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48日目(メダカ)

保育園の近くで

市街地から少し離れただけなのに、森に囲まれた保育園の周りはまるで山深くまで入ったようで、周りの街の様子はまったくみえない。近くには里山があり、井戸がある。今は使っていない井戸の中にはメダカがいて、保育園の帰りに次女と遊んでいた。

擬人化

「めだかしゃん、おふろはいってるね」
さっきまで保育園の水遊び場にたっぷり浸かっていた次女の言葉だ。私たちは、ふとした瞬間、小さい子どもとお話しする時人間以外のものに「さん」付けし、まるでそこに魂が宿っているかのように話をする。めだかさん、はっぱさん、れんこんさん、ライオンさん。このように私たち日本人は、人間以外の生き物を擬人化し、親しみをもって接する文化を持っている。大人でも、お稲荷さんとか、お千代保さん(お千代保稲荷)など、神社を「さん」付けして呼ぶ文化がある。

日本語圏以外と日本の擬人化の違い

このような擬人化は、日本以外の国でも少なからずある。たとえば、動物を擬人化したキャラクターで人気のディズニー作品はそのいちれいと言えるだろう。一方で、日本ほど擬人化を極める国は少ないように感じる。

まず、擬人化の仕方が特殊である。ディズニーや機関車トーマスなどは、その容姿を残したまま擬人化されるのだが、日本の場合、擬人化されると完全に人の姿になる(鉄道擬人化、馬娘)。また、国旗などという極めて抽象的なものまで擬人化してしまう。

擬人化は日本人の美徳

ここまで来ると、もはやよくわからない。そもそも擬人化は萌えの文化と密接に関係していて、その発展具合は、その生き物やもの(あるいは概念?)はの愛着の強さと相関がありそうだ。そして、時にその愛着は少し歪な形をとっており、ある種のフェティシズムと同様である。常人には理解し難い。しかし、その一方で、擬人化されたキャラクターは割とどのキャラクターも個性的である一方でなんだか親しみがあり、優しげなのだ。もし、私たち日本人が生き物やものを大事にする文化を持っていて、それが擬人化につながっているのだとしたら、それは美徳と言っていいだろう。

日本の教育や現場で使われる擬人化

考えてみれば、色々な場面でこのような擬人化は使われてきた。保育園の手遊び歌では
「にんじんさん、ごぼうさん、あなーのあいた、れんこんさん♪」
と歌うし、小学校の低学年の教科書では、たぬきさんやきつねさんがよく出てくる。これを前時代的なものととる人もいるかもしれない。しかし、ついつい使ってしまうこの擬人化は、何か日本人の文化や特徴を表しているように思える。

スポーツチームと擬人化

文化人類学的には、人間は普遍的な行動の一つたして擬人化を用いてきた。原始的な人類の文化の多くはアニミズムに由来していて、トーテムという、動物などを模した、集団を象徴する印のようなものが用いられてきた。これらは、現代では、多くのスポーツチームで使われている(タイガースやスワローズなどという名称で使われているが、これらの多くは動物をモチーフにしていて、トーテミズムの名残と言われている)。私たちの周りのもの全てを親しみのもてるものに変えてくれる擬人化は科学主義で埋め尽くされた現代社会のさまざまな歪みを乗り越える一つのヒントになるかもしれない。そして、その源は、小さな子どもにあると考えると、子育ての意義は限りなく深いように感じる。



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