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育休から育業へ。この世を去る時、走馬灯のように流れる映像の尺を1番取るのは育休中だろうな、と。

1人目の産育休は半年、2人目は1年と2ヶ月だった。この、男児2人の間は5年あいていて、親の高齢化やコロナ禍、自分の老化など、確実に時間が流れたことを痛感した。

1人目のときはとにかく早く仕事に戻りたくてうずうずしていたくらい、オリジナルの自分が残っていた。

それでも、退院して、外に出た瞬間に強烈に感じた太陽の眩しさ、通り抜ける風の匂い、木の葉のざわめきを忘れることはない。

私は別の人間に生まれ変わった気持ちがした。

最初の1カ月に実母、次の1カ月に義母が泊まりがけで家事をしにきてくれた上に、最初の1カ月は夫も育休を取得してくれたために余裕のある育休だった。当時はまだ、男性が育休を取るのは極めて珍しかった。

夫は育休を最大限に活用してダラダラ過ごすと共に余力のあるときは子守を満喫した。私は、頼もしい大人の助けがあったおかげで、凝った料理を作ったり、たくさんお友達やその子ども達がうちに遊びにきてくれたのもあり、楽しく過ごした。それに、お宮参りもお食い初めも両家のじいじばあばが揃って賑やかだった。

ザ!育休という感じ。
初めての母親業を、OJTでやっていた。

恵まれたことに産後鬱とは縁がなく、赤ちゃんと共に寝落ちする午後の昼寝も、夕方の黄昏泣きも、昼間の公園や支援センターも、夜のおむつ替えも、全てが幸せで包まれていた。もちろん、寝不足に陥りつつも、おっぱいを吸われるとオキシトシンが放出され、やはり幸せいっぱいだった。

翻って、2人目は自分がすでに「母親」であることからスタートした。

いきなり、1人育児が進行している中で赤ちゃんの現場に放り込まれる。

コロナ禍で出産も1人で入院。
両親は遠方につき、県を跨いだ移動が推奨されない時勢のため来られなかった。
更に実家は祖母の介護もあり、じいじばあばの出番も極めて限られた。
夫もちょうど職場の環境で育休を取れず、孤軍奮闘で5歳の兄と赤ちゃんを一気にみる時間が増えた。

ワンオペ育児をしているお母さん達を心から尊敬した。

友人達もみな2人、3人の育児に仕事にと忙しく、コロナ禍もあってほとんど会えなかった。
夫も仕事をこなし、専業主婦のようになった育休中の私はどことなく、自分が自分でなくなっていく気もした。

しかし、家庭という没頭できる場所があるのは救いだった。それまでの人生で仕事に打ち込んできた以上に、育児家事に打ち込んだ。そして、子どもたちと濃密な時間を過ごし子どもたちと向き合った。

私は、それまで以上に色濃く「母親」になれた気がした。

というのも、お兄ちゃんは5カ月で保育園へ行っていたから、弟の育休は、ある意味上のお兄ちゃんのための「第二の育休」でもあった。小学校受験のために奔走したのも、人生2度目の弟の育休の思い出深い点である。

赤ちゃんを連れて、塾へ行ったり保育園へ行ったり。

昔、2歳下の私の弟をおんぶして私の習い事に付き添ってくれた母の姿を何度も思い出し、懐かしさに胸があつくなったものだ。

日常的に対面で会えるのはお兄ちゃんの保育園関係の人やお医者さんくらい。コロナ禍で全く会えなくても、自分を育ててくれた人たちや家族や友人への感謝が渦巻いた時間だった。

すっかりふたりの男の子達に翻弄されつつも、みなで笑い合い、肩を寄せ合って過ごす時間に慣れた私は5年前の育休のときとは全く別人になっていた。

カメラロールにはかつて夫とお兄ちゃんの写真が溢れていたが今度は、お兄ちゃんと弟の写真だらけになった。

夫もまた、変わって行ったと思う。

彼の得意分野を活かして子どもたちに向き合っていた。私と夫は、得手不得手の分野がかなり異なっている。そのため夫婦で協力してあれこれ対応することが増えて、家族がより家族らしくなったと思う。

子どもの成長につれて課題もまた増えて行ったけれど、この「チーム」で頑張っていこう!と、私は「母親」という単独の存在から家族という名のチームの一員に成長することができた。

言葉のもつパワーはすごい。
育休と言うと休んで仕事から離脱するようだけも、育業というと、まるで自分の仕事の軸が一つ増える気になる。

現に、私は2回の育業期間に母親になり、夫と子どもたちと共に家族というチームを作った。社会の片隅に生きるこのチームを今後どう発展させて行こうか?それは人生をかけて追いかけるテーマになった。

特に2回目の育休は、弟の姿にお兄ちゃんを重ねて、自分の姿に自分の母親の姿を重ねて、感慨深く過去を見つめ幸せのあまり涙腺が緩むことが多かった。まるで、1回目の育休を内包しているかのように子育ての歴史の象徴だ。

人生の終わりに走馬灯のようにそれまでの人生の映像が頭に浮かぶのであれば、その中で最も多くの尺を取るのはきっとこの2回目の育休のように思う。そして、1回目の育休、2人の子たちの誕生の瞬間。

私が寝ている時に2人の子どもたちが私の上に乗ったり、私を覗き込んだりする瞬間がある。あぁ、私は死ぬ間際にもこうしてふたりの姿を目に納めてからこの世を去れたらよいなぁなどと思ってしまう。

育業を通じて私は本当に別人のようになった気がする。

そしてそんな自分が、気恥ずかしいけれど好きである。

#育休から育業へ

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