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道の先で会おう

『映画で学ぶ英会話』
いかにもよくある英語教材のコマーシャルで、こんな台詞が流れてきました。


I don’t know how to say good-bye
I can’t think of any words

それらしく訳すとすれば

どうやってお別れを言えばいいか
何も思いつかないの

とでもいったところでしょうか。


1953
年のビリー・ワイルダー監督の名作『ローマの休日』で、王女と記者が互いの身分と本心を隠したまま、切ない別れを選ぶシーンです。

王女の言葉に、記者は「何も言わなくていいよ」と返すのですが、激しく感情の乱れる場面で、そつなく振る舞うのは誰にとっても困難です。



井伏鱒二が訳した武隆の漢詩『勧酒』の中の有名な一節

花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ


にもあるように、別れは人生につきものながら、私も映画の中の王女のように、別れの言葉はうまく言えません。


先ごろも尊敬するヨガの先生とのお別れの際、そんなことがありました。

その先生とは毎週かならず顔を合わせ、ヨガのアーサナ(ポーズ)だけでなく、言葉にしがたい部分でも様々な薫陶を受けていました。私にとっては師匠と呼びたい偉大な方です。
けれど先生はご自身の勉強のために日本を去り、数年間は帰国もなさらないということになりました。


最後のレッスンの日、どうにか感謝の気持ちだけでも伝えようと試みる私を見かねてか、先生は明るい笑みでこう語ってくれました。

「大丈夫、また必ず会えるから。それがどれだけ先のことで、長い時間がかかっても関係ないの。心の時間は現実とは違う流れ方をしているから」

その時は先生があまりに当然のごとく口にしたため、そんなものかという気がしたのですが、今でも時々、その意味について考えます。


私なりに解釈すると、先生の言ったのはきっと“魂”に関することで、魂は現実の干渉を受けない、ということなのだと思います。

そこでは現実的な時間の流れは無効化され、魂の観点から見ると私たちは常に結ばれている、現実の世界で多少の隔たりがあったとしても、この関係に何の影響もない、ということをおっしゃっりたかったのではという気がします。



これは心理学の考え方とも似ています。
時間は身体の傷を癒しても、心に関しては必ずしもそうではありません。

ある出来事で深い傷を受けた心は、その傷が深ければ深いほど、きちんとした治癒なしには癒されません。
自動的に癒しが起こるような都合の良いことは無く、むしろ想像力が暴走したり、回想を繰り返すうち、さらに自分自身を傷つけてしまうこともあり得ます。


時間が過ぎて傷が見えにくくなることがあったとしても、それは見かけだけの話であり、傷は傷として残ったままです。
だからたとえどれだけ長い時間が経っても、開いたままの傷口は、突然に疼いたり苦しみの元ともなるのです。

60代の女性が、少女時代の辛い記憶を涙ながらに語るのを聞いた時、私はそれを確信しました。


心や魂の世界では、時間は私たちの思うような流れ方をしていません。
そのため数十年前の出来事を昨日のことのように思い出したり、先週経験したばかりのことがすでに遠く思えたりということが起こるのでしょう。



そして、こんな話題で思い出すのが『ノマドランド』でアカデミー賞を受賞した、クロエ・ジャオ監督のインタビューです。

ジャオ監督は仕事にのめり込むあまり、撮影の終了でしばしば鬱的な虚無感にとらわれるといいます。
『ノマドランド』の際にそこから立ち直れたのは、同作にも出演した俳優ボブ・ウェルズの言葉によってでした。

ウェルズは別れの際に決して「さようなら」とは言わず「道の先で会おう」と口にするそうです。
実際にそれが実現することはめったに無いと承知でも、ジャオ監督はこの言葉に救われ、心を立て直せたと話していました。

自分たちは大きなものの一部であり、皆どこかでつながっている。生きている限り同じ世界の中にいる。
そんなイメージの想起が、深い癒しを与えてくれたともいいます。



これはスピリチュアルの概念をも超えた“ワンネス”的な世界の捉え方です。
この考えを心から支持し、そんな目で世界を見たならば、大切な人との別離も違った意味を帯びそうです。

心の内で私たちはいつでも大切な人と向き合えますし、あえてそう望まない限り、永遠に別離の時は訪れません。
現実の世界はどうであれ、魂や心の世界では、大切な人たちとの関係はずっと途切れずに続いていくのです。


実際には離れていても、実は同じ道の上にいて、またどこかで出会う時もくるかもしれない。
そんな考えには希望と美しさが満ちています。

ですから私は、別れの言葉を求める人たち、たとえば映画の中の王女や、もちろん私自身にも、ジャオ監督を救ったこんな言葉を口にしてみてはどうかと、静かにささやいてみたくなります。

「道の先で会いましょう」

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