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俺のワックスを勝手に使うな

いつもより減りが早いような気がした。気のせいだろうか、僕が毎朝髪に塗布しているヘアワックスの重量が日に日に軽くなっているのだ。もちろん僕自身が使っているのだから必ず減るのだが、減り過ぎである。

「気のせい」が「確信」に変わったのはそのワックスが突如として姿をくらましたときのことだ。

僕自身何故かは分からないが、最近モノをよく失くす。だからこそモノには住所を定めて注意を払うようにしている。それなのにも関わらず手のひらより少し小さいくらいで割と目立つワックスを失くしてしまったのか…… 愕然とした。

床に転がっているのではないかと思って床に這いつくばってみる。ない。いつも置いている棚をもう一度確認する。ない。

まあそのワックスも残量が10分の1くらいであったから失くしてもダメージは少ないが、割と大きめのモノを失くしてしまうのは自尊心や自己肯定感を失くすことに帰着する。

その日はいつもより多めにヘアトリートメントをつけてなんとかした。

帰宅後、いつも通りシャワーを浴びた後に棚を開けて化粧水を手に取った。裸眼だったから幻だと思ったが、棚を開けたときにワックスがぼんやりとそこにあるのが目に入る。

化粧水を肌に浸透させるのを忘れて、急いで眼鏡をかけなおす。棚を開く。

ある。あるではないか。しかし、朝の時点ではそこにワックスはなかった。怪奇現象である。トイストーリーと同様ワックスにも感情があり、「ナツキが来た!」と言って元いた場所に戻ったというのか。いや、そもそも僕を騙すことができるとでも思っているのかワックスよ。

しかし当然ながら犯人は人間である。僕が目星をつけたのは最近野球部を引退して髪の毛がチョロチョロと生えてきた弟である。

彼の髪の毛が伸びてきたというのもあるが、ワックスが失踪したその日、彼は高校の文化祭であったのだ。つまり普段からこっそりと兄貴のワックスをつけているが、その日は文化祭であったため(格好つけるためにも)追いワックスが必要であったのだろう。そうして彼は無言で僕のワックスをかっさらっていったのではないか。

とはいえそのワックスは彼の所有しているものではないため、最終的に元の棚に戻った。あるいはコソ泥的な思考で何事もなかったかのように戻したのではないか。

僕の内心にいる古畑任三郎がそう言っているのだから間違いない。

となれば今度は確信的な証拠が必要性である。だが、我が家の内部に防犯カメラはないしワックスの指紋採取やDNA鑑定をするにしても多大なる金と労力がかかる。

令状を発行して逮捕することはもはや不可能。現行犯逮捕を狙うしかない。

翌朝、僕は彼が学校へ行く時間に合わせていつもより早起きした。そして彼が洗面所に入っていくのを待った。そう、「張り込み」である。朝なので食欲がなく「あんぱん」を食べることはできなかったのと、「牛乳」がなかったので代わりといってはなんだけれど豆乳を飲みながら彼が洗面所へ入っていく瞬間を睨んで心待ちにしていた。

彼が洗面所へ入ったのは僕が豆乳を2口つけた程度のかなり早い時間にやってきた。ただここで慌ててはならぬ。早めに入った挙句、僕が抑止力になってワックスを使われないなんてことになれば現行犯逮捕は不可能だ。

彼がワックスを使っている場面にそれとなく出くわす。これが理想。

水道を垂らす音が聞こえる。顔を洗っているのだろう。まだだ。突撃したい衝動をぐっと抑える。彼はタオルで顔についた水を拭き取っている。

ガタンッ。

棚が閉まる音がした。今だ。突撃!

やはりそこには色気付いた高校3年生の姿があった。僕のブルーのワックスを手に取って必死で髪に付着させている。まだ坊主に程近い髪の長さで、だ。彼は口を半開きにして黙りこくり、どこか気まずそうな表情をしている。

「何で勝手に使ってるん?」
5秒ほどの沈黙があった。

「……ごめん」
彼はただ一言、それだけを呟くように言ってベタベタの手を洗わずに洗面所を後にした。

ワックスくらい貸してやれよケチ野郎、と思われたかもしれない。しかし考えてほしい。僕が今使っているワックスは「クールグリース」。一昨年くらいにたどり着いた僕のワックスの答えなのだ。

ヘアワックスは数式と一緒で段階を踏まなくてはならない。高校生がクールグリース?生意気すぎるね。僕からすればそれは高校生でロイヤルホストに行くようなものである。マクド行っとけや。

少々辛口になってしまったが、愛情の裏返しでもある。例えば高校生の外食でロイヤルホストしか行かなかった人間は歳を重ねて大人になって、マクドナルドのメニューを見て「懐かしい」という感情が湧かなくなるのだ。それはまことに由々しき事態ではなかろうか。

それと一緒でギャッツビーのムービングラバーを知らない大人になっていいのか、という彼に対する僕なりの愛情である。

ちなみに僕はこれの茶色を高校生のときに毎朝つけていた。この変わらぬデザインといい香りといい、そこには青春のストーリーがあるのだ。

友達と色が被らないように買ったクルトガのシャーペン。部活後のコカ・コーラ。放課後の家系ラーメン。そこに我がクールグリースを加えてはならぬだろ!!!

彼に注意を促した翌朝、僕は眠い目をこすりながら洗面所に行くと、弟はまた僕のワックスを使っているのである。首元を掴んで問い詰めたくなったが乱暴な真似はしません。

上記の話を淡々としました。このワックスを高校生がつけるものでないことを真剣に。無論、高校生であってもギャッツビーを通っていれば僕は何も感情的にならない。が、ギャッツビーを通っていないのである。それが大罪だ。

モノには順序(プロセス)がある。初めての化粧水はSK-2ではなく、ハトムギか無印なのだ。僕が力説すると、彼は不貞腐れたように洗面所を出ていく。

全く、色気付きやがって。僕が高校生のとき、毎朝時間をかけてギャッツビーでヘアセットをしていたときによく母や祖母から皮肉をきかせて言われたものである。

「好きな女の子でもいるのか」と。

好きな女の子は高校時代いたことにはいたが、3年間毎日毎日いたわけではない。今だっていないけれどヘアワックスをつける。当たり前のことではないかと思っている。

しかし、今になって家族が色気付くところを見ると当時の母や祖母の気持ちがなんとなく分かってくる。

ギャッツビー理論とかを上記で展開してきたが、結論はこうだ。

「色気付く家族、何かムカつく」

とりあえず彼の次の誕生日にはワックスをまとめ買いしてあげようと思っている(もちろんギャッツビー)。

「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!