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僕が寄席に魅せられるワケ - 落語とThe Kinks。

落語、というか寄席が大好きなんですよ。今。
その理由について、少しだけ書いてみようかなと思います。

「増田さん、落語を見てください!」

きっかけは突然だった。

偶然知り合った女性との喫茶店。青山での出来事。
ある程度、仕事の技術的な話を終えて、散歩しながら青山の国連大学前で開催しているファーマーズマーケットで
開催しているマルシェの1つの出店で、僕がイギリスのロックバンド、The Kinksのポスターを衝動買いしたことがきっかけだった。

僕は、正直落語が苦手だった。
数年前に体調をひどく崩し、長期入院していた頃、そこにはインターネットはなく、ラジオだけがあった。
眠れない夜のお供は、NHK第一放送のラジオ深夜便への乗車。

そこで時々、落語を放送するコーナーがあった。
僕は、眠れない夜にラジオ深夜便を聴きながら眠るのが好きだった。

理由は特に気分が高揚することもなく、一人きりの病室で、誰とも会話のない日々に、淡々と語りかけてくれるから。
そんな理由で聴き始めたこのラジオで、お気に入りのコーナーは、スタンダードナンバーやジャズを流してくれたり、
日常の話題を専門家が分析したりしているゆったりとした語りだった。

そこに現れた落語は、抑揚のある口調で、1人の噺家が複数の登場人物を演じ、物語を語る。そして、登場人物たちは少し抜けていたり、
間違いを犯したりしながら日常を送る。
ラジオから流れてくる音声に集中しないと、すぐに話を見失ってしまう。だから、付いて行くことができない。
それは、何万人もいる深夜便リスナーの中で、孤独な病室で自分だけが取り残されているかのような感覚になった。

そのせいか、落語は自分にとって「わからないもの」という認識が付いてしまっていたと思う。
何だか、小難しいものとしての意識づけ。
「ああ、また落語かよ。」そんな気分にさえなった。

病気とさようならして、社会に戻り、その「ある日」は突然訪れた。

The Kinksのポスターを買った後、僕がスタンダップコメディの公演に関わっていることを話し、彼女に公演の動画を見せた。

「寄席に行ってください。」

即答だった。

「柳家喬太郎さんという方と春風亭一之輔さんという方がいます。すぐに見に行ってください。」

そう言われた。理由は、The Kinksを好きな理由が、フロントマンのレイ・デイヴィスが、イギリスの一般庶民の日常や夢、ささやかな希望、生活をトラジットコメディー(悲喜劇)と呼ばれる手法で
短編集のように歌っていることが好きで、さらにそれが最高のポップソングとして「聴けるもの」として成立しているから。と説明したこと。
さらに、大好きなスタンダップコメディは、演者それぞれの視点で、社会風刺をしてみたり、話題の出来事を大人の本音で「笑い」に変えてエンターテインメントとして成立させていることが好きだから。
と答えたからだ。

そこで彼女は、冒頭の「落語を見に行ってください!」と言ったわけ。
本音を言えば、「一緒にじゃないんだ!」という若干の落胆と一緒に、新しい世界を覗きこむことができるのかもしれないという淡い期待感が脳裏に浮かんだ。

偶然にも、僕の住んでいる西日暮里から近い、上野の鈴本演芸場で、すぐに柳家喬太郎師匠と春風亭一之輔師匠が出演していた。
機会は2日後にやってきた。

そこで僕が目にしたものは、「え!?」という驚きの世界観だった。

先の2人は当たり前。「とにかく何かすごいお話をする人」という印象。
その時聞いた演目は、柳家喬太郎 - 任侠流山動物園。
清水次郎長をベースに、千葉の流山動物園と上野動物園の動物たちがそれぞれの動物園の立場、メンツをかけて決闘する物語。

この話を聞いた瞬間、自分の落語へのコンプレックスは崩壊した。
昔の有名な物語を、モチーフを変えるだけで、こんなにポップになる。そして、誰もがうっすらと知っている清水の次郎長の物語まで聴いて比較したくなる。
「落語はもしかして進化し続けているのでは・・・」何も知らないほぼ初めましてさんの衝撃ったらなかった。

もちろん、トリを務めるこの一席のウルトラハイクオリティな世界観に飲み込まれたのだけど・・・。

それ以上にインパクトを与える出来事があった。
柳家小ゑん師匠による「ぐつぐつ」である。
何と、「おでんが喋る」のだ 笑。
屋台で次々と売れていくおでんたちのある意味、競争社会とも言える関係性をコミカルに話して行く。
もう一度言う。「おでんが喋っている」のだ。

落語というのは、ある一定の登場人物たちが、日常の中で会話の行き違いや、すれ違いで関係性がずれたり、勘違いしながら話が進んでその絶妙なズレの中から面白さを探していく難しさがあると思っていた。要は自分ができなかったから。

それが、「喋るおでんの哀愁漂う物語」が予測たりともしないタイミングでやってきた。
当たり前だけど、ただ、笑った。なんか、仕事に悩んでいる自分、こんなに笑ったのだろうか?と思い出そうとしてしまうくらい、笑った。

だって何度も繰り返すけど、「おでんが喋る」のだから。その設定以上に、物語としての流れの心地よさがあった。
(ほっとけない娘も大好きですし、別の回に拝見した「大地よ!」から始まるお話には正直雷が落ちました)

その後に登場する一之輔師匠の声の通り、話の聴きやすさ、演目の世界観を表現する力にも圧倒された。

そこから繰り返し鈴本演芸場に通ううちに、文蔵師匠や、一朝師匠などに出会い、古典(合っているでしょうか・・・)の面白さや、
同じ演目でも噺家が違うと独自の世界になっていくことを知った。

僕は、落語に夢中になった。こんなに日常生活を書く噺家さんの切り取り方で違って見える。まるで、僕の大好きなスタンダップコメディの世界。
そして、世の中の皮肉り方を笑いに変えていくこと、喜怒哀楽を誰かからお金を取れる世界に変えてくことはThe Kinksに通じるから。

そんな風に「今日もあの演目が聴きたい!」だとか、「他のお話をしたらどうなるんだろう!」という気持ちから、夕方、昼間の空き時間は自然に寄席に通うようになっていた。

ただ・・・そこでは終わらなかった。間に登場するギター漫談のぺぺ桜井さんや、奇術(手品ですね)のアサダ二世さん、ダーク広和さん。髪切りの師匠たちを見ているうちに、むしろ、その無限ループのような繰り返される世界の心地良さに安心感を覚え始めていたからなのだ・・・。

だって、考えてみてほしい。

こんなにも安心して笑うことのできる世界が毎日東京のどこかで行われていて、定番も新しいものもあり、自由に出入りできる場所がある。

それってとても平和で、拠り所があるってこと。つまりは、幸せな時間を自分は持つことができている。という事に違いないから。

他にもめおと楽団のジキジキさん。針金で様々なものを作ってしまう音曲漫才のおしどりさんなど、落語以外の楽しみも多い。
おしどりさんに至っては2回も作品をもらいたくて前方に座ってしまった。

と、まぁ、愛だけを語ったところで「寄席」って何だろう。と冷静に考えてみた。

もちろん、様々な演芸を3000円近くで半日楽しめる。池袋演芸場に至っては、丸一日いれる場所。であることが大前提。

しかし、僕は思うのです。「限られた空間の中で、その日しか出てこない話題を来た人だけで共有できる特別な場所。しかもラフに!」と。

きっと、みんなでその場の時間を別に知り合いでもなくても一緒にそこだけのお話を聴きながら共有して、連帯感を生み出しているんだろうなと。
だって、僕たちが笑ったり、拍手を一緒にしなかったらただの誰も笑わない講演会でしかないんですもん。

だから、ここに来ると、「1人じゃないよ!」と思ってしまうわけです。

さらにです。落語のまくらという冒頭のお話から自然に演目の本題に入る流れ。これ、プレゼンテーションとかの前段やんけ。と。
そして、その話題の持って行き方なんてちょっと自分にとって次元が違いすぎて(当たり前)。

こんなにさらっと日常の話題やニュースを取り入れながら演目に入れるなんて、尊敬しかないのです。

他にも彦いちさんの長島の満月




掛け声指南






も最高です。

他に繰り返し様々な噺家さんがお話するのを聴きながら、
湯屋番、岸柳島、権助魚も大好きになりました。

漫才のホームラン先生、ロケット団さんも何度聴いても大好きです。


流石に先週、先々週にほぼ毎日池袋演芸場に通うのは「ちょっと・・・」と言われましたが、仕方がないのです。

アサダ先生を見て、「今日も平和だな」と噛み締めて帰りたかったからです。

もし、機会があればそんなにハードルが高いわけでもなく、ふらっといつもと違う日常を噺家さんの視点で触れたら、多分、普段の生活でいつもと同じ日常も少し新鮮に見えると思うんですね。

もちろん、今、端から端まで様々な噺家さんに触れている最中で、演目も大して知らないし、むしろ、これから広大な沼が広がっている楽しみでしかないのです。

だから、皆さんも、「言葉の魔法」を感じ、浴びに、気軽に寄席行ってみてはいかがでしょうか?と思います。



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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。