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「あなたより大変な人もいる」

私が暮らす街は古くからの住民と新しい人とが入り混じり、徒歩圏内にも古い店舗と新しい大型店など、たくさんのお店があります。
私は個人商店での買いものが好きで、立ち寄った際にお店のかたと交わす、ちょっとした会話も楽しみのひとつです。

先日は和菓子屋さんの奥さまから、思わず考えさせられる体験談を耳にしました。


奥さまは毎日お店に立たれるものの、それなりのご年齢ゆえ、目の見え辛さが悩みの種でした。
年齢のせいだから仕方がない、とずっと避けていた病院をとうとう訪れ、白内障の診断を受けたのがつい最近です。

白内障の手術は日帰りのため、すぐにでも予約をすれば良いのだけれど、どうにも怖い、どうしよう。そう逡巡していたところ、偶然ある知人女性が来店し、その話題になったといいます。

「ただの老眼だと思っていたのに、白内障っていうのがショックで。簡単な手術でもそれなりにリスクはあるし、どうしようか迷ってるの」

それを聞いた知人は、こう即答したそうです。

「たかが白内障で?私の身内なんて、緑内障で大変さが違うわよ」


「なるほどなあと思ったわ。確かにそう言われると、白内障なんて大したことないなって」

温和そのものの奥さまは、知人の言葉を前向きに受け取り、勇気が出たとおっしゃいましたが、私はその場に居合わせなくて幸運でした。もしそのやり取りを直接聞いていたら、より激しい感情を覚えたに違いないからです。

奥さまほど人間が出来ていない私は、その知人の返答に、抵抗感と嫌悪感を覚えました。
もし自分が当事者ならば、聞いた瞬間に心の内でシャッターが降り、以後のその人の言葉も、悪くすると関係そのものも遮断してしまうかもしれません。


だって、あなたより大変な人は他にもいる、は禁句です。それを口にした途端、全ては終わってしまいます。そう言われたが最後、相手は返す言葉を失います。その言葉は、何かを訴える人を黙らせる決め技です。
その程度のことで、と言われて、なお話し続けられる人が一体どれほどいるでしょう。

好意的に解釈して、励ましのつもりで、というケースも考えられます。
辛いのはあなた一人じゃない、下にはもっと下がいる、あなたはまだマシ。そんな、あまり上等とは言えない慰めを伝えたいのかもしれませんが、どちらにせよ、目の前の人の訴えそのものを無効にしてしまっている、という点は同じです。

確かに他にもっと大変な人はいる。でも、今は私の話をしてるのに。誰よりも大変じゃないと、辛いって言うことさえ許されないの?
自分の話をいきなり一般化されてしまえば、私ならそんな風に思うことしか出来ません。

この人は全体を見ているだけで、私のことは取るに足りないと考えている、真剣に取り合ってもくれていない。そう気付いて、二度とその人に重要なことは話しませんし、お互いの無駄を省くため、以後はなるべく接する機会も減らすでしょう。


残念ながら、この〈あなたより大変な人もいる〉は、公的機関から個人間、リアルな世界からSNSの世界まで、あらゆるところで発せられます。
その言葉の陰で、崩れたり、消えてしまうものがどれほど多いか。勇気を振り絞って助けを求めた人が、引き下がらずを得ないばかりか、心を深く傷つけられることまで想像できます。

〈あなたより大変な人もいる〉は、連帯の場でしか使ってはいけない言葉だと思います。
一人で悩む必要はない、他にも辛い思いをしている人がいるから、一緒に進もう。そう誘いかける場合にのみ、この言葉は相手を傷つけず、救い得るものではないかと思のです。

それ以外の場合には、相手を否定し打ち砕くだけで、あなたの苦痛は一顧だにする価値もない、暗にそう伝える効果しかありません。
そんな場で、人間味や思いやり、想像力などといったところで、ウエットすぎる、理解不能と一蹴されてしまうでしょうが。

もちろん和菓子屋さんの奥さまのように、プラスに捉えるかたもいます。それで元気になった、という心持ちであるならば、結構なことだとも思います。
ただ、世の中にはいろいろな考えがあり、目の前の人と向き合わず、いきなり主語を大きくして処理しようとする人が私は苦手だというだけです。


和菓子屋さんの奥さまは無事に手術を終えられました。
おかげさまでよく見えるようになって、と朗らかな笑顔を見るのはうれしいものです。
また近いうち、美味しいお菓子を求めるついでに、奥さまに会いに行こうと思います。

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