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トゥクトゥクドライバーとの心理戦

キャンディの駅に着いたのは夕暮れ時のことであった。ただし、スリランカで見る夕焼けはお預け。冷たい雨脚が強く、ホテルまでの3キロはトゥクトゥクを使うことにした。

便利なことに、ここスリランカでもスマートフォンでタクシーを呼ぶことができるようで、日本で予めインストールしておいた「Pick me」というアプリを立ち上げる。シムカードも空港で買っているので使えるはずなのだが、電波が悪いせいか画面は永遠とぐるぐるし続けている。

思ったよりも順調にキャンディまでたどり着けたので時間だけはある。電波が繋がるのを気長に待とうと思い、僕は小さな駅の改札の前で雨宿りをしていた。ぐるぐると渦巻くスマホの画面を、つい数分前までの列車の車窓からの景色と同じように眺めていた。

「ヘイ、これからどこに行くのさ」
覚悟はしていたが、どこにでもいるトゥクトゥクの勧誘である。彼らに乗せて行ってもらっても構わないのだが、なんせ相場が分からぬからぼったくられる可能性が高い。それに配車アプリが一番安いという情報は事前に得ていたから、とりあえずトゥクトゥクドライバーにはアプリを使ってホテルまでいくことを伝える。

「分かった。じゃあ、そのアプリと同じ価格にしてあげるから」
とは言うものの電波が悪くてアプリがいっこうに開かないのだから、値段を揃えることはできようがないのだ。

「今、電波悪いからアプリの価格が分からないんだけど、あなたならいくらで行ってくれるの?」
「んー700ルピーかな」

700ルピーとは日本円でおよそ350円ほどである。3キロ且つ山に位置するホテルまでこの強い雨脚の中走って350円は破格なのだが、ドライバーの最初の提示価格は相場よりも高く言っていることが海外(特に発展途上国のアジア)では日常茶飯事だ。しかも、コロンボからキャンディまで距離として100キロ越えの列車は250円だったのだから、たった3キロでそれを上回る金額は高い。

「それは高いわ。せめて600やな」
「おーん、いいだろう。600でいってやるよ」
下げようと思えばもっと下げられそうであったが、早くホテルで休みたいという欲望から100ルピー(50円)の値下げ交渉で踏みとどめてしまった。

「ここで待ってな」
彼は僕にそう言うと、同業者らしき男にシンハラ語で何かを伝えている。その男は駅前に駐車していたトゥクトゥクに乗りこんで、僕の目の前に停車させた。なるほど。僕に声をかけてきたのは営業担当で、ドライバーは別にいるということか。僕はスーツケースを座席の横に乗せて狭いトゥクトゥクに乗りこんだ。

トゥクトゥクはタイとカンボジアでも乗ったことがあるが、それぞれ国によって形状が異なる。タイのトゥクトゥクは広くて解放感がある。カンボジアのトゥクトゥクは車というより馬車の馬の部分がバイクになっているようなもので、風がびゅんびゅんと通り抜けて爽快だった。

カンボジア(クメール式)のトゥクトゥク

スリランカのトゥクトゥクはタイと同じく三輪車の形状だが都内のワンルームみたいな圧迫感がある。背筋を伸ばせば頭がついてしまうくらいの高さしかないし、スーツケースを持っていれば2人乗りは厳しい狭さである。

小さなトゥクトゥクとキャンディ市街地

日本で走る車の多くに寺社の交通安全御守りがぶら下がっているように、スリランカのトゥクトゥクには手のひらより一回り小さな仏がかなりの確率でぶら下がっていて、この車内にもそれが見受けられた。

「ナチュリア・ウォークホテル?」
ドライバーのおじさんがホテルを確認してきた。
「イエス。ドゥーユーノー?」 

おじさんは激しく頷く。トゥクトゥクは強い雨を浴びながらキャンディの街を走り出す。冷たい風が雨と共に車内に入って肌寒い。

「600ルピーだよね?」
確認のため聞いてみる。
「いや800ルピー」
ドライバーは渋い顔で言う。

「800!? 何言ってんの。さっきの人は600でいいって言ってたし」
声を荒げるまではいかないが、声量を大きめに威嚇するような怖い表情を頑張ってつくって言ってみる。海外ではいかに舐められないかが重要である。きっとモヒカンで汚い髭を伸ばすくらいの装いがベストなのだろう。

「600?そりゃないぜ。雨降ってるし、交通渋滞だし…」
ドライバーはそう言ってふっと息を吐き、続けて僕に言った。

「アーユーチャイニーズ?」
いや違うわ。まあ分かるんやで。確率的には東アジア人の中ではぶっちぎりで多いし。あるいは値段を下げてくる客層的にそういう判断をしたのだろうか。ただ、旅する中国人は金持ちが多いのでそんな値下げ交渉はしないと思うのだけれど。

「アイムジャパニーズ」
「オー、ジャパニーズ。フロムトウキョウ?」
出身は神奈川県小田原市ですが、通じる訳がないので適当に頷いておいた。彼はトゥクトゥクを10メートル走らせてまた口を開く。

「アーユーブッティスト?」
僕の英語耳のレベルが低いせいか、雨がアスファルトの上を叩きつける音が強いせいか、一発で聞き取れなくて前傾姿勢で「ア!?」と聞き返す。彼はもう一度口を開き、ようやく僕に対して「おまえは仏教徒か?」と聞いていることを理解した。

しかし言葉に詰まる。それは僕自身、国内旅行に行けばどこかしらのお寺に入って手を合わせることが多いし、小学生のときの夏、早朝のラジオ体操が行われたのはお寺の境内の一角であったほど仏教は身近な存在として育ってきた。信仰はしているのだろうが、スリランカ人の彼らのように強い信仰心は持ち合わせていない。

イエスと言うのはどこか違うし、何より信心深い彼らに失礼ではないか。かといって仏教は僕にとって全く関わりのないものではない。祖父に「うちは日蓮だ」と聞かされたことだってある。僕は迷った挙句、彼には「アリトル」と答えた。通じたのかは謎であるが、彼は「はあーん」と表情を変えずに相槌を打った。

「じゃあさ、ホワイトブッダとか興味ない?」
彼はこちらを振り向いて話す。ちなみに車は動いている。頼むから前を向いてくれ。

おそらく僕がホワイトブッダに興味があると言えば、明日そこへ連れていくからいくらでどうだ、みたいな交渉がはじまるのが目に見える。なお僕はホワイトブッダに興味はない。このおじさんの話を聞くにキャンディの観光地としては有名らしい。『地球の歩き方』にも掲載されていたから存在は知っていたが、キャンディでの優先順位は限りなく低い。

大きな声で「ノーサンキュー!」と答えたいが、「ちょっと考えさせて。明日決めるから」とあえてじらした回答をした。

というのも、僕がカンボジアを旅したとき、同様のパターンでトゥクトゥクドライバーから翌日のツアーに誘われるということがあった。結局そのドライバーの提示する金額は安かったし明るい人柄だったので3日間世話になったが、その場で翌日のツアーに参加するとは断言しなかった。するとどうだろうか。ホテルに着いてもチップを要求してくることはなかったのである。これはカンボジアに限った話ではないはずだ。

相手にとって「リピートする可能性の高い顧客」を演じることができれば、ドライバーも良心的になるだろうから、ぼったくりにあわずに済むかもしれない。

ホテルに着いたとき、彼は僕に名刺を渡してきた。そこには電話番号が記載されていた。

「明日、ホワイトブッダ行きたかったら連れていくから連絡して」
「ありがとう~」

無論、連絡する予定はない。

600ルピーを払うつもりだったが、雨だし、3キロとはいえ思ったよりも距離があるように感じたため、700ルピーをぴったり渡して颯爽とホテルのロビーに入った。やはり良心的な顧客を演じたからか、800ルピーを請求されることはなかった。

受付を済ませ、豪華とはいえない簡素な部屋でスマホを開く。ここは電波が強いみたいだ。配車アプリを開いて、駅からここまではいくらなのかを調べてみると、「500ルピー」との表示が出てきた。やはり配車アプリが一番安い。僕は名刺をゴミ箱に捨てた。おっちゃんごめんよ。やっぱアプリが一番だわ。

ただ、あの強い雨の中送ってくれたことには大変感謝している。駅で最初に声をかけてきた営業担当と男とドライバーの引継ぎはもっと上手くやってほしいところであるが。

荷物を整理して一息つく。辺りが夕闇に照らされる頃、冷たい雨が止んだ。僕はたった一人、夜のキャンディの街へ繰り出す。

つづく



【追記】
これ、現在連載中のスリランカ旅行記の4本目にあたるのですがまだ初日なんですよね。しかも全て移動の話という……
次回からようやく2日目に入ります。今度は移動ではなくキャンディの街についての話です。お楽しみに!

↑前回の記事もあわせてお読みください!


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