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【ショートショート】 珈琲屋店主に安心を!(前編)

珈琲屋を始めて10年以上が経過した。
私には始めたときからずっと欲しいと思っていたものがある。それは高級な材料でも立派な設備でもない。少なからず自営業者なら誰でも欲しいと思ってしまうものだ。

「ここか、ついに欲しかったものを手に入れるときがきたぞ」

私は地図を頼りに、あるお店の前にたどり着いた。
店の看板には「安心ショップ」と書いてある。さっそく扉をあけ、店員さんに尋ねた。

「わたくし、自営業で珈琲屋を始めて10年以上がたちます。今日は始めたときからずっと憧れていた「安心」を買いにきました」

ショーケースを挟んだ向こう側には品のいい女性店員が立っている。
「それはようこそおいでくださいました。今日はどのような「安心」をお探しですか?」

ベテランなのだろう、口調が落ち着いている。

「はい、わたくしは零細個人事業主であります。大した資産もなく、日々の収入も不安定なことが心配です」
「それは大変ですね。では、こちらの商品はいかがでしょう?」

店員は奥の棚から、うやうやしく桐の箱に入った立派な「安心」を持ってきた。箱には『極み安心』と金で箔押しされている。

「なんだか高そうですね。一体いくらなんですか?」
「当店はお金では販売しておりません」
「えっ、じゃあどうやったらいただけるんです?」
「基本的には「安心」は相応の「自由」と交換しております。ですが、こちらの「安心」は最高級のものになりますので、さらに多くのリスクもとっていただかなくてはなりません」

リスク!

思わぬ返答に私はおそるおそるたずねた。

「具体的にはどのようにするとよいのでしょう?」
「今のお話を伺っていると、不安定な収入が不安の原因となっております。ですので、不労所得のような安定した収入があれば安心してお仕事を続けられるのではないでしょうか?」
「確かにそのとおり。わたくしは不労所得という言葉が大好きです。いつも道端に落ちていないか目を皿のようにしております」
「残念ながら落ちてはおりません。不労所得をお望みであれば不動産や金融資産を持つ必要があります。ご存知かと思われますが、大変なリスクを伴います。うまくいけばこの『極み安心』を手に入れることができますが、失敗した場合は目も当てられないことになるかと・・・」
「め、目も当てられない・・・」
「はい。資産はおろか雀の涙ほどしかないお客様の信用も失います」

なぜ私の信用が雀の涙ほどしかないと決めつけるのだろう?多少引っかかったが、初対面なので聞こえなかったふりをする。

「わたくし、こう見えて石橋を割れるまで叩いている口でして、過度なリスクは取りたくないのですが・・・」
「わかりました。ではもう少しリスクのない手頃なものを探しましょう。自営業のいったい何が不安ですか?」
「そうですね、「明日はどうなるかわからない」といった漠然とした不安が常にあります」
「それでは、こちらの商品がうってつけかと」

次に持ってきたのは綺麗な和紙に包まれた箱であった。箱には『まあまあ安心』と書かれている。

「こちらの商品はリスクの少ないものになっております」
「いいですね。では、わたくしはどのようにすればよいのでしょうか?」
「事業が「明日どうなるかわからない」という不安には浮き沈みのない安定が必要です。それには公務員になることをお勧めします。」
「安定か、たしかに自営業には無い言葉だ。さっそく、そちらを頂きましょう」

私は興奮をおさえ、落ち着きをよそおう。

「かしこまりました。では、こちらの商品は「自分のやりたいようにやる自由」をお支払いいただきます」
「なんと?公務員になると自分のやりたいようにはできないのですか?」
「はい、おおむね。それよりも割り振られた業務をキチッとこなす能力が必要です。部署によっては厳しい監査もありますので、個人的な想いで仕事をしていては叱責をうけます」

仕事を自分のやりたいようにできない・・・。私は暗い気持ちになった。

「わたくしは売上を上げるために何をするかは自分で決めたい。自分で決められるからこそ、結果が出たときの喜びが味わえるというものでしょう?それができなくなるのですか?」
「そのかわり事業が「明日どうなるかわからない」という不安がなくなります。将来に渡って潰れることもありません。自己実現がしたいならお休みの日になさってはいかがでしょう?副業にならない範囲で・・・」

ダメだ。いくら安定とはいえウィークデーを休みの日のために働くなんてできない。落胆した声で私は答えた。

「どうやらこの商品もわたくしには向いていないようだ。仕事で自己実現できないなんて魅力を感じない」

店員はキョトンとした目でこちらを見つめている。

「困りましたね。もう一度お伝えしますが、「安心」を手に入れるには「自由」を頂かなくてはいけません。自営業の「自由」を残したいのであれば、不安は仕方のないことなのですよ?」
「そ、それはわかりましたが、程度の問題でして。もう少し裁量に自由度があるものはありませんか?そのためなら少々の「安心」を削っても構いません」

短い沈黙のあと、鼻から小さくため息をついて店員は言った。



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