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【ショートショート】 珈琲屋店主に安心を!(後編)


「なるほど。ではこちらの商品はいかがでしょう?うちでもスタンダードなものです」

店員は普通の紙箱に入った「安心」を持ってきた。箱には『まだまだ安心』と書かれている。

「先ほどのものよりリスクは上がりますが、それでも今のお客さまよりは「安心」を得られるでしょう」
「わたくしにはそのくらいが丁度いいのかもしれませんね。どのようにすればいいのでしょう?」
「サラリーマンになることをお勧めします。出世をしていけばある程度の裁量も得られます。運良く企画の仕事を任されたら、あなたのアイデアが活かせることができるかもしれません。しかも毎月の安定したお給料がいただけますし、怪我や病気、メンタルの不調などで休んだ場合も、ある程度のお給料が受け取れます」
「す、すばらしい!自営業では考えられない!もし自分が働けない状態になったらどうなってしまうのかいつも不安に感じておりました」
「では今度こそ決まりですね?」

もはや店員の目は笑っていない。

「・・・・。あの、今度はどんな「自由」を支払わねばならないのですか?」
「そうですね、細々としたものが多いのですが、一番は「人間関係の自由」を頂かなくてはなりません」
「人間関係ですか?」
「はい。個人でお店をなさっているあなたは比較的いい人間関係をお築きですね?それはスタッフ採用もあなた次第ですし、常連客の多い個人店は自然と訪れる人もあなたに合う人になっていきます」
「サラリーマンは違うと?」
「組織が大きくなれば合わない人間の一人や二人は必ずいると思って間違いありません。そして、組織はあなたの人間味を評価してくれるわけでもありません。評価は仕事の生産性なのです。顧客というのも経済的な結びつきがあってのことで、個人的にあなたと気の合う人と関わるわけではありません」

一緒に働くスタッフや仲の良い常連さんの顔が思い浮かぶ。

「しかし、毎日そんな人間関係を送って、豊かな人生と言えるのでしょうか?」
「経済的な豊かさと社会的な豊かさは分けて考えて頂かなくてはなりません」

またしても私は暗い気持ちになった。

「弱ったなぁ。わたくしにはそのストレスに耐える自信がない。この10年、人には恵まれてきましたから・・・」
「どうもお客様には「安心」は向いていないのかもしれませんね。いつまでも「自由」をしがんでいたら「安心」は得られませんよ」

し、しがむ・・・。

「そこをなんとか。もう少しだけ「安心」を増やしたいのです。お客さんが来ない日の不安や支払いが多くて手元の資金がなくなるときの不安など、そんな小さな不安だけでも和らげたい。お願いです、贅沢はいいません」

「・・・・、これが最後ですよ」

一瞬、舌打ちされたようなにも見えたが、店員はそれを隠すように後ろを振り向き最後の「安心」を持ってきた。もはや箱ではなくティッシュに包まれている。さらに表面には手書きで『安心?』と疑問形で書かれたメモが貼られていた。

「こちらの商品ですとお客様のおっしゃるような対面でのコミュニケーションも可能です。コーヒーをお仕事になさっていたのなら、知識や経験も活かすことができるでしょう」
「まさにわたくしにピッタリではないですか!で、どうすればいいのです?」
「カフェチェーンのフランチャイズに入ることです。売上の減少や各種の問題についての対応策など本部の人に相談に乗ってもらえるでしょう。ただし、この商品は自営になりますので不安は無くなりません」
「なるほど、「安心」とまではいかないが、今より不安は和らぐかもしれない・・・」
「こちらにお決めになさってはいかがですか?今なら少しお安くしておきますよ」

悪い商品でない。しかし、私はどうしても譲れない部分について聞いてみた。

「わたくしは仕事の上で一番楽しいことはお客さんに喜んでもらえることです。それもマニュアルではなく、自分で考えて、それを実装していくサービスが一番楽しい。新しいことを思いついたときにはワクワクするんです。自分たちの手で作ったものを食べて喜んでもらえたときには幸福感が得られます。たくさんの方にお越しいただくと、自分たちの築いてきたものが肯定されたような気がします。フランチャイズだとその喜びは味わえませんよね?」

店員は感情を抑えた声で諭すように私に告げた。

「それは仕方がありません。「自由」だからこそ味わえる喜びというものがあるのです。「自由」と不安は表裏一体です。不安だからがんばれる、不安だから喜びも大きくなる。自由度でいえば個人で独立していることに勝るものはありませんから。そもそもお客様は「自由」に憧れて独立をなさったのではないですか?お仕事において「自由」と「安心」はトレードオフなのですよ」

「自由」と「安心」はトレードオフ・・・。

「そうなのですね・・・。わたくしのように「自由」でありつつ、「安心」も手に入れたいなんて虫がよすぎるのですね・・・」

悲嘆にくれる私をみて、同情の声で店員は告げた。

「どうしても両方を手に入れたいのなら、ほらコレ」

先ほどの『極み安心』を目の前におき、それをポンっと手で叩いてみせた。

「そ、それはけっこうです・・・。顔を洗って出直してきます」


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