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第二話 鹿肉蔦木喰 ―もみじつたきばむ― (七)

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<七>


 幼子のようにしゃくりあげる知流耶ちるやから母が聞き出した内容を要約すると、明日、すめらぎから下賜かしされる亥の子餅は、公には宮をお持ちでない皇に変わって、毎年、都で仕える各家々が持ち回りで作る慣わしらしい。店に注文もできなくはないが、店独自の変更を加えたものが多く、全部の素材が入った正式なものとは限らないからだそうだ。今年は、知流耶の嫁入り先の当道とうどう家が担当することになっており、知流耶も嫁として手伝っていた。

「それを失敗したと……」

 姉の取り乱し様は落ち着いたものの、今は、逆に、哀れなほどに消沈している。

「だって、ここのところすごく忙しくて、炉開きもそうだけれど、神嘗祭かんなめさいとか、新嘗祭にいなめさいの準備だとか、当道のしきたり覚えるとか、衣替えとか、家の設えを冬用に変えたり、注文したりとか色々あって」
「そんでも、火の前で居眠りするなんて、気ぃ抜きすぎてんのと違いますか。そら、あんたが悪い。火事にでもなったら、どないしますの。取り返しがつきまへんのやで」
「申し訳ありません……」

 結果、栗を煮詰めすぎて焦がした上に、慌てて火から下ろそうとして、ひっくり返してしまったらしい。新しく作り直そうと、栗を求めて店を回ったが、そういう時に限って、どこも売り切れていたそうだ。

「まったく、あんたときたら、そのそそっかしいところ、何遍なんべんと注意したんに聞かへんから……」
「ごめんなさい……反省しています……」

 顔を両袖で覆い再び泣き始めた知流耶を前に、母はひとつ嘆息すると、咲保に向かって言った。

「栗はもう出来てますのんか?」
「たった今。今、火から下ろすところで」
「知流耶、どんだけいりますの?」
「六十もあれば……」
「ろくじゅう」

 思わず、咲保も声に出した。半分近くだ。

「咲保、悪いけれど、そこから必要なだけ、知流耶に分けてあげてくれませんやろか」
「いいの……?」
「いいも悪いも、皇に恥をかかすなど、あってはならんことどす。集めてくれたまるおにも申し訳ないけれど、堪忍かんにんしておくれやす」
「思いがけず御奉上ごほうじょうたてまつれるなど、一族の誉れです。どうぞお持ちになって下さい」

 母が脇に控えていたまるおにも声をかければ、まるおも深々としたお辞儀で応じた。皇に奉呈ほうていされた亥の子餅は、一旦、神に捧げられたのち、家臣に下げ渡される流れだそうだ。神の口にも入るとなれば、まるお達にとっては、この上ない栄誉であるのだろう。

「ありがとう、お母さま。咲保も、まるおもありがとうっ。恩に着ます!」

 知流耶は泣きながら、深々と頭を下げた。

「まるお達が集めてくれた栗や。神饌しんせんとするんに不足ない力を蓄えてますやろ。せや、咲保、あと大角豆ささげも分けてあげて、暁葉あけははんから頂いたん。それだけあれば、お納めするんに恥ずかしないもんになるはずですわ」
「あ、はい」
「知流耶、ここまでお膳立てしますんや。今度、失敗したら許しまへんえ」
「……はい」
「当道の家に入ったとはいえ、木栖きすみの家の子やって事も忘れたらあきまへん。あんたが失敗すれば、当道の家だけやなく、木栖の家も悪う言われて、お父さまにも恥かかす事になります」
「はい……」
「あと、礼儀は欠かしたらあきまへん。親しき中にも礼儀ありです。急いでいたにしても、そういう時にこそ、心落ち着けて行動せなあきまへん。助けてもらう身で、手ぶらで来るてなんやの」
「……次来るときは、必ず持ってきます」
「ずる賢い相手やと、今の有り様や、よほど余裕ないと思われて足下見られますえ。代わりに無茶な要求されたらどないしますの。ドツボに嵌まって抜けられんようになっても、誰かが助けてくれるとは限りませんのやで。あんたも将来は当道家の屋台骨を支える身です。いつまでも甘ったれていたら、あきまへんえ」
「はい……肝に命じます」
「よろし。も少し先の時季やと、七条の栄冠堂のゆべしが、お父さまのお好みだす。私はくるみの方が好きどすけれど、吾妻屋の豆大福もよろしおすな。咲保は何が好きやったかいな?」

 いつものことながら、母のちゃっかりさ加減には咲保も舌を巻く。甘露煮を壺に取り分け、大角豆を余っていた升に入れ、風呂敷に包んだ。

「咲保、何がいい? なんでも言って!」
「……私はなんでも……あ、お干菓子で美味しいものがあれば。落雁らくがんとか」
「せやったら、三条の高松屋がええどすわ。見た目もはんなりして、愛らしいし」
「高松屋のお干菓子ね。わかったわ。まるおは?」
「私は、結構でございます。お役に立てるだけで充分で」
「じゃあ、次来るとき、何か選んで持ってくるわね」
「ありがとうございます」
「姉さま、これ。壺は念の為に紐で縛ってあるけれど、こぼさないよう気をつけてね」
「ありがとう、咲保。お母さま、おかげで助かりました」
「慌ててこけんようにな。向こうのお母はんの言う事よお聞いて、あんじょうおきばりやす」
「はい!」

 玄関まで見送りに出ると、すぐにまるおがあわいの道を開き、傘をさす事もなく知流耶は帰っていった。目は赤くなっていたが、泣き止んでいたことにほっとする。が、道が閉じると、どっと疲れが出て、咲保はなんともいえず肩を落とした。

「急いで栗を調達せななりませんなあ……けど、この雨やしなぁ」
「お夕飯の支度、どうしましょう」

 正直に言えば、動きたくない。二人で考えあぐねていると、「もうし」、と傘を畳んで玄関を入ってくる者がいた。上品な茶色の上下の洋装で、髪を大きなリボンで飾ったマガレイトに結った姿は、咲保とそう変わらない年頃に見える。

「あら、浜路はまじ
「化け猫が白昼堂々と。なんの用だ」

 まるおが、尻尾を大きく膨らませんばかりの威嚇いかくの声をあげれば、浜路は身をすくませ、一瞬、怯える表情を見せたが、すぐに気を立て直したようだ。尻込みして丸くなった背を、しゃんと伸ばした。

「奥方さまの御前でそのように気を立てて、礼儀を知らぬ者と恥をかくのはそちらではないでしょうか。奥方さま、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
「こんにちは。今日は一段と冷えますな」
「なにを、この減らず口ばかり達者な猫めが、さっさと要件を言いなさい。今は忙しい。時間がもったいない」
「まるお、いいから。浜路、ごめんなさいね。でも、忙しいのは本当なの。どうしたの? こんな雨の中を珍しい」

 浜路は、優雅にあがかまちに腰掛けると、言った。

「それは、間が悪く申し訳ございません。実は、仲間内より、私どもでは手に余るモノがあるとのことで、出来れば木栖家の皆さまにご助力願えないかと、急ぎお願いに参った次第です」
「手に余るものって?」
「それが、私にもよくわからないのでございます。あちこちから様々な話が飛び込んでくるもので……ただ、形ばかりのはらいではどうにもならない程のモノであることに間違いなさそうで、なんとかならないかと仲間内でも心配する声が多く、ご相談に参りました」

 それは、よほどのものらしい。

「そらご心配どすなあ」
「もし、ご助力いただけるなら、明日には届けられるとのことなのですが」
「そうなの。でも、それだけじゃあ、わからないわねぇ。届くってどちらから?」
「西のほど近いところで」
「西……」

 それを聞いて咲保も、はた、と思い当たった。

「それって、ひょっとして与古濱よこはま付近?」
「なんや、咲保、心当たりがありますんか」
「ええ、少し。二、三日前に、暁葉から、その辺りで妙な気配があると聞いていたものですから」
「暁葉さんが……そうでしたか。生憎あいにく、場所の詳細までは聞き及んではおりませんが、確かにその辺りのモノだそうです。たまたま近くにいて気づいた仲間より、伝言が回ってきた次第で」

 浜路が答えた。

「聞くところによると、『ぼたん』だそうですが」
「ぼたん? お花? 季節が違うけれど」
「さあ、それすらもはっきりとは……申し訳ございません。ただ、放っておくと悪変しかねないモノだという話なんです」
たたりかねないってこと?」
「どうやら、そうらしいです」
「そんなら、猪やないですか? 猪肉のこと、ぼたん言いますやろ。洋服のボタンも骨やら使う事もありますけれど、そっちは考えにくいどすしなぁ」

 母の思い付きに、浜路も頷いた。

「私も、縁あって、猫神の末席に加えていただいたモノにございますれば、仲間内ではそれなりの力はございますが、いかんせん、他の皆さまに比べてまだ日も浅く、お恥ずかしながら、まだまだ足りぬとしか言えぬモノにございます。もとより非力にございますれば、もし、猪が相手でしたら、到底かなうわけもなく……何卒なにとぞ、お力をお貸し願えませんでしょうか」
「そうねぇ、放ってはおけないとは思うけれど……」

 ちらり、と母を横目でうかがえば、やはり、難しい表情だ。

「どのくらい危険なもんか、実際に見てみんことにはわからしません。それによって、どうするかも違てくるし……こればかりは、今ここで、どうにか出来るとははっきりお答えできませんなぁ」
「申し訳ございません。私に力がないばかりに……」
「けど、なんとかなりますやろ。よろしおす。お引き受けしまひょ」
「ありがとうございます。お礼に出来ることがあれば、なんでも致しますので」

 そう言って頭を下げる浜路を前に、母は、ぽん、と膝を叩いた。

「なら、早速やけど、お願いしたいことがあります」
「なんなりと」
「実は、うちも、今、たいそう困っておりましてな」

 と、これこれと咲保の母は、浜路に説明をした。


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