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子育て日記。発達障害と定型発達って、名前がつく意味がなんとなくわかるような、そんな話をつらつらと。

今日は子育ての話。
申し訳ないのですが、全然、まとまっておりませんので読みづらいと思います。

でも、出します。

🚗🚃

うちには男の子が2人いる。
上は小学生7歳、下は保育園児2歳。

お兄ちゃんは長年一人っ子として育ってきたので我が家の子どものイメージは主にお兄ちゃんで形成されてきた。

しかし、下の子が育つにつれて、子どもとはこうも違うのかと驚きが隠せない。

上の子は発達に課題がある。
ASDとかADHDの傾向が見られて、お医者さんに相談してその気になれば診断をもらえるものなのだろうな、となんとなく思う。 

ただ、それが顕著になったのは小学生になってから。
だから、「最近うちの子は様変わりしてしまった!」と、最初は狼狽した。

けれど、下の子の成長を見ていると、なるほど!!!小さい頃から遅かれ早かれ、発達の課題が浮き彫りになることは明確に分かっていたんだな、ただのちょっとユニークな子じゃなかったんだな、とやっとわかった。

よく、自治体の何ヶ月検診で、発達チェックのすべての項目ができなくても個人差があるから様子を見ましょうと言われたりすると聞く。その時点では、発達とは個人差が大きく、発達障害と言ってもその程度はグラデーションのように、全く「障害っ気」のない人もいれば、障害があるとされる子どもにも普通の面もあると思っていた。(現に、上の子も全ての検診でチェック項目にチェックがついていて、心配されることがなかった)

グレーとか、凸凹と言われる子どもたちは明確な診断をされる子どもたちと何が違うかもわかっていない不勉強な私。そんな段階でもつぼんやりしたイメージだけど、診断も、子どもによっては、症状が強く出ないよう環境を整えたら必要ないかもしれないし、親が拒めばつけずに済んだり、どこかで診断がつかなくてもつけてくれる医師を探し回れば診断がついたりするような、どことなく流動的なものだというイメージがある。

けれども、確かに、上の子と下の子を見ていると明確に違うところがいくつもある。

例えば、
他の人に興味をもたない、もつ
他の人の反応を伺わない、伺う
周りを見て動かない、動く
気持ちの切り替えができない、できる
身体感覚が鈍い、身体感覚がある 
呼びかけに対する反応が薄い、反応が早い
自分のことを自分で進んでやらない、やる
些細なことに異様にこだわる、こだわらない
手先が不器用、器用
絵が下手、絵が描ける
複雑な体の動きが苦手、普通にできる
興味のあることに過集中、普通程度の集中
整理整頓ができない、できる
何かに異様に長けている、満遍なく色々できる

書いてみるとだいぶ違うのだなぁ、と思う。
先に挙げたのが兄、次に挙げたのが弟。
集団生活で心配が少ないのはやはり弟の方、ということになるのであろう。

将来的なインパクトを考えると、こうした違いをただの「個性」と括るのはいささか不安がある、今になって思えば。

上の子は保育園ではたまたま、良い先生や仲間に恵まれ、トラブルが大きくなることがなかったのでそのまま小学生まで来てしまった。環境によっては、保育園時代に、さまざまな支援を受けることなっていたのだろうと思う。どちらがよいかも、正直わからない。

発達障害の特性は、いずれ本人が「どうして自分にはできないのだろう」と苦しむものなので、ゆくゆくは、特性に対してどう向き合えばよいか答えがほしいんじゃないかと思う。本人も親も周囲の人も。それが、行政の支援だったり、医師の支援だったりするので、「えっ、うちの子、そんなに深刻なの?」とギョッとして身構えてしまう。それで、個性でなく障害による特性だと認めることに葛藤が生じる気がする。

早いうちに障害として認識されれるかされないかは、その葛藤が生じるタイミングが早いか遅いかの違いな気がする。

本当は、親の葛藤など二の次で早くから専門的なアプローチを上の子にしてあげたらよかったのだろうか、と悩むこともある。

今思えば、上の子に何かを強いることなく、やりたいこと好きなことを存分にやらせることに注力した子育てだった(しつけがなってない、とよく義母にも言われた)。小さいうちはそれでもよかったのかもしれない。

でも子ども本人に評価がつくような年齢に上がっていくとどうだろう?難しいところだけど、本人に「やる気がない」「頭が悪い」「協調性がない」「言うことを聞かない」などとネガティブなラベリングで全てを背負わせてしまわないために、障害だとか特性という観点でアプローチするのはよいかな、と思っている。悪気はないし、本人だって困ってるのだから。

個性として認めて支援すると言っても、発達や教育に関する知識がなかったり、専門家と連携できないと、ただただ、愛情で包むだけでは難しくなって来ると思う。子どもも複雑に成長していくからだ。

障害と認めたら楽になるのか、認めると辛くなるのか、なんだかよくわからなくなるような、迷いが生じてしまうのかもしれないと思いモヤモヤしたりぐるぐる考えたりしている。カウンセラーさんやお医者さんから、いやいや障害でしょうよ、という声が聞こえてくるのだが。

認めてないのではない、なんというか、どんな言葉がついても彼は彼、で私からすると何も変わらないのに周りからの見る目が変わるのに少し戸惑いがあるのかも?

個性で済ませず、ちゃんと、特性や障害に名前をつけて相応の対応をするのはよいことだけど、それに伴う不安や葛藤もあるよね、というのが今のところの気持ち。

私ももっと学ぶべきだったし、今はなお学ぶべきだし、一般にも理解が広まり知識が普及していくといいと思う。(逆に、おまえ障害者だろ!とか言うようないじめが助長されたりするのかな?)

いずれにしても、親として学ぶべきことが多くあると見につまされる。まあ、私は今まで怠けすぎたかもしれないが…。

気負いすぎず、子どもたちとの楽しい日々をよりよく過ごしていきたいと思う。

🚢✈️

特徴を捉えて付き合うことについても書きました↓

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