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読書感想文【正欲】

読んでる時のメモ

この小説には、水という言葉が多い。価値観と時代という流動的な概念と共にキーワードになっている。
朝井リョウ、この人は現実主義な文章を書く。声が喉仏を通過するだとか、見えない現象を物理的に表現したがる。気が合いそうだ

感想文

自分が普通かどうかわからなくなるような性癖と嗜好に気持ち悪さと恐ろしさを感じた。
また、それを助長するような「多様性の理解」のスローガン。全ての正義が受け入れられてしまっては、秩序は成り立たない。大多数が正しいと思っているスローガン。もはや留まることなく広がるだろう。その先で見つかるなにかは、秩序がある社会なのか、それとも社会の形をした何かなのか。所詮マジョリティは自分たちが想像できる範疇の多様性しか受け入れられない。想像を超えるものは、前提として排除すべき、という観点からの「多様性の理解」でしかない。

ゲイにレズビアンにクエスチョニング、ノンセクシャルとか。名前をつけれるって事は想像できるって事だ。社会のあるべき価値観として「人間はどのような形であれ人間を愛するものだ」と決まっている。それが今の社会だ。無機物に、他の動植物に、あるいは概念的な何かに対して性的興奮を覚えるような人は排除される。それは正しい人間の姿ではないから。真の事を述べると、大多数の(人間に性的興奮を覚える)人間は、少数派(人間以外に性的興奮を覚える)の人間が存在している事を想像できないからだ。

また、想像できないと言う事は、尊重できないということでもある。その人がどのような価値観を持っているのかを知らなければ、その人が何を望んでいるのかも理解できない。無知は時に人を傷つけるのと同じように、理解できない人は罪の意識もなく居場所を奪ってしまうかもしれない。たとえそれが全ての人類を幸せにしようと願った結果の行動だったとしても。

この小説で最も辛いのは、理解されなくても生きていかなければいけない少数の人たちだ。どうせ理解されないという深い絶望を持ちつつも、誰かに理解してほしいという一般的な希望も確かに併せ持つ。普通の人たちなのだ。性的対象が人間じゃないということ以外は。(この文ではあえて普通の人、という表現をしている。この小説が伝えたがっている世界の残酷さを消さずに伝えるために。)彼らは彼らなりに世界にしがみつく。しかし世界は無自覚に彼らの居場所を奪ってゆく。誰が悪意を持っているわけではない、ただマジョリティが物事を決定する社会では自然とそうなってゆくという、これまでもこれからも変わる事のない決まりごと。全体の秩序を保とうとすればこぼれ落ちるなにかもある。ただ、それだけのこと。それだけのことを、こぼれ落ちてないように必死にしがみついている誰かの目線に立った。それだけの小説。
それだけの小説が、気づきたくないことを気づかせる。

「僕はなにも知らないし、これからも何かを理解する事は決してない。」

理解したつもりでも、受け入れようと心を開くことすらも、本当の理解から遠ざかる。自分の想像の範疇で物事を選択する人類は、決して公平さに満ち満ちた社会を築き上げる事はできない。そして僕はその社会の一員であることを忘れてはならない。


理解する事は諦めよう。ただ、理解をしようとする努力は怠らないでいよう。
受け入れる努力をしないことが、本当にその人の価値観を受け入れることだと心で覚えておこう。
そして、自分が誰にも受け入れられずとも、生きる権利は持っているのだと思って生きよう。

大切な人へ。

君が人生に絶望したときに読んでほしい。
わかってもらおうなんて思って書いていない。生きていることが正しいことだとも思ってない。月並みな表現だけど逃げる事は間違いではない。ただ、諦めないという選択もまだある、ということを知ってから選択してほしい。この作者がそうであるように、僕も、この世界の何人かの人々は、自分たちが理解できない価値観があることを知っている。この情報が、君の助けになることを祈って、ここに終稿とする。

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