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ローンと教育費と家事育児を背負うワーママについて考えたら激しい思い込みに気が付いた!

いえ、私はローンは背負ってないんだけど…

共働きの我が家、私がローンを組んでおうちを住み替える説(ただの説。今はおうちが高い!)がずっと宙ぶらりんになっている。

ローンを背負う。「もしそうなったら」って考えると、これまで「がんばって続けてた仕事」が「絶対続けないといけない仕事」になってしまう気がしてちょっと動揺した。でも、なぜ、動揺するのか、考えてみることにした。

我が家のお金の分担

我が家の家計は大きなお財布の中で分担が分かれている。

結婚前から夫の持ち家だった家のローンと車のローン、その他目的別に作られた夫のカードに紐つく支払いは夫の収入から出ていく。その他一切のお金の「出」は家庭用の口座に私が給与から拠出しそこから出ていく。

夫婦それぞれ、残ったお金で投資もして、個人年金や保険も結婚前からお互いかけている。夫婦それぞれの金融資産や保険や年金を「我が家の財布」と捉えているイメージだ。

夫の収入がなくなれば夫が支払うローンはなんとかしないといけないし、私の収入がなくなれば家と車以外の支払いをなんとかしないといけない。突き詰めると、どちらかの支出が完全に途絶えると貯蓄や将来のために回しているお金を減らすことになる。

そんなんなので、我が家のメイン口座は私の産育休の間は徐々にさみしくなり、職場復帰したらまた回復する、そんな感じだった。目に見える生活費全般が私担当で「働かないと」というプレッシャーはある。

ただし、夫婦2人で子どもや将来の蓄えをプールしておりどちらかが転職や自営業化などで収入が減ったりしても出ていくお金をコントロールしたら暮らしていけるので、トータルで地盤を支えている安心はある。

私がローンを組むのはあり得る話

夫がすでにローンを組んでいるので今の住処を完全に売却してまた夫がローンを組むほか、夫の持ち家を貸し出して私がローンを組んで家を買う、または今の住処を売却してペアローンを組むか私が単独でローンを組むなどが考えられる。(ど田舎で現金一括、など除くと)

さて、生活費に上乗せでローンが私の方に乗った状態を考えると

さて、ここまできて、今の私に「ローン」が乗ったらどんなふうになるのか考えてみる。

金銭的には、単純に、今私が家のために拠出している金額の一部がローンに充てられることになるから別に私が苦しくなるわけではない。

もしかして、投資に回していた金額を少し減らすなどの調整は必要かもしれないが、夫も投資はしているしむしろ夫のローン負担の分が家計に回ってきたらうちトータルのお金を考えたら、私が「身を切る」話ではない。

ローンが乗るからって私が節約したり、自分の楽しみを慎んだり、犠牲になるようなことは全くないのである。

むしろ、家が資産をもたらしてくれるかもしれないし、税金上のメリットもあるかもしれないし、そんなに悲観することはない。

でもモヤっとする。なんでだろう?

モヤっの正体

子どもたちが元気になってきて、夫と私で仕事をやりくりしたりお医者さんに連れてくとか入院付き添いするとか「お互い支え合って仕事を回す」ターンが終わりつつある気がしている。

すると、現状、裁量労働やコアタイムなしフレックスや在宅勤務で時間に融通のききやすい私が家事育児の雑用を担うシーンが増えている。

加えて、我が家の家事はほぼ私担当となっている。夫の我が家への貢献は大きいものの(引用記事参照)、家事育児については私がほとんどやっている感がどうしても抜けないのである。

ここにきて、モヤっとの正体がわかった。

「父親のようなサラリーマンパパと母親のような専業主婦ママ、両方を私がやるなんてむりだ」

そう思ったから。父は典型的な昭和のサラリーマン、母は典型的な昭和の専業主婦。

いやいや、幼少期からの固定観念とは末恐ろしい。今になっても染み付いているとは!!!

私にとってローンを背負うのは「昭和のサラリーマンみたいに嫌いな仕事を仕方なくやる人になっちゃう」という激しい思い込みがあった模様。(昭和のサラリーマンに失礼過ぎる。恥を知れ〜)

そもそも、勘違いがいくつもある。

私の父親は、田舎なので「長男」として「家」までを背負っていた。家を支えるため高卒で働き、さして得意でもなさそうな仕事をただひたすら続け、実母を家で介護し、親戚や近所の面倒なこと文句を言わず一切合切引き受けている。私はそんなものひとつも背負っていない。

私の母親は、私と弟が独立するまで父親の身の回りや家のこと全てを担い、お金もないので節約に節約を重ねて転勤族の夫を支えてきたし、義両親との同居や赤子の世話を孤独にこなして、父親の単身赴任時にはたった1人で思春期の子どもたちの面倒を見てきた。私にはそんな徳はない。

つまり、私は別に私の両親の役割全てを1人でやるのではないのである。夫は子育てに積極的な方だし、私の家事レベルは底辺だし、義母家族は親切だし。

ローンを背負ったとて今まで通りに仕事をがんばり、今まで通りに家族に向き合えばよいのである。

ローンがあったって、支払いできなくなれば安いところに住み替えたらいいのだし、夫と家計は分担しているし、将来の蓄えを調整したらよいのだし。その点、夫はお金周り全面的に頼りになるので怖くない。

なんだかバカらしくなってきた。

ローンを背負うと「嫌な仕事もやらないといけない」と錯覚してしまったが、別に嫌なこと含め私は仕事を続けるのは苦ではなかったのだ。そもそも、ローンを組むのと引き換えに「嫌な仕事」を引き受けるわけじゃないじゃないか!

失職したらどうしよう、と不安になるなら、稼ぐ力つけられるよう仕事に注力すればよく…(これが難しいが)。それは別にローン有無に関わらずあるわけで。

長年の思い込みで、「自分の父と母の両方はできないよ!」ってなぜか思っててそこが嫌悪感の塊だったようだ。

でもそもそも、両親の背負っているものは私と全然別物だったし、それらを私が背負うことはないのである。

ローンを背負ったとて、今の私は何も変わらないとわかり肩の力が抜けた。

振り返りはするものである。

とんでもない勘違いに自分が絡まっていることがある。

この記事の趣旨から外れるけど、最近専業主婦に風当たりの厳しい意見をエックスなどで目にすることについて。私の母親を見る限りあんなに大変な役割はない気がする(昭和時代、田舎だからか?)。私はそこから逃げるようにして今の人生を進んできて母親には尊敬しか抱いていない。

働く意味について考えた過去の記事

✏️自分のため、から「自分と家族両方のために働きたい」に変化した働く意味

✏️世間で専業主婦の妻をもつ男性同等に稼ぐ女性はなぜか共働きだ、という観察

✏️実はすごくよく読まれている記事。ワーママを続けるモチベーションについて。

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