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しんどい人間関係

重い親、重い恋人、話の通じない配偶者、言うことを聞かない子ども、何を考えているかわからない上司や部下…

そんなしんどい人間関係について見聞きして、私なりに考える機会がまあまああった。

それで、解決策を見つけたわけでもないし、私がそれらに困らないタチなわけでもないのだが「こんなふうに考えるとラクかも」と思うアイデアを思いついたのでシェアしたい。

まずひとつめは、「相手を自分の思い通りにしたい」あるいは「自分と同じように考えてほしい」と思う気持ちが自分の中にあるとしんどいんじゃないだろうか。

はっきりいって、他人は自分の思い通りにはならないのである。自分でさえ、自分の思い通りになど動かない。

相手の考えや相手が自分に期待することが、自分のそれと合わない場合確かに疲れてしまうし、残念に思う。

しかしそもそも相手の思いは相手のもの。自分の思いを他人にかき乱されたくなければ、相手の領分にも入らない方が平和なわけで…

どうしたらよいかハッキリわかるわけではないが、しんどいとき「そうなんだね」と相手からのボールを受け取ってもただそこに置いて、自分に取り込まなくてよいのではないだろうか。

どうこうしなくていいのである。
どうこうしようとすると拗れていく気がする。

ふたつめは、「背景も前提も、結論もぜんぶ人それぞれでよしあしはない」ことに意外と気づかないことだ。

息子が宿題を後回しにするので、「やらないといけないことが終わってないのに平気で遊ぶの信じられない。よく気持ち悪くないね」とぼやいたら夫が言った。

「宿題をやるくらいなら死んだ方がまし、怒られた方がマシ、くらいにやりたくない人だっているのさ」

ほうほう、なるほど!と思う。そもそもの考え方が異なれば結論を闘わせても仕方がない。

職場だって「仕事の速さ」「仕事の質」どちらに重きを置くかや、「成果とプロセスがどちらが大切?」「平和に進めるがよしか、決裂しても議論すべきか」「予算内で妥協するか、理想を求めるべきか」など無数のバロメーターがある中でみんな落とし所を探している。

唯一の正解などないことの方が多い。

しんどい人間関係では自分の許容度を越えてくる人を相手にすることがままあるだろうが、その相手にはその人なりの正解があるのがとても難しい。

裁判でもしたら別だが、個人間の価値観の相違では勝ち負け判定をするのは難しいことだ。相手の考えは時代に合わない、周囲の人の賛同を得ていない、などと自分を正当化するのだけどじゃあ相手を征伐できるものでもないのである。

じゃあどうするのさというとどうもできないのだけど…

自分の考えだって時代を変えれば、そして時により場所により変わるものだし(星座や血液型のせいかもしれない)、それは相手も同じで、もはや当人達の意図しないところで諍いは生まれていて(仕組まれている?)、当人達が生み出したものではない。

関係を悪くしているのは相手でも自分でもないのかもしれないのだ。

じゃあ、そんながんじがらめのしんどい関係をどう生きるのか?

私自身は聖人君主でもなんでもなく惰性に流され生きているが、しんどいときに尊敬している人たちがどうしているかを思い出している。そして、好きな人と過ごす時間が長くなるようにしている。(現実でも、頭の中でも!)

「あの人のああいうところがいいな、さすがだな」「そう言う考えができるのはいいな」と思うところを取り入れてマネしていくうちにだんだんとしんどい関係に悩まされることが減ってきた。

自分の世界が素晴らしい人ばかりに置き換わっていくかどうかが、自分の言動にかかっていると、もしも、思えたなら?????

まとまらないけど、今日はここでおしまい。

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