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第二話 鹿肉蔦木喰 ―もみじつたきばむ― (三)

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<三>


 二日目の午後は蔵を開けて、六蔵りくぞうに手伝ってもらいながら、道具に不足がないかを確認することにした。六蔵はきゑの連れ合いで、普段は、家の庭仕事や薪割りなどの力仕事など様々な雑事を頼んでいる。埃っぽく薄暗い土蔵の中に積み上げてあるいくつもの箱の中から、必要な物だけを探し出すのは大変だ。茶道具や、貰い物の器など、大小さまざまな大きさの木箱の他に、使わなくなった調度品や、壊れてそのままの道具もある。とても重い物も。幸いなことに、六蔵がしまってあるだいたいの場所を覚えていてくれたので、見つかるまでにそうも時間がかからなかった。

「ええと……これは五徳ごとくね。一、二、三、四……あら、これだけ変わっているのね」
「ああ、それは長火鉢用ですわ。旦那さまと奥さまの部屋の」
「こんなにのもあるのね。知らなかったわ」

 帳面に数を書きつけ、次の箱を開けて調べる。道具の埃を払い、拭ってキレイにする。その繰り返しで、片付け終わる頃には、すでに陽が傾きかけていた。

(秋の日は釣瓶つるべとしとはよく言ったものね)

 年のせいか力仕事をすると腰が痛い、と苦笑まじりにぼやく六蔵に、手伝ってくれた礼も兼ねて、まるおから貰った湿布を分けてあげることにした。高位のモノの使う薬は良く効く。そして、また、一服する間もなく、急いで夕餉ゆうげの支度に向かった。

(でも、する事があるというのは、悪くないわ)

 身体は疲れるが、ぼんやりと暮らす時に比べ、気持ちが軽い気がする。少しは役に立っている気がするからだろうか。その後も立ち働きをし、その日の夕食は何事もなく一日が終わった。

 夜半、とんとんとん、と軽く叩く音に咲保さくほは目を覚ました。眠い目をこすりながら浴衣の上に一枚羽織り、雨戸をわずかに開ける。と、虫の音が響き渡る中、月明かりの下にほうっと青く光る人影があった。

「夜分遅くに失礼いたします」
「あら、暁葉あけは、お久しぶりね」

 友人の姿に、咲保は微笑んだ。片身替りの縞模様の着物を粋に着こなした暁葉は、齢も三十過ぎのたおやかな女性の姿をしているが、まるおと同じモノだ。手になにやら包みを下げている。

「ご無沙汰しております。お休みのところ失礼致します」
「なにかあった?」
「いえね、お嬢さんが冬の支度を始めたと、ちょいと小耳に挟んだもんですから、こちらをお持ちしたんですよ。どうぞ、お納めください」

 縁側に腰掛けた暁葉は、手にした風呂敷を広げた。すると、ざるからこぼれんばかりの、赤い豆が出てきた。

「まあ、大角豆ささげね。こんなにたくさん」
「今年は、特に出来が良いそうですよ」
「嬉しいわ、ありがとう。少し待ってね。器を持ってくるから」

 咲保が立ち上がりかけると、「ああ、いいんですよ」と引止められた。

「お餅を頂きにあがった時にお返しいただければ」
「そう? じゃあ、それまで預かっておくわね」
「ええ、それで、ちょいと気になることもござんしてね。そちらもお耳に入れておきたくて」
「なにかしら」

 縁側に座り直せば、暁葉は無地の側の片袖をいじりながら、声をいっそう潜めた。

「西の方が少しばかり騒がしくて。騒がしいと言っても、祭りとかじゃなくて、どうにも落ち着かない気分なんですよ。なにもないのに、尾が毛羽立つような感じで」

 うまく隠してはいるが、ふわりと何かが動いた気配がある。

「西って、輝陽きょう?」
「いえいえ、そんな遠くはござんせん。もっと手前。与古濱よこはまの少し先ら辺でしょうか」
「海で何かあったかしらね?」
「さあ、どちらかというと、おかの方でしょうかね。実は、あんまり落ち着かないもんだから、道を繋いで、おっかなびっくりでその辺を片足分ほど覗いてみたんですよ。ところが、何もない、ただ草木が生い茂るばかりの森の奥らしいってだけで、生憎よくわかりませんで」
「気配もなし? どこかの天狗てんぐが移ってきたとかはない?」
「それだったら、いくらなんでもわかりますよ。すぐに噂になりますしね。ただ、何にもないのが、かえって不気味でしてねぇ……お嬢さんは、なにかご存知じゃあござんせんか」

 咲保は少し考えてみたが、心当たりがない。母たちもそれらしいことは何も言っていなかったと思う。

「ごめんなさい。わからないわ」
「さいですか。あたくしの気のせいですかねぇ……?」
「どうかしら……でも、知っている人がいるかもしれないから、すこし聞いてみるわね」
「お手数おかけしますが、お願いしますよ」
「理由がわかるといいのだけれど」
「まあ、わからなければ、季節が変わる際の気の迷いってことにしておきますよ。それじゃあ、お邪魔しました」
「気をつけてね。の日にまた来てちょうだい。お餅を用意して待っているから」
「はい、必ず。おやすみなさいまし」
「おやすみなさい」

 暁葉は立ち上がると、月影に溶け込むように姿を消した。咲保はそれを見送り、雨戸を閉めた。夜風に当たって、身体が冷えてしまったようだ。咲保は急いで部屋の中に戻り、布団の中に潜り込んだ。
眠りにつくまでの間、暁葉の話を考えてみる。

(なにかしらね?)

 もちろん、暁葉の気のせいということも考えられるが、用心深く思慮深い彼女が、そういう勘違いをするようには思えない。らしくなく、あんなに怯えていてなにもなかったとは、奇妙な話だと思う。

(なにもないといいけれど……)

 若干、不安に思いながらも、咲保はすぐに訪れた睡魔に身を委ねた。

 炉開きの支度を始めて三日目、睡眠不足気味だが、いつもより早く起きて日々の仕事を片付けると、午後近くからまるおに付き添ってもらって街に出た。もともと約束のあった熾盛しじょう茉莉花まつりかと会うためだが、前日の蔵の点検で、桐眞とうまの火鉢に大きなひびが見つかったため、母に相談の上、新調することになった。火箸も二対。こちらは亥の子餅作りの時に焼き印をつけるのに使って、悪くしてしまったらしい。外出ついでに店にも寄って注文することになった。
 最近まで、必要以外には外に出る機会も少なかった咲保は、買い物ひとつにも不慣れで、内心びくびくしていたが、母の行きつけの店は万事心得た様子で、荷もすぐに運んでもらえるとの事に、ほっとした。
 それよりも、街のあまりの人の多さに、それだけで気が遠くなりかけた。あわいの道を使うには人目が多すぎるし、人力車を使うほど、茉莉花との待ち合わせ場所は遠くない。歩いて行くしかなかった。人混みを縫うようにして、先導するまるおのすぐ後を追ったが、背後から見ていても、まるおがさりげなく、ビシバシと素早く袖を動かしている様が咲保は恐ろしかった。まるおの手や袖が振られるたびに、黒い何かが、ちぎれて消えていくのが見える。見えない他の通行人には、虫を払っているようにしか見えないだろうが、咲保は気が気ではない。たまに長い棒などが出ているようだが、背後から来たやからに、はたきも使っているようだった。

「あら、あれは鬼……?」

 交差点に差し掛かった際、四辻にたたずむ、あじろ笠に無地の墨の着物を身につけたモノたちを見かけた。まるで、托鉢たくはつの僧のようだ。

「あれは、仏に帰依きえした鬼でございますよ。ああやって立っているだけで無害なモノですが、くれぐれもお近づきになりませんように」
「百鬼夜行に飽きたのかしら……でも、こんなところで何をしているのかしらね」
「飽きたのではなく、鬼になれたから、ああしているのですよ」
「そうなの……?」
「意識を向けることもおやめください。気付かれます故」

 疑問はあるが、まるおの言いつけを守るに越したことはない。君子危うきに近寄らず、だ。ただ、咲保が、街中をなんの気兼ねなく歩けるようになる日は、この先も来ないだろうな、と思った。

「まあ、木栖きすみ家は咲保さんがお作りになっているの?」

 銀座の通りから外れてすこし奥まった路地にある、熾盛家の親戚が経営するという健全なカフェー――最近では、純喫茶と呼ぶのだそうだ――で会った茉莉花に、近況を話したところ、少し驚かれた。

「作ると言っても、下拵したごしらえだけですが。餅を包んだりは、近隣の農家の方たちもお手伝いに来てくださるものですから、私はご遠慮させていただいているんです」
「でも、その下拵えがいちばん大変じゃございませんこと?」
「ええ、まあ。とにかく量が多いものですから……熾盛家ではどうなさっているの?」
「うちは、使用人たちが。まあ、家の者が食べる分だけですから、時間も大してかかりませんし」
「そうなんですの」
「えぇ。でも、最初はこちらで雇った使用人たちは亥の子餅自体を知らなかったりするものですから、一から教えなければならなかったのが苦労だったと、母はいまだに口にしますのよ。今はみな、心得ておりますけれど。でも、子どもの頃食べたお味とは、なにか違う気がしますの。何が違うのかしら……」
「舌が肥えられたのではなくて? 亥の子餅以外にも、美味しいものはたくさんありますもの。あれはもとは、輝陽の方だけの風習だそうですわね。うちの母も、初めは登宇京とうきょうではまったく通じなくて、びっくりしたと言っていましたわ。でも、あまり多くはないそうですが、お武家さまの時代に伝わった家もあるそうで、そちらでは玄猪餅げんちょもちと呼ぶのですって。ご利益りやくも、猪にあやかって、多産と子孫繁栄が付け加えられたそうですわ」
「所変われば、当たり前と思っていたこともそうでなかったりするものなんですわね。そういえば、街のお祭りでも……」

 黄色い卵に包まれたオムライスに、咲保は舌鼓を打った。この店に出入りするようになってまだ間もないが、オムライスはすでに咲保の好物に数えられる。
 さほど広くもない店内に彼女たちの他に客はおらず、貸切状態だ。店が人通りの少ないわかりにくい場所にあるということもあるが、もともと限られた人々にしか見つからない仕様になっているらしい。それで商売になるのかと疑問だが、それなりに常連客もいて、咲保の父も出入りしていると後から聞いて、驚きもした。

「ところで、もしご存知なら教えていただきたいんですけれど……」

 と、会話の合間を縫って、咲保は茉莉花に昨夜、暁葉から聞いたばかりの話を説明して尋ねた。

「与古濱ですの?」
「その少し先の方ですって。なにやら落ち着かない雰囲気だそうで。変わった事があったとか、噂でもなにかお聞きになってないかしら?」

 茉莉花の家は、何代か前の祖先がかなり目端のきく者だったそうで、武家の世にあって公家の勤めの傍ら、財を叩いて船を作らせ、廻船問屋かいせんどんやに貸し与えることでひと財産築いたそうだ。それにより開国後は、豊かな財と顔の広さもあって海運業にも参画し、最近では外国の要人とも懇意にすることもあるそうで、居留地のある与古濱の方面にも詳しそうということで、聞いてみることにしたわけだ。

「与古濱には父の知り合いもおりますけれど、それらしい話はしていなかったと思いますわ。お役に立てず申し訳ありませんけれど」
「いえ、こちらこそ変なことを聞いてごめんなさい。具体的になにがあったという話でもないので」
「でも、妙な話ですわね」
「えぇ、何事もないといいのですけれど」

 ふふっ、と茉莉花が笑い声をたてた。

「でも、本当に咲保さんはモノに好かれていますのね。お狐さまが大角豆の差し入れをしてくださるだなんて、初めて聞いたわ」
「暁葉からもらうなんて、初めてですよ。栗は、お餅と引き換えに、いつもまるおに頼んでいるのですけれど」
「あら、羨ましい」
「でも、その分、がんばって働かねばなりませんのよ。鬼皮と渋皮、何十個と手強い栗の皮をひたすら剥き続けますの」
「あら、それは勘弁だわ」

 二人でおどけて笑い合えば、不安な気持ちも吹き飛ぶ。その後、茉莉花が咲保の作った亥の子餅をどうしても食べてみたいと言ったことから、熾盛家のものと交換という形で、当日の夕方、茉莉花が木栖家を訪う約束をして別れた。
 その日は、布団に入るなりすぐに眠ってしまった。


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