第二話 鹿肉蔦木喰 ―もみじつたきばむ― (十三)
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<十三>
「さて、もうこんな時間。これから夕飯の支度しますけれど、お時間あるんやったら、茉莉花さんたちも、ご一緒にどうどすか?」
「それは、『お茶漬けでもどうですか』ってお誘いですか?」
梟帥が悪戯っぽく問えば、母は「そんなん言うわけあらしませんわ」とけらけらと笑った。
「すき焼きにしよ思うてるんです。頂いたお肉が沢山あるし、男の方はお好きですやろ。特に梟帥くんは、急なことやったんに、よぉ頑張ってくらはりましたしな。うちのもんだけでも出来んことはなかったろうけど、もっと骨が折れてた思います。せやから、ご褒美としてご馳走したい思いますんやけれど、どうどすか?」
「お肉って、ひょっとしてあの鹿のお肉のこと? 食べても大丈夫ですか?」
それは、ご褒美と言えるのか――恐る恐る咲保が聞けば、「ええに決まってますがな」、と母はこともなげに返す。
「御霊はもう祀ってあるし、食べんと勿体ないですわ。気になるんやったら、念のために、も一度、あれだけ祓ぉておけばえぇでしょう。万が一、祟られたところで、ここにおる皆さんなら、平気でおますやろ」
「仏教では、『感謝して全部食べ切ってこそ、食べられたものも成仏できる』と言うとか。そういうことなら、ご相伴に預からせていただきます。電話借りてもいいですか、家に伝えないと……茉莉花、おまえはどうする? 帰るなら迎え頼むけれど」
「私も、咲保さんともう少しお喋りしていたいわ」
「なら、そう伝えておく」
「電話はこっちだ」
桐眞が梟帥を案内していった。母も、咲保に茉莉花とゆっくりしていればいいと、厨房に去っていった。父は、磐雄と瑞波を連れて、肉を題材に穢れ祓いの仕方を実地で教えるらしい。
茉莉花とふたりになって、火鉢を近くに寄せ、お互いにこの数日間であったことなどを話した。特に知流耶の話には、茉莉花も思うところがあったようだ。しみじみと、「お嫁に行くのも大変ですわね」と溢した。そうこうしている間に、桐眞と梟帥も戻ってきて、一緒の火鉢を囲んだ。そういえば、熾盛家には暖炉があったという話から、それぞれの家のあれこれを比較した話にみな興味津々で、話が途切れることがなかった。
その後の夕食も、更に賑やかなものになった。皆がよく食べ、よく話し、よく笑った。あまりの家族の遠慮のなさに、茉莉花が気を悪くしないかと咲保は心配したが、杞憂だったようだ。茉莉花も梟帥も、不思議なほどに、場によく馴染んでいた。梟帥などは、磐雄が妙に懐いてしまったらしい。あれこれ話しかけては、最後の方には、「梟帥お兄さん」と呼んでいた。桐眞ともあれこれ会話しながら酒を酌み交わして、はじめは性格が合わないだろうと思っていた二人だが、案外、この先も付き合いが続きそうな雰囲気だった。瑞波は、知らなかったが、洋装に興味があるらしい。茉莉花が詳しいと知って、形や色の組み合わせがどうとか、装飾品のこととか、妹の口から咲保も知らない単語がいくつも出るのには、驚いた。
鹿肉を食べたのは咲保は初めてだったが、思った以上に美味しかった。幸い、途中、気分が悪くなる者は誰もおらず、皆で、最後まで綺麗に食べきった。
あっ、という間に楽しい時間が過ぎ、茉莉花たちも帰る時間となって、一家総出の見送りとなる。辺りはすっかり暗くなっていたので、帰り道を心配したが、帰りはあわいの道を通って帰るという。最後に茉莉花と亥の子餅の交換をして、お互いに楽しみだ、と笑い合って別れた。
「ええお嬢さんやこと」
閉じていくあわいの道を眺めながらの母の呟きが、よく耳に残った。まるで自分が褒められたように、咲保は嬉しく感じた。
亥の刻が間近になり、一人離れに戻った咲保を迎えてくれたのは、まさに宴も酣といった様相のモノたちだった。夜になっていっそう冷え込んでいるにも関わらず、障子や窓を開け放っていても気にならないほどの熱気だ。
「なんだか、すごいことになっているわね」
軒下から庭先まで、子だぬきだけでなく、子狐や子猫も大勢、集まっている。小狐たちは、揃いの置き手拭いを頭に乗せ、子猫達は様々な柄の手拭いを吉原被りにしている者もいれば、吹き流しにしたりと自由だ。眺めているだけで、可愛くて楽しい。
宴会芸なのか、二本足で立って妙な踊りを披露しているモノもいれば、皿回しをしているモノもいる。かと思えば、七輪の前でじっと魚が焼けるのを待っているモノたちもいる。あの、炙られて飛び跳ねているキノコみたいなものは、なんだろう? あのピカピカ光っているモノは? 皿やとっくり、器など、普段は滅多に出てこない、木栖家の蔵で眠っていた付喪神たちまでいる。ただ、これらのモノたちは、咲保に何かしようという悪意も持たないモノたちだから、同席していても負担にはならない。
「みな、新しい柱を迎えた祝いに駆け付けたモノたちばかりですよ」
火鉢で油揚げを軽く炙りながら、暁葉が答えた。傍には、空になった酒瓶が転がっている。
「けれど、確かにちとばかし多ござんすね。特に駄猫が」
「暁葉さん、酷いです。私が何をしたと言うのですか」
「何もしていないからに決まってるじゃないか。まさか、『鹿肉』を『猪肉』と間違えるなんてねぇ」
「それは申し訳なかったですけれど……伝言の間で勘違いした者がいて……」
うう、と浜路は呻き、いじけた様子で頭を下げた。
「そのことは気にしなくて良いわよ。猪だったら味噌仕立ての鍋が食べられたのにって、みんな笑っていたから」
「そりゃあ、なんとも剛気で頼もしゅうござんすね」
ふふん、と暁葉は鼻で笑うと、醤油を垂らした油揚げの切れ端を、ぽい、と口に入れ、湯呑みの酒で流し込んだ。婀娜な仕草が、不思議と暁葉には似合っている。
「でも、さっきの話だけれど、あなた達には、そんなにおめでたいものなの?」
「そりゃあ、一緒に遊べるモノが増えるのは、嬉しいもんですからねぇ。あの子も、しばらくすれば、あたくしら同様に姿を顕すでしょう。どんな子になることやら、楽しみですよ」
「……私は、あなた達の言う『遊び』が怖いわ」
「何をおっしゃいますやら。あたくし共の遊びなんざぁ、神々の遊戯に比べれば、可愛らしいもんですよ。神々の遊戯となると物騒なもんで、死人がわんさかと出たりもしますからねぇ。あたくしらの扱いなんて、吹けば飛ぶ塵芥とそう変わりゃしません」
ですからね、と流し目が咲保をとらえる。
「遊び相手が増えるのは、この上なく喜ばしいことなんですよ。こちらも随分と数を減らしましたからねぇ。たまに一緒に悪戯して、いけすかない天津神の遊戯をちょいと引っかき回して、からかってやれる仲間が増えるのは、嬉しいばかりで。それで一泡でも吹かせてやれれば、万々歳ってねぇ」
「悪戯の部分は、よくはわからないけれど……」
咲保は答えた。やんや、やんや、と外の小さいモノたちが囃し立てる声が賑やかだ。気を取られて見れば、三匹の子だぬき達が、両手と頭にトックリと皿を乗せて、縦に積み重なってグラグラと揺れながらバランスを取っていた。皆、楽しそうだ。
「でも、一緒に笑える相手がいると楽しいというのは、私にもわかるわ」
「ええ、その通りですよ。そういった相手は、求めてもなかなか見つからないもんですからねぇ。でも、ひょんなことから見つかったりもするから、まこと縁というのは、面白いもんでござんすねぇ」
「そうね。私もそう思うわ……そろそろ時間かしらね」
咲保は頷くと、棚の亥の子餅を取り出した。三段のお重にぎっしりと詰まっている。
「さあ、みんなでお餅をいただきましょう」
呼びかけると、わっ、と湧く声が上がった。まるお、暁葉、浜路が、それぞれ重箱から小さきモノたちに、一つずつ分け与える。子だぬき達は行儀良く整列して、小狐たちは、暁葉が投げるものを受け取って、子猫たちは群がるように。それぞれ個性があるのだな、と咲保は微笑ましくその様子を眺めた。
皆に、餅が一通り行き渡れば、あとは食べるだけだ。
「それでは、皆さん、本日はお疲れさまでした。これからの一年、皆が元気で過ごせますように。火難にあいませんように」
いただきます、の大合唱で、一斉に食べ始める。美味しい、美味しい、の声があちこちから聞こえて、咲保は嬉しくなった。
「あら、やっぱり同じお餅でも違うものね」
一口食べてそう感想を口にすれば、何がですか、と浜路に問われる。
「いえ、こちらはお友達から頂いたものだけれど、私が作るものと違うな、って思って」
茉莉花からもらった亥の子餅は、咲保が作ったものより少し甘味が強い。胡麻は多めで、皮が香ばしい。柿は、大きめに切って栗と一緒に餡で包む咲保に対し、細かく切って大角豆と共に餡にまぜる形だ。なにより、小さめに作ってあるそれは、見た目も上品で、可愛らしい。
「こうすると、食べやすいわね……ちょっと水っぽい気もするけれど、慣れていないせいね。美味しいわ」
食べ比べれば違いがよくわかるし、工夫があるのが面白い。他の家がどう作っているのか、興味も湧く。来年は、姉に言って、当道の家のものを分けてもらおうと思った。
「お嬢さまが作ったものの方が、美味しいに決まってますよ」
まるおが自信たっぷりに言った。
「今年のは、特に格別にございますね。たいへん結構なお味でございます」
「皆が材料を揃えてくれたお陰よ。一時期はどうなるかとひやひやしたけれども、助けられたわ」
「それだけじゃないと思いますがね。ああ、全身に力が巡るようですよ。良い一年になりそうですねぇ」
手元の餅もなくなり、お開きの時間だ。ゆるゆると暁葉が立ち上がると、皆も立ち上がった。
「それじゃあ、今年も、一本締めでしめましょうかね。何もしなかった浜路が今年の音頭役だね」
「当然ですね。そのくらいしてもバチは当たりません」
まるおも重々しく頷くと、「皆さんが意地悪ですぅ」、と浜路が泣き声をあげた。人前で何かをするということが、浜路がいちばん苦手とすることだと、皆、わかって言っているからだ。だが、咲保がとりなさずとも、浜路は半分腰が引けながらも、一歩、前に出た。
「……それでは、僭越ながら、私が……」
「声が小さいっ!」
「皆様っ! お手をはいしゃくっ! ヨォおっ!」
やけくそ気味に聞こえる浜路の掛け声に、調子の揃った手締めの音が響き渡った。
パパパン、パパパン、パパパン、パン!
――冬の季節の到来だ。
了