第二話 鹿肉蔦木喰 ―もみじつたきばむ― (十二)
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<十二>
千歳やー、千歳やー……
朗々とした桐眞の唄に合わせて、咲保は神楽を舞った。手順は狂ったが、神楽奉納を取りやめにする理由にはならず、鈴を持たされ舞う羽目になった。だが、あれだけ尻込みしていたのに、今は不思議と良い気分だ。磐雄の笛だけでなく、子だぬきたちの笙やら太鼓などが加わり、喜びの空気に溢れているからだろう。曲に合わせて、めでたい、めでたい、とモノたちの思いが響いてくる。
(よかった……)
何が正しくて、何が間違っているのか、咲保にはわからない。ただ、身近にあるモノを含めた者たちが喜んでいることが、嬉しかった。鹿だったモノも、彼らと交わって、少しでも心が癒されればいいと思う。
終われば、あっさりとしたもので、さっさと片付けが行われた。折り紙を依代とした鹿だったモノは、屋内の神棚の上に移された。
「お疲れ様でした。とても素敵でしたわ」
ここでやっと、茉莉花に挨拶ができた。
「いえ、拙いものをお見せして、恥ずかしいわ」
「とんでもない。お上手でしたわよ。まるで、花びらが舞っているようで」
「ありがとうございます」
舞っている間のことはあまり覚えてはいないが、久しぶりにしては、上出来だったのだろうと思うことにする。お世辞にしても、良い方に考えた方が得だ。咲保は茉莉花に頭を下げた。
「とんだことに巻き込んでしまい、さぞご不快でしたでしょ。申し訳ございませんでした。大丈夫でしたか? お怪我などされていませんか?」
「お気になさらないで、お互い様ですわ。私の方はなんともございませんわ。不謹慎かもしれませんけれど、お陰さまで、思いがけず良いものを見せていただけたって、喜んでいるくらいですの。モノを交えて祟りモノを地荒神にあげる儀式など、滅多なことでは見ることも叶いませんもの。お父さまたちに自慢すれば、きっと、羨ましがられるわ」
「……お兄さまのお怪我は? ご助力いただいたお礼も申しあげないと」
「うちの兄なら大丈夫ですわ。いつものことですもの。今、桐眞さまと一緒にお風呂をいただいていますわ」
「そうなんですの……手当が必要なのでは……?」
「さあ? でも、動けていますから大丈夫だと思いますわ。下の兄は、びっくりするほど丈夫ですもの。怪我も多少はあるでしょうけれど、大したことはございませんでしょう。あとは打ち身ぐらいのもので。こういうことには、慣れていますもの」
そこへ、母が呼びに来た。
「茉莉花さん、咲保も。今から直会にしますけれど、ご一緒にどうどすか」
「まあ、是非」
「あの、私は一度、離れに寄ってから参りますので」
いつの間にか、浜路も暁葉もいなくなっていた。一言断って離れに様子を見に行けば、ちゃっかり、こたつを囲む暁葉と浜路がいて、暖かさにすっかりふ抜けている。挨拶もおざなりで、みぃも、こたつの上で四肢を伸ばし、だらしなく寝ていた。その中で、まるおだけがお茶の用意をして、働いている。庭先では、子だぬき達がわちゃわちゃと集い、立ち働きをしていた。周りに散らばる材料からして、宴会の準備らしい。
「お嬢さま、七輪をお借りしてもよろしいですか」
「ええ、あるものは自由にしてくれていいわよ。よかったら、羊羹もお出しして。他に必用なものがあれば、厨房まで取りに来てくれて構わないわ。私は夜まであちらにいるから、こちらは任せていいかしら」
「はい、ではそのように」
これから夜まで休んで、それから亥の刻まで皆で宴会をするのだろう。これも毎年恒例のことだ。咲保は、茉莉花に渡す亥の子餅だけを持って、静かに離れを後にした。
応接間に行けば、皆が集まってお茶をしていた。風呂からあがってさっぱりしたらしい、桐眞や梟帥もいる。梟帥が見慣れた着物を身につけているが、桐眞のものを貸したらしい。栗蒸し羊羹はすでに皆の腹の中に入ったらしく、咲保の分の一切れだけが残されていた。
「だから、その外国人は、アレに祟られたんだと思います」
席に着くなり梟帥の物騒な言葉に、咲保はぎょっとした。
「なんのお話ですか?」
「先日、与古濱でって話、お聞きしたでしょ。その話を家でしたら、お兄さまが気になって調べてみたんですって」
茉莉花が答えた。
「暇だったもんで。面白そうだったし」
と、梟帥の答えに、「君も相変わらずだなあ」、と呆れた口調で桐眞が言った。今の様子を見る限り、兄も梟帥も概ね大丈夫そうで、ほっとした。ただ、兄の着物は、梟帥には少し丈が短かったようだ。動くたび、袖から腕の包帯が見え隠れしている。
「与古濱に滞在中の外国人の方が一人、最近、食中毒で亡くなっていたらしいのよ。その方は、狩猟がご趣味の方で、印度や他の国々でもあちこち行っては狩りをなさっていたそうなんですけれど、この国でも同じように過ごされていたらしくて」
「それで、猟銃を使って、バン、と一発」
「ああ……」
熾盛兄妹の話では、森の主は、最初に出会った時は逃げおおせられたのだが、何回かに渡って、執拗に追いかけ回された結果らしい。仕留めた外国人はご満悦で、すぐに頭部を剥製にしようと発注もかけていたそうだ。
「肉は料理したらしいんですけれど、食べたその晩、たいそう苦しんで亡くなったらしいです。一緒に食べた家族はなんとか無事だったそうなんですけれど、狩りに同行していた召使やらも重体だそうで、多分、鹿肉にあたったんだろうって話でした。その報告がてら、お邪魔させてもらった次第です。まさか、ここに、その因がいるとは思ってもみませんでしたけれど」
あれは、なりかけではなく、すでに祟りモノ、怨霊となっていたらしい。
「なりかけで、あの強さはないな」
桐眞も言うほどであるから、そうだったのだろう。
栗蒸し羊羹は、普通の味だった。形だけは残して本質の部分はモノが吸い取った残りなので、これでも上出来なぐらいだ。
「外から人が来るのは仕方ないけど、こちらの流儀も何も知らんと、好き勝手に振る舞われるのも困るな。それで、いらん祟りを引き起こされてもなぁ……猟をするもんにも独自の儀礼があるそうやし、それで亡くなったんやったら、互いにとって不幸でしかないわ」
「そういった事は、彼らは基本、頓着しないみたいです。必要がないから」
父のぼやきに梟帥も頷いた。
「うちの父が聞いた話だと、向こうの神は、どちらかというと、こっちの神よりは仏に近いようです。信仰を篤くして祈り、正しく暮らしていれば救われる、みたいな。人も神が作ったそうですよ。だから、人は皆、神の子である、という教えらしいです」
それには一斉にどよめいた。
「うちらが言う神の子孫言うたら、帝や皇の皇族だけでらっしゃいますがな。いや、そんな畏れおおい」
「明言はされていないけれど、国造りがあって、人はいつの間にかいた、みたいな感じだからなぁ」
「根本がちがうんだなって僕も思いました。子を慈しまない親はいない。だから、祟るわけもないってことなんでしょうね」
「祟らないんですか?」
不思議そうな磐雄の問いに、そうらしい、と梟帥は半分、首を捻りながら答えた。
「祟りに該当する言葉自体がないみたいだ。呪いはあるみたいだけれど、連中の言う神の教えに反する者が行う、という扱いらしい。つまり、神を信じている間は、自分は神の子であり、祈りさえすれば何をしても赦されるし、救われると思っているってことさ。仏教と同じく地獄はあるけれど、別物みたいだ。落とされた魂は、永遠に救われることはないらしい。仏教は更生さえすれば、輪廻転生の輪に戻されるそうだけれど……神道はその辺りは明言してはいないから、人それぞれの解釈次第だね」
「僕には、よくわからないです……」
「いいよ、僕もよくわかっていないから。難しいよね。ただ、モノが見えない者でも、『祟りがあるかもしれない』と無意識にでも畏れる心がある内は、無謀な振る舞いの抑止力になっているのかもしれない、って僕は思ったんだよ。信じる信じないは別にしても……その逆もあり得るんじゃないかってね」
「外国の人って、背が高くて鼻が高くて赤い顔で、天狗みたいなんでしょ」
瑞波が、話に脈絡もなく言った。
「悪い天狗もいるけれど、良い天狗もいっぱいいるよ、ってお祖母さまが言ってました」
可愛らしくも本質をついた発言に、皆が笑った。
「そうだね。もちろん、外国人というだけで、全員が粗暴な人ばかりではないだろうね。国によっても考え方が違うだろうし、良い人も沢山いると思うよ」
梟帥も笑って答えた。
「ただ、向こうの教えは、神とはは完全なる存在であり、神と神の教えを信じる者は善であり、その教えに反する者は悉く悪である、という風に僕は解釈しました。端を齧っただけですが」
「善と悪が、完全に二極化しているってわけか」
桐眞は、ふうん、と皮肉げに相槌を打った。
「そんなんじゃあ、『恨みつらみを抱えていそうな、祟るだろうものを祀りあげてお慰めするために神とする』って説明しても、通用しなさそうだな。願いを叶えてくれるどころか、もてなして気分良くさせておかないと、いつ祟られて禍が起きてもおかしくないのがこの国の神々だなんて、到底、理解できなさそうだ」
だから、今回、父たちは神上をしようとした。穢れを清め祓い、土地に障りがでないように神に格上げして、高天原――天――に送り、祀ることで慰めて、鎮めようとした。だが、暁葉たちは、一応は鎮まったので、地に留めることで限定的にこの家や周辺の土地を守る地荒神、モノとして育てることを約束した、という流れになったわけだ。
順うモノが、この瑞穂の国の神々だ。気まぐれで、善にも悪にもなり得る存在。気分が良ければ益をもたらし、気に障れば祟り災いを振り撒く。それらを祀るのが皇であり、仕える木栖家も含む公家の家々だ。だが、その体制も、世俗の移り変わりにより、様々な情勢や思想の影響を受けての今までにない思惑が飛び交い、変わりつつある。この辺りも開国以来、おおわらわになっている理由のひとつだ。
「でも、この間の新聞で読みましたけれど、生前、立派な行いをされた方の神社を新しく建てられたって」
茉莉花の言葉に、「ああ、読んだ、読んだ」、とみなが口を揃えた。
「なんで祟りそうにないお方を、手間かけてお祀りする必要があるんか、わかりませんわ。そこの産土神さんも勝手に分け前取られて困らはるやろし、祀られた方もお困りにならはるやろになぁ。ただお寺で、仏さんとして祀らはったらええ思いましたんやけれど」
「それこそ、ご利益をあてにしてじゃないですか。でなければ、名前を残そうとしたか」
「そんなん、ご利益なんて、それは神さんが『こうしたい』て采配する流れで、ひょっとしたら、たまたまお溢れに預かれるかもしれん、ってだけですがな。そら神さんかて情もありますしご贔屓もおありやろうけれど、下っ端の神さんに、そんな力ありますかいな。名前を残したかて、死んだあとでなんになりますの」
「最初からご利益目的でお祈りするんでしたら、それこそ、衆生を救うという仏の領分ですわよね」
「その辺、神は厳しいからなぁ……大陸から仏教が入ってきた理由もとどのつまりそれだしな。権力者の中にも、救われたい者がそれだけいたって事だろ。新しい知識も必要だったし」
「神仏習合で一緒くたにされてた弊害やろな。あれはあれで良い面も多かったけれど、そこに西洋流の考え方も混じったとも考えられるな。外のもんが入ってきて便利になった反面、困った話やで」
一頻り、専門的な話題で盛り上がった。