見出し画像

ヤバい喫茶店

国内旅行よりも海外旅行の方が好きだ。理由は刺激的だから。まあそれは国によるか。とはいえ、国内旅行であっても刺激がない訳ではないし、僕が去年訪れた岐阜の飛騨古川のとあるカフェはこじんまりとしているのに超絶刺激的な場所であった。

僕たちが岐阜に訪れたのは春を待ち侘びる最中で、まだみぞれが降るような2月のこと。学部時代、バイト先で仲良くなった男友達二人との一泊二日の旅だった。この旅一番の目玉が白川郷なのか、それとも飛騨高山なのか、それは行ってみなければ分からない。

東京駅始発のHISのツアーバスに遠足気分で乗り込む。なぜかは分からないが一泊二日で宿泊費(朝食込)とバスツアー代含めて15,000円という破格で旅することができたから、車ではなくバスツアーという選択に至った。

バスに乗ってあーだのこーだのくっちゃべっていれば目的地に着くので、思考停止でも旅ができるという点では個人旅行に勝ることはない。一方で時間的な拘束があることが何よりの懸念であることも間違いようがない。

初日は寒さで凍えながら白川郷を散策したのをよく覚えている。その寒さのせいもあって、白川郷の見学時間を持て余すことになったのだ。個人旅行であれば30分で十分なのに、たっぷり2時間の自由時間。

日本の原風景に期待を寄せていたが、ごった返す人、人、人。オーバーツーリズムのせいなのか、寒さのせいなのか、あるいはその両面が興醒めを後押ししたと考えている。

とはいえ時間を持て余したし、暖を取るという本来あるべきではない目的で入った和田家という民家の見学は割に楽しかった。物事は外側や表面をなぞるだけでは本質に辿ることはできない。一方で実際に中へ入って分かるその構造たるや。日本の原風景は家屋の中へ入らずには分からないだろう。

いや、そもそも和田家の家屋が暖かかったから楽しいということもある。

しかし、この旅のハイライトが白川郷(和田家)になることはまずないだろう。悪い場所ではないが、オーバーツーリズムと寒さに勝る世界遺産などきっと世界を飛び回ってもそうそう存在しないのだ。

和田家は豪族であった。

ではこの旅一番のハイライトはどこかといわれれば、それは飛騨高山で食べた絶品ラーメンか。

このラーメンが不味いわけなかろう。

美味かったけれども、違うかな。あるものと比較するとインパクトに欠ける。

ではホテルでビールを片手に交わした談笑か。楽しかったけど、翌日に訪れた喫茶店の雰囲気が異様すぎて何を話したのか忘れてしまったではないか。

つまり、この旅1番のハイライトは飛騨古川のヤバい喫茶店になる。

白川郷へ足を運んだ翌日。午前中は自由時間だったので高山駅から飛騨古川駅まで高山本線という今後一生乗らないのではないかと思うくらい縁のなさげの電車に乗って移動した。

改札口にいる車掌さんに切符を切ってもらうという何十年ぶりの経験もできたし、田園風景と山、僕たちの年齢よりも築年数が経っているような民家を車窓から眺められるこの電車は個人的に「白川郷の原風景」より原風景っぽさがあって好みである。

えも
えっも!

白川郷を観て「エモい」と発する若者は高山本線に乗車したら「いとぞエモしき」と自然に係り結びで強調表現ができるのではないかと思うくらいに懐古主義の塊のような場所であった。

えっっも!!!
※筆者は簡単に「エモい」という言葉を使う若者が得意ではない。

さて、そのヤバい喫茶店は飛騨古川駅から歩いて10分くらいのところであったと思う。店の名もメニューも分からないが、なんとなく雰囲気が良さげという理由(あるいは集合時間まで時間を持て余すから潰さなくてはならない)で入店した。

入店すると、還暦すれすれの感じのいい女性従業員が僕たちを出迎える。
「何名様ですか?」
「3人です」
友人の一人がそう答えると、そのおばさんが席を通してくれた。

「お好きな席へどうぞ!窓際がおすすめ」
そう言われるともう窓際しか座れないであろう。飛行機の座席は通路側が好みでも、窓から富士山が見えると言われれば、窓際に座りたくなるのが人間というものではないか。

メニューを渡され、僕たちは紅茶とコーヒーを各々注文する。またあーだのこーだのと尽きぬ話をしていると、先ほど席を通してくれたおばさんが熱々の器を持ってきた。お盆で持ってくればいいのに、「アチアチッ」と独り言を呟いている。

「はい、お待たせしましたあ〜。ラーメンです」
僕たちは顔を見合わせる。いや、誰もラーメンを頼んでいない。朝食ビュッフェでたらふく食べた結果、食べ物を見るだけで若干気持ち悪くなっている矢先の唐突ラーメンはかなりヘビーだ。メンヘラ彼女、元広島カープのエルドレッドの体重に次ぐ重さである。

「あ、頼んでないです!」
僕がそう言うと、「あ、ホントにっ?、失礼しました」とおばさんは目を合わさず、ラーメンを見つめて言った。

人間、間違いは誰でもあるのでこの程度なら何とも思わない。むしろお盆を使わずにアチアチと呟きながらラーメンを他の卓に運ばなければならないおばさんに同情する。案の定、彼女はまたアチアチと独り言を呟きながら別の卓へ向かった。

しばらくして僕たちの本命である紅茶とコーヒーが運ばれてきた。僕は紅茶をいただいたが、とても深みのある味わいで美味だった。

高貴なマグカップを片手に談笑するというのは非常に有意義な時間で、気づけば美味しい紅茶も無くなっていた。

「すいません。お冷いただけますか?」
おばさんが近くを通りかかったので、僕が声をかける。

「お冷!?」
おばさんは目を丸くして固まっているのである。

「冷酒ですか????」

お冷という言葉は古今東西、「水」を意味するものであると思っていたが、ここ岐阜では通じない言葉であったのか。あるいはこのおばさんは酒ヤクザなのか。それとも、「あ、じゃあ冷酒でいいですよ」という返答を狙ったアル中をターゲットにした甘い誘惑(営業)なのか!?

とはいえまだ午前10時を回ったくらいの時刻である。この時間から冷酒を頼むというのはアル中以外、にわかに考え難い。

「あ、水です。お水ください」
僕は苦笑いで彼女に声をかけると、「あー水ね、ただいまお持ちします」と、東大王がクイズで誤答をした後の解説時のような、プライドを持ちながらも納得した面持ちの様子で返答をし、厨房へ消えていった。

僕たちは顔を見合わせて、ニヤニヤとする。
「えっと、確認だけどお水のこと『お冷』って言う?」
僕が二人にたずねる。
「言う」
彼らは口を揃えて即答した。

「よね、僕が違うのかと思ったわ」

それ以降、僕は店員さんにお水を頼むときに「お冷」と言うことはめっきりなくなった。「お水」というようになったのはこの不思議な経験からである。自分が当たり前に思っている価値観が世間の常識ではないことなんて往々にしてあることだ。しかし今考えれば、あのとき仮に「お水ください」といっても「冷酒ですか?????」と言われるような気がするのはなぜだろう。

この喫茶店の話はまだ終わらない。

僕たちがそろそろ出ようかといって席を立ったあと、出入り口の前にあるレジの前に行くと「お会計ですね」と、今度はおじいちゃん従業員がやってきた。会計は代表して友人が建て替えてくれたのだが、そこでの業務的な対話が終わる折に「レシート入りますか?」といった別れ文句を突きつけられる。

友人は「あ、いらないです」と述べたが、おじいちゃんは「レシートいらないのね。はい、ありがとう」と言って友人へレシートを差し出す。

友人はお人好しなので、そのまま差し出されたレシートを受け取って苦笑いの表情を浮かべている。

店を出たあと、あれは友人が述べた「あ、いらないです」を聞き取れなかったのかなと話をしていたが、確かにおじいちゃんは「レシートいらないのね」と呟いたのだ。そしてその1秒後にレシートを差し出してきた。うん。ヤバい喫茶店だ。そう言って僕たちは寒空のしたでまた笑った。

おじいちゃん、働きすぎで疲れているのではないかと半ば心配しつつ、そんな記憶に残る思い出を与えてくれたのは間違いなくあの喫茶店である。

僕たち3人は今でも定期的に会うんだけど、必ずといっていいほどこの岐阜の喫茶店の話はするし、いつも盛り上がる。ちなみに僕がこの二人と会うときにはお水を「お冷」と注文するように心がけている。

もう一度岐阜に行ったら何をするのか。それは言わずもがな。

刺激的な経験をありがとう。

これはいつまで経っても色褪せない、僕たちのハイライトである。





この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この街がすき

「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!