを買いに行きテイクアウトしてうちで食べた。
リビングに日差しが差し込んでできた陽だまりに息子と私が包まれていて、息子がキラキラ光って見えた。
「しあわせだなあ」
私はぽつりとつぶやいた。
息子は「しあわせ?」と聞き返した。
私は「しあわせは、ママにとっては、胸がいっぱいでこのままでずっといれたらいいのにな、と思う気持ちだよ」といったようなことを説明した。
同じリビングの陽だまりの中でまだ赤ちゃんだった息子を抱っこした頃があった。寝返りを打つのを見守り、プレイマットで遊び、寝転んで遊び、そして、おっぱいをあげた。
思えば、ずっと私は幸せだった。
誰に言うわけでもなかったけど。
別の日に、また息子とうちでふたりでお昼ご飯を食べた。
デパ地下で、私がお寿司、息子は納豆巻きとおしゃれなお惣菜をチョイスして、蟹の味噌汁をふたりで分けた。それがお昼ご飯だった。息子に選ばせたら完熟につき割引でひとパック900円のプチトマトをカゴに入れたので腰を抜かして帰宅したのを覚えている。
お昼ご飯をまたリビングの陽だまりの中にあるちゃぶ台に並べると、息子が口を開いた。
「ママ、しあわせ?」
私の目には自然と涙がたまり声が震えるのを悟られないようにこらえながら「ママ幸せだよ」と言って微笑んだ。
その後、息子はお兄さんになって小学生になった。
以前に比べたら、宿題を急かしたりお行儀が悪いと私も息子に怒ることが増えた気がするし、夫に怒りをぶつけることも増えた気がする。
弟が大きくなってきて、兄弟揃って寝相が悪いので寝床が狭くなった。病気を移し合う心配もあり、いつしか息子はパパと、弟が私と、部屋を分けて寝るようになった。たまに息子がパパと喧嘩をしたり、パパが不在だと息子が私の隣で寝る。そんな日は私は2人の子の間に挟まれ、窮屈だが、2人のぬくもりを感じ、リズミカルな2人分の寝息を聞いてとても幸せだ。
つい最近のことだ。
2人に挟まれて寝た翌日、私は夫に力説した。
「顔がふたつほしい。寝ている2人を同時に見たい!可愛すぎた!寝息がスースーピーピー時間差でふたつ聞こえてめちゃめちゃ幸せだった!」と。
息子は横でそれをにこにこ聞いて「よかったね」と私に言った。
その夜は、私にはいつも以上に幸せで、かつ忘れられないものだった。
弟が寝付くまで時間がかかったので息子もなかなか寝付けずにいた。うるさくしがちな弟の方の寝かしつけに必死な私は、背中にまだ眠れない息子の気配を感じていた。息子の手を握ってさすった。息子は眠そうにしていたかと思うと「ママ」と小さくつぶやいて寝息を立てた。
実は寝付く前にママ、と口を開いたのは初めてのことだった。
ママとつぶやいた瞬間を瞼に焼き付けたかった。
息子の名前を呼んで微笑みかけて寝付く瞬間を見届けたかった。
いじらしくて、愛くるしくて、切なかった。弟が寝ついてから、息子をぎゅっとして、髪を撫でておでこにキスをした。
隣で寝かしつけていたころは、よく子守唄を歌った。大きくなってからは絵本を読んでトントンをした。毎日息子の目がストンと閉じて夢の世界へ行くのを見届けて幸せだったあの頃。
今は寝ついた後の息子の寝顔を見て頭を撫でるくらい。それでも、いつも、息子の幸せを願っている。
きっと、かつて私の両親も私の寝顔を見て幸せを願ってくれたり、幸せを感じていてくれたんだろうなと思いを馳せる。余裕がないなら2人も子どもを産まなければいいのになんてバチ当たりなことを思ったこともあったけど。今ならきっと両親は幸せも感じていたんだろうな、そうであってほしいと思う。
息子に聞いてみた。
「どんなときに幸せ?」
息子の答えはかわいかった。
「ぎゅっ、てしてるとき」
私はすかさず息子をぎゅっと抱きしめて言った。
「ママ幸せだよ」
幸せを数えてみよう。
息子がお腹にきたとき、嬉しくて帰りに大福を買ったこと。
(そういえば、エコーで見る息子の顔は大福みたいだったんだ)
お腹の中で動くのを私だけがわかって得意だったこと。
出産予定日過ぎても全く出てこなさそうだったのに、産まれる!と思ったらすぐ出てきたこと。
初めて聞いた産声。
上げればキリがない。
まだ子どもだけど既に数え切れないほどの幸せをくれた息子。
これから、自分の幸せを見つけられますように。周りにあふれる幸せに気づくことができますように。
どんなときも、そしていつまでも。
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