こどもって、みんな大人になってゆく。そんな不思議を思っていた。

最寄りの歯医者さんのスロープを降りると信号機がある。
いつもそのあたりを下っていると、ふいにその香りに、
ちょっとしてやられる。

そうだった。季節はひとつ次のページにもういるんだって。

ふいにキンモクセイの匂いがしてくる。

夏がすっと風のあいだにすべりこんできて、もっと濃密な
空気をもたらし始めると、早く秋になるといいのにって、
小さい頃よく思っていた。

ちゃんと。

わたしの住んでいる町にも夏が訪れて、あいさつらしきもの
もそこそこに、ひどく親しんでも、暦が8月の終わりに近づく
と、愛想なくじゃあねさえ言わずに、秋の風の先にまぎれな
がら、すこし姿を消してゆく。

姿を消したことに気づくのは、たいていキンモクセイの香り
がするときだったりする。

向かいのお家に、うたちゃんという女の子が住んでいる。

今も小さい子だけれど、もっと小さかった頃。

うたちゃんとお兄ちゃんは、家の前の道路を遊び場にして。
いつも少し年上の小学4年生ぐらいのお兄ちゃんと、遊んだ
り泣いたりしていた。

朝早くから、三輪車に乗って。ちょっとふしぎな節廻りの歌
を歌っていた。

2年くらい前のこと。

そのうたちゃんが、夏になる前、お兄ちゃんの遊び道具で遊
んでいた。片足だけを動かすうたちゃんにとっては高度な乗
り物に、ひとり猛練習の末、乗れるようになった。

朝の7時ぐらい。

わたしは二度寝を決め込んでまどろんでいたその時。

うた、すごいよ。すごい。おとうさ~ん。おとうさ~んって、
お父さんを呼ぶ大きな声がしていた。

うたがね、これにね。乗れるようになってるよ、すっげ~。
っていう声で目が覚めた。

何がすごいのか、うたちゃんの姿は道路の向こうだったので、
見えなくて、お兄ちゃんの声しか聞こえなったけれど。

慌ててお父さんの引きずるようなサンダルの音がして、わぁ、
いつの間にうた、乗れるようになったの?へぇーすごいねって。

うたちゃん、ほめられてるわ。
ほめられてるよ、うたちゃん!

いつも密かに練習しては、泣いていたうたちゃんを知っていたし。

お兄ちゃんにちょっと厳しくされてふてくされていることも、
知っていたから。

うたちゃんは、それを夏が来る前に成し遂げたんだなって、思ったら、
眠かったことも忘れて、すこしうれしくなっていた。

お兄ちゃんは、そこでもう一押ししたかったみたいで。
やる気にさせるモード満載状態で。

火がついたみたいに、うた、だめだめだめ。
がまん、がまん、まだブレーキは使わない。
そうそうそうそう。がまんして。
うぉ、できてるじゃん!

お兄ちゃんのコーチぶりもよかった。

そういえば、その夏。
近所のおばさんに、うたちゃんは話かけられていた。

あなたのことおばさん、知ってるわよ、はなちゃんっていうん
でしょ、

そう言われて。

憮然とまではいかなくても、その中ぐらいの表情と声で、きっ
ぱりと、正しい名前をそのおばさんに伝えていた。

うた

ってただ呟いて、ちょっと面白くないみたいな感じで、去って
行ったのを目撃したことがあった。

いいぞ、うたちゃん。
おばさんもわるぎはないんだよ。
でも、そのうたちゃんの態度はすきだよって、思った。

うたちゃんは、意外に毅然としているものだなって、ちょっと、
と微笑ましかった。

あの頃は、近所でうたちゃんの声がすると、あ、夏なんだなって
思ってて。夏の代名詞みたいなうたちゃんの声がおもてで聞こえて
いる間は夏なんだって思うことにしていた。

あれから時間が経って。

2020年の夏がやってきた。

わたしの住んでいる通りからも人通りが消えた。
今は少し戻っているけれど、いつもの夏とはすこし違っていた。

正直うたちゃんのことは、なんとなく忘れていた。

この間の夏の終わり。
買い物から帰って来た時、ひとりの女の子が歩いていた。

あ、うたちゃんだ!大きくなったけれど、うたちゃんだ!

って、思っていたら、うたちゃんの方から頭を下げてくれて、
こんにちはって
言ってくれた。

ピンク色のマスクの中でこもった声のままあいさつしてくれた
うたちゃん。

あの夏、はしゃいだり泣いたりしていたうたちゃんの声がしてい
たあのひと夏は、もう昔なんだなって思った。

なによりも、うたちゃんが礼儀正しくあいさつしてくれたことが、
なにもまちがっていはいないのに、なんとなくさびしかった。

2020年はうたちゃんにとってどんな夏休みだったんだろうって、
こどものいないわたしは思いを馳せていた。

うたちゃんは、なんだかわたしが思っているよりも、おとなに
なっていた。

👒 👒 👒 👒 👒 👒 👒 👒 👒 👒 👒 👒 👒

今日もひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました!

今日の一曲。

#聞きながら書いてみた

は、Omoinotakeさんの夏の幻です。

どうぞお聞きくださいませ♬

     キンモクセイ どこかどこかで 夏を失って
     つないでる どこどどこかが ふれてさびしい

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