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第二話 鹿肉蔦木喰 ―もみじつたきばむ― (二)

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<二>


 神に手を合わせたところで、なにも始まらないし、なにももたらされない。そんなことは咲保さくほもわかっている。実際に、こういう時に頼れるのは、まるおだ。困った時のまるお頼み。まずはまるおに、何をすべきか教えを乞うことにした。

 この世には、人ならざる者が存在する。古くは物の怪モノノケ、近くでは、あやかしや妖怪と呼ばれ、通常、人には見えない存在だ。まるおは表向き、咲保付きの侍女ということになっているが、元はなんやかんやあって、咲保の曽祖父の頃から木栖きすみ家に棲みついた狸が化けた『モノ』だ。
 『モノ』は、一般的に、物の怪や妖などと大雑把おおざっぱ一括ひとくくりにされてもいるが、木栖家をはじめとする旧くから朝廷に仕える家々では、神代かみよの時代よりこの瑞穂国みずほのくにに住まう、多くは国津神くにつかみの系譜に連なるモノたちを区別してそう呼んでいる。平たく言えば、神と物の怪との中間に存在と言ったところか。

 部屋に戻り、座布団はあいかわらずみぃが占有しているのでそのままにして、新しい座布団二枚を用意してから、まるおを呼んだ。すぐに、咲保の影から伸びるようにして、人型のまるおが出てきた。

「奥様からお話は伺っておりますよ。お嬢さまの手助けをするよう言いつかっております」

 流石さすが、母だ。手回しが良い。

「ですが、本来はお嬢さまがお一人で手配なさることなので、なるべく手を出さぬようにとも申しつかっております」
「……お母さまお厳しい」
「お嬢さまを思ってのことでございますよ」
「……わかっています」
 
 咲保の前に正座したまるおは、丸々とした体格とも相まって、まるで習い事の師匠のような風格で、思わず両手をついて「お頼もうします」とうっかり頭を下げてしまいそうだ。

「でも、何から手をつけていいかもわからないのよ。どこから始めればいいか、それだけでも教えてちょうだい」
「そうですね……」

 まるおが思案げに視線を下に落とすと、小さな顎が首の肉に埋もれるように、たわんだ筋が二本できた。

「では、まずはお嬢さまが覚えていることを順番に、箇条書きになさってみたらいかがでしょう」
「計画を立てるのね」
「はい。そうすれば、お嬢さまのわからないことや、ご存じないこともわかるかと」
「そうね、それはいい考えだわ。書き出したら、まるお、見てくれる? 足りない作業があれば、教えて欲しいの」
「わかりました。では、その時にまたお呼びください」
「えぇ、そうさせてもらうわ」

 早速、と机に向かおうとして、あ、と咲保は声を上げた。頼まれたばかりだというのに、つい、うっかり忘れるところだった。立ち上がりかけのまるおに声をかけた。

「そういえば、今年も栗をお願いしたいのだけれど、頼めるかしら?」

 すると、らしからぬ様子で首が傾げられた。

「そうですね……今年は栗の実のつき具合があまり良くないと聞いております」
「あら、そうなの」
「えぇ、今年は、ちょうど花の時期に嵐がございましたもので」
「そうだったの」
「はい。たまたまそういう巡りの年だったのかもしれませんが。ですが、いつもとは別の木の物も混じるかもしれませんが、それでもよろしければ。もちろんそちらも変わらず、力のある良い木でございますよ」

 良い木というのは、モノたちにとって御神木ごしんぼくに相当する木という事だろう。

「えぇ、それで構わないわ。仕方ないことですもの。昨年と同じくらいお願いしたいわ」
かしこまりました。では、その通り、眷属けんぞくたちには伝えましょう」
「お願いね。あ、もし無理なようだったら、早めに教えてくれると助かるわ。お礼のお餅は、去年と同じ数でいいかしら?」
「えぇ、十分でございます」

 まるおはうなずき、微笑んだ。

「木栖家のの子餅は格別ですから、皆も喜ぶでしょう」
「そうなの。じゃあ、私も頑張って作らないと。では、皆によろしくね」
「はい。では、早速さっそく

 そう答えて、まるおは来た時同様、音もなく影の中に消えた。

(夕食の支度までにはまだ間があるわね……)

 咲保は眠ったままのみぃを座布団ごと移動させると、文机を前に、彼女が覚えている事を書き出し始めた。

 すぐに終わると思っていた作業が、想定していたよりも時間がかかることは良くある事だ。咲保の場合も、ああだったかこうだったかと逡巡しゅんじゅんしている間に、思わぬ時間が経ってしまい、書いた文字が見えにくくなって、はじめて夕餉の支度に向かうのに遅れたことに気がついた。慌てて母屋の厨房に駆けつけてみれば、そのほとんどが終わった後だった。ごめんなさい、と謝り、残りの支度と片付けをすることで許してもらえた。膳を並べ終え、母と咲保のほかの兄弟たちと夕食を囲む。

「お父さまは、今日も遅くてらっしゃるの?」

 妹の瑞波みずはの問いに母は頷き、「仕事が忙しいのだ」、と簡単に説明をする。まだ九歳の妹には詳しいことを話しても理解が難しいだろう。咲保の父は貴族院の議員を務める傍ら、皇居に出向き、みかど祭祀さいしに関わる準備の指導兼相談役もしている。他にも出資する事業の役員としての勤めやそれらに関しての付き合いも多く、朝は早くから夜は遅く、となることもしばしばだ。

磐雄いわおは中学校はどうどすか。問題はあらしませんか?」
「特には。今日の算術の小試験も満点でした」
「そら、おきばりやしたな。さすが木栖家の子や」
「はい」

 弟の磐雄は咲保より五歳年下で、十三歳の生意気盛りだ。幼い頃は咲保のこともよく心配してくれる優しい子だったと思うのだが、最近はなぜか、咲保にだけ挑戦的だ。今も、ちらりとこちらに思わせぶりな視線を寄越してきた。

「そういえば、同級生の姉君がこんど輿こし入れすると聞きました。姉さんと同年だそうで、ご存知かもしれません」
「そうなの。どこの家の方?」
「笠原くんです」
「笠原……残念ながら心当たりがないわ。お母さまご存知?」
「笠原家ゆうたら、最近、叙爵じょしゃくされたところやないかな。たしか軍の方やった思います」
「じゃあ、笠原さんのお姉さまは、別の学校に通われていたかもしれないわ」
「姉さまは、お嫁に行かないのですか?」

 割り込んできた瑞波の言葉に、咲保はなんと答えたものか、一瞬、迷った。物の怪などに対して耐性の弱い体質のことはこの妹にも以前から説明をしているのだが、どうやら、普通の虚弱体質と区別がついていないらしいことがうかがえる。

「そうね。昨年、知流耶ちるや姉さまがお嫁に行ったばかりだから、お兄さまの方が先かしら」
「馬鹿だな。姉さまは、かず後家ごけになるのが決まっているんだよ」
「これ!」

 さりげなく話を逸らしたのに磐雄が台無しにする。母が声を強くしてたしなめるが、聞く耳持たずだ。

「嫁かず後家ってなあに?」
「お嫁に行かず、ずっと独り身のまま実家に頼りっきりの女のこと」

 その通りだが、弟の言葉が咲保の胸にグサグサと刺さる。痛い。

「磐雄、言うていい事といかん事の区別もつかんのですか。出来んのやったら、言葉を選ばなあきまへん」
「本当のことを言って何がいけないのですか」
「人を不愉快にさせてまで、口にせなならんことやない思いますけれどな。今のは悪口と同じに聞こえましたえ」
「母さまは、いつもそうやって姉さまばかりかばう」
「磐雄兄さまは、お姉さまの離れが欲しいのよ。それでひがんでいるのよ」

 瑞波の指摘は、咲保にも意外なものだった。図星だったようで、磐雄が「うるさい」といきどおった。途端、とん、と肩を押されるような軽い感触を、咲保は感じた。磐雄が気を乱したせいだ。家の中ではそう護身の法もさほど身につけていないため、些細なこともよく伝わる。

「何よ、本当のことじゃないの!」

 今度は、逆の肩がこづかれる。瑞波だ。二人の未熟さがこういうところに現れる。すわ兄妹喧嘩か、とはらはらしていると、きっぱりと母が言って断ち切った。

「あそこは、あんたには過ぎたもんです」
「なんでですか!? 姉さまばかりずるいです! 僕だって、静かに過ごせる部屋が欲しいです。勉強や稽古だってあるし」
「あんたにも、自分の部屋がありますがな」
「あそこは厨房が近いので始終しじゅう、廊下を人が通るからうるさいし、狭くて友達も呼べません」
「友達と遊びたいんやったら、奥の部屋を開けてあげるし、そっちで遊びなはれ。瑞波もや。余計なこと言うて、面白半分に場を荒立てるようなことを言うたらあかん」

 母はがんとして、磐雄のわがままを跳ねつけ、二人を叱った。

「離れの術のほとんどは、すめらぎがお使いあそばされてるのと同じもんだす。もとは、咲保が身を守るために集めたもんどすが、効果があったもんは皇にも奏進そうしんして、ありがたくも『お陰で、日々、心安らかに過ごせる』とお言葉をたまわるほどのもんどすえ。それをうっかり誰かに知られて破られでもしてみなはれ。家族全員の首が飛ぶどころやおへん。せやから、万が一、咲保がおらんようになった時には、あそこは跡形なく取り壊すと決められてます」

 それには咲保も驚いた。まさか、術式を横流しされているとは思わなかった。磐雄も瑞波も目を丸くしていることからも同様のようだ。ただ、兄の桐眞とうまだけは知っていたようで、特になんの反応もせず、黙って箸を置いた。

「ごちそうさま」

 一人、我関せずの顔で立ち上がり、茶の間を出ていく。
 
「この事は、絶対に、友達にも、誰にも言うたらあきまへんえ」

 二人は頷いた。

「返事は。大きく声に出しなはれ」
「はい!」
「はぁい」
「それでよろし。ほな、片付けもあるし、二人ともさっさと済ましてや」

 この家で、母に逆らえる者などいない。急いで食べ始めた弟と妹を見ながら、咲保は人知れずため息をこぼした。

 食事が終わり、母と二人きりになったところで、咲保は言いつけ通りに片付けを始めた。すると、不意に、母に呼ばれた。

「さっきの話、磐雄のこと悪う思わんといてな。ああいう年頃なんや」
「……わかっています。気にしていません」

 咲保は頷くでもなく、視線を下に落とした。胸の奥で、ざわざわと波立つ気持ちを感じたが、素知らぬ振りをした。咲保が皆と試行錯誤して作った術式を流した理由を聞きたかったが、聞いてはならないのだろうとも感じていた。ささやかながらお役に立てたからよかったのだ、と思うことにする。

「そんなら、えぇけど……」
「お風呂は、お母さまがお先にどうぞ。私はこれを片付けてから、いただきますので」
「そなら、そうさせてもらいます」
「ごゆっくり」

 その後、住み込み女中のきゑと茶碗を洗い、すべてを片付け終わると、咲保の気分も元通りになっていた。単純なものだ、と内心で笑う。すっかりと冷え切った手を息で温め、やはり、火鉢が恋しいと思った。

(寒いと余計に気持ちも乱れるのだわ……)

 弟には、弟なりの思いや事情というものがあるのだろう。部屋に火が入れば、少しは心穏やかになるかもしれない。そう思えば、炉開きは頑張るしかあるまい。
 しかし、意欲はあってもそうは簡単にはいかないもので、結局、初めの計画書の書き出しは、まるおの確認も含めて、次の日の午前中一杯までかかってしまった。

「一度、書いてしまえば、来年以降の覚え書きにもなりましょうから」

 まるおの慰めに、来年以降もするのか、と少しだけうんざりしたのは内緒だ。


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