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ワーママでもそうでなくても。逃げた、でなくて、やめたでいい。

もうタイトルも忘れてしまったけど益田ミリさんの作品に出てきたセリフがずっと心に残っている。

(すーちゃん、かな?)
カフェの仕事を辞めて、保育園で給食を作る仕事に就いた彼女は、前の職場から逃げたと打ち明ける(確か、園長先生に?)。

そしてこんなふうに言われる。

逃げた、なんて言わなくていい。
ただ、辞めただけ。

ニュアンスが違うかもしれないけどこんな雰囲気。要は「逃げた」と本人が思ってても「辞めた」ってだけ。

前の職場が辛くて辞めたことに後ろめたさを引きずる彼女はこの言葉に救われる。

私たちはしばしば辞める(あるいは、止める)ことが悪いことのように叩き込まれている瞬間があると思う。
脱落、離脱、ドロップアウト、コースアウト。
戦いから降りる、負ける、そんなイメージが付きまとう。負け…。

でも、もうそんなこと、終わりにしたらよい。

大人になり自分の思考で生きる人は特に。

すーちゃん(たぶん)は新しい仕事を始めて新しい自分に出会う。
辛かったカフェの仕事があったからこそ、見つけた幸せな仕事。

幸せを見つけるための勇退を「逃げ」だなんて思う必要がない。園長先生の言うとおり。

ワーママをやってきて「辞めたら負け」と思わされる局面もある。「私の力不足だった」とか「私には無理だった」と言って去る優秀な女性たちの言葉を耳にするたび、辞めたくない人を辞めさせないといけない構造にどこか納得のいかなさを感じる。

彼女たちは逃げてない。

より大切だと思うものを選んだだけのこと。

ワーママに限って、マミートラック、なんて言葉もあるように、上に上がっていけないことを恐れさせる風潮があるけどマミートラックは逃げではない。ただの「状態」。その状態をどう捉えるかは人それぞれ。

幸せと思えるならよし、思えないなら別の道を探すもよし。

頑張ることから逃げる、って発想はもうオワコンなんだと思う。

幸せになることからは逃げない方がいいのだろう。

けど何が幸せかを決める権利はその人のもの。他人に決められることではない。

「管理職になりたい女性が少ない」と嘆く人がいたとする。打診を断った女性は、逃げたのか?いや、管理職がやりたい仕事ではない、または、別のチャンスを探しているだけ。

どうしてこんな話になったかと言うと、ここ1年小1の壁について考えてきて、この「壁」って自分の中にある場合があると気づいたからだ。

例えば。

学童は希望すれば入れられる。けど、子どもを6時とか7時まで預けて働くのか?それは嫌だな、ただいまを言ったあげたいし宿題を見てあげたい、おやつを食べながらその日何があったか聞きたいな。そう思う人が居たとする。

そしたら、その人は自分の中に壁を感じて仕事を辞めたり働き方を変えることになる。「なんで?預ければまだまだ働けるよ?!」と周囲が思っても、本人の中ではノー、だ。そう言う人たちが一定数いて、そのデータを見て「小1の壁で働くのは難しいか」と面食らう人もいるもしれないけど、働きたければ方法を探せばよいだけ。

やめた人イコール逃げた人じゃない。
そもそも逃げって何からの?

これ、悩ましい人間関係から脱却するときなんかにも言えるかもしれない。

そしてやはり、幸せになることから逃げないことが大切なんだと思わされる。

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