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夏の思い出。夏休みが終わるのがさみしくて布団で泣いた。
小学校はきらいじゃなかった。
そこまで楽しくもなかったと思うけど。
どちらかと言うと、どっちでもない、くらい。
あれは、四年生のときだったろうか。
私はあと7日で夏休みが終わる日の夜、布団で泣いた。
たぶん、切なかったのだと思う。
そんなに、夏休みが特別楽しいわけでもないだろうに。ラジオ体操をして、学校のプールに行って、いつもより長く遊ぶだけ。お盆付近は1週間くらい、父方の実家と、また次の2週間くらい母方の実家へ行く。いとこと遊んだり、畑仕事を手伝ったり、お墓参りをしたり、ごく普通の帰省だった。
夏休みが終わるのはなぜあんなにも切なかったのだろうか。
学校に行きたくなくて泣く、と言うわけではないから、ただ、終わるのが嫌だったのだろう。
宿題は、早々と片付けてあったはず。
かと言って、夏休みが長ければ良いと思うほど、特別な何かがあるわけでもなく。
それ以降、夏休みが終わるのが切なくて泣いたことはないと思う。それもまた、なぜだろう。
終わっちゃう、ということがなんだか寂しくて切ないなんて、結構、私は繊細だったのかもしれない。
夏休みはいつか終わってしまう。
わかっていてもさみしい。
そんなところか?
布団で涙する私が親に見つからなくてよかった。泣いている理由を聞かれたら、私はなんと答えるのだろう?夏休みが終わるのが寂しくて、とか?ちょっと繊細過ぎて伝わらない気がする。
今でさえ、あの気持ちを表現することができない。
あまりよく覚えていないだけで、私の心を突き動かす何かがその夏にあったのかもしれない。それは、無意識で行動と繋がって、今の私の貴重な一部を形成しているのかもしれない、し、そうでもないかもしれない。
もし息子が夏休みの終わりにしくしく泣いていたら私はきっと、ギョッとするだろう。でも、理由を追求しないでおこう。
人生には、そういう、説明のつかない気持ちというものがいろいろあるんだろうなと思う。
ただ、感じて味わって、思い出箱にしまうだけ。
季節の移り変わりには、そんな名もない気持ちが散らばりがちだ。
それにしても、こんな風に、些細な思い出が思い出箱から引っ張り出されてnoteで晒される日が来るなんて、当時の私には想像もつかなかっただろう。
これから、私の思い出箱にはどんな「気持ち」が入るのか、少し楽しみではある。
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