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喪失の秋

「心の中で生きてる」なんて信じないし気持ちが悪い。
その死を否定することこそがその死を無価値にする。


 得るということは、いつか失うということである。それを初めて実感として知ったのは中学2年生の秋だった。
「何でも言い合える女友達が亡くなった。」それは人生で初めて喪失を知った日でもあり、それと同時に存在することの本質を知った。いるということは、失っていないことであり、いないということは、失ってしまったということだ。得るということのせいで、その2つの狭間で葛藤することになった。少なくとも僕個人にとっては。

 何かを失うことに怯えるのと一緒に、得ることにすら恐怖する日々が始まった。友人関係は限りなく狭く、これ以上誰のことも大切に思いませんように。今思えば無意味なことだったのかもしれない。僕は愛さないことで、失った時に悲しくならないように自分を守った。その結果、人に関心がなくなった。何も思わなければ、執着も期待もなくしてしまえば、僕の心の平穏は守られる。ニュースで誰が死んだとか、コロナで何人死んだとか、遠い親戚が死んだとか。そんなことで心を動かさないように。僕のことを今愛してくれているほんの数人の差し出してくれたその手を、取りこぼすことなく掴めますように。ほんの数人だけのために生きていたかった。それ以外の人に愛情を渡せるほど僕の心は余裕がなくて、愛の在庫はいつでも足りなかった。僕の弱さ。

 それでも、愛してしまう。一人でいるのは怖い自分が、優しい人に絆されてしまう。今僕の周りにいる人は、我儘で自己中心的で情けなくて見栄っ張りでどうしようもなく醜い僕にも対等に接してくれている。そんな人が数人いるおかげで、僕も立派な人間だと勘違いしてしまいそうになる。たまに正気に戻って自分の心に正面から向き合うと自分が嫌いになる。僕には特別な才能も素敵な手紙も書けないし渡せない。どうして彼らは僕を愛してくれているのかな、この劣等感が失う恐怖を倍増する。失いたくないから関係の名前にこだわってしまう。自然な関係では繋ぎ止められないことを知っているから、恋人になりたいし親友になりたい。家族になって離れていかない保証が欲しい。家族だってそんな保証にはならないのはわかっているけど。

 僕がこの世で最も純粋に愛を伝え合えていた存在、犬のまろんはいつだって愛の本当の姿を教えてくれていた。僕はただまろんを撫でて、一緒に遊んで、夜は足の間に挟んで寝られればよかった。存在していることがまろんに求められていることだった。同時に僕もまろんが生きていればなんでもよかった。辛い時に涙を隠してくれて、お腹のふかふかは無限の安心感を与えてくれた。まろんが死んでしまったから、どうして生きているのかがわからなくなった。心の底から自分の命よりも大切にできる存在がいなくなって、生活から当たり前の幸せがなくなった。おはようのキスも、寒い日のくっつき虫も、抱っこしてほしい時に片足を上げて見上げる可愛らしい優しさも、全部なくなった。犬を見るとまろんの幻影を追って、恋人を抱きしめると冷たくなったまろんを思い出して苦しくなった。これ以上失う恐怖に怯えて生きていくくらいなら、と大好きな友達2人にお別れをするつもりで電話をかけた。ひとりは中学からの友達で、何か悩み事があるとすぐに僕に電話をかけてくる、ほっとけないような友達。死にたいのだと伝えたら、初めて彼の怒気を孕んだ声を聞かされた。必要とされているのは暖かく感じたけれど、生きなければいけないのは僕にとって呪いだった。もう一人の友達は高校からの友達で、一緒にいる時間が一番長い人だった。彼は僕の意見を尊重すると言った。迷った結果、保留することにした。

 まろんが死んでから、まろんのことを毎日考える。一人でいる時ではなく、大切な人がそばにいるときに。まろんにしていたように、友達にしてもらったように、今近くにいる人のことを大切にしたい。手の届く範囲の幸せを守れますように。まろんにしてもらったみたいに、生きててくれればいいんだよって伝えられるようになりたい。

 まろんが死んだ悲しみも、女友達が死んだ悲しみも、忘れたわけじゃない。忘れたいわけでもない。毎日絶望に突っ伏していても、隣にいてくれている大切な人を幸せにできない。まろんは僕の心の芯になっている。まろんみたいに愛したい。そのためには、周りを見ないといけない。それでも、一年に何回かは打ちひしがれる夜もある。その時は、まろんがいない悲しみと絶望を目一杯感じてみる。思い切り辛い気持ちになる。その絶望は僕からまろんへの愛であり、そこから逃げてはいけないと思っている。大切なものを大切にするために、前を向く時間が必要になる。まろんが死んで、1年半。瑠花が死んで今月25日で8年。僕が大切な人を大切にできているということ。僕が誰かにとって必要不可欠な存在であるということ。それはあなたたちが教えてくれた愛です。何も知らなかった僕に、失うことを教えてくれた。命を投げ出したいほどの絶望をくれた。そのおかげで、人のことをよく考えるようになった。大切な人に恩返しがしたいと思えた。また失う時が来るのは怖い。それでも大切にしないで失うことはもっと怖い。好きな人を大切にできているか、自分の愛の再確認。そのために、今年も会いに行く。


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