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誰にも約束されていない明日

今では不思議に思える話ですが、28年前の今日まで、関西では多くの人が “この辺りで大きな地震は起こらない” と信じていたそうです。
実際には1944年と46年に、関西でもマグニチュード8を超える震災発生の歴史があるのですが、やはり関東大震災のイメージや、東北での地震のニュースの多さから、そんな楽天的な錯覚が生まれていたのかもしれません。

その誤りを知らせるような大地震が神戸を震源地として起こり、28年が過ぎました。
私の友人知人に罹災者はいませんし、母からも、あの時は物流がストップして大変だった、米やパン、生鮮食品の棚がどの店も空っぽだった、という生活上の苦労を聞かされた程度です。

けれど、震災直後に現地に入り、ニ週間ほど救護活動をした知人の医師の話からは、まだ当時の記憶も生々しい人の苦悩を知らされます。

「時間は飛ぶように過ぎ、所々の記憶が経験するそばから消えた。あの場で出来るだけのことをしたつもりでも、考えれば考えるほど後悔しかない。もっとああ出来たはず、もっとこうすれば良かった、と今でも考え続けてしまう。
現地ではとにかく人手が足りず、一人一人の話を聞く暇はとてもなかった。苦痛を訴える人を短時間で診て、薬を出すのが精々で、他には何もしてあげられなかった。
あの方たちは、今どうしておられるだろう。あの震災を思うたび、いつもそんなことを考えている。」

そんな苦痛に満ちた打ち明け話に、安易な慰めではない言葉が見つからなかったのを覚えています。

その後も大規模な天災は絶え間なく、今後の予測なども聞くにつれ、気持ちが沈むことは多々あります。
けれど未来に起こる不幸に対して、ただ不安がりうろたえるのでなく、出来ることはあるはずです。
過去の教訓から学ぶ現実的な備えがひとつ、“何気ない日常のありがたみ”に感謝する心の備えがひとつです。
その心の備えについて最もよく伝えていると私が思う、9・11テロの追悼集会で読まれた有名な詩で、この文章を終わりにしたいと思います。

1995年1月17日。
阪神淡路大震災で被災なさった全ての方に深い哀悼の意を、救援と復興に尽くした全ての方に心からの敬意を捧げます。


『最後だとわかっていたなら』
ノーマ・コーネット・マレック
(訳 佐川 睦)

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 
忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

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