光と影。光は影。影が時には光になって。

小さい頃から夜が好きだった。

怒られたり泣かされたり、うまく言葉に

できなかったことも、その時間がやってくると

ぜんぶ、闇の中に包んでとこか遠くへと持ち

去ってくれるような気がした。

家族が全員まだそろっていた小さかった頃、

宮崎で降るような星をみたことがあった。

夜空があまりに近くて、落ちてきそうな星々の

ひとつひとつが、すべてじぶんの悪のぶぶんを

吸い込んでいる形に見えてきて。

好きなのに、所在なげな気持ちに駆られて

すこしばかり不安になったことがあった。

あの頃、みんなで星空を見た日の記憶は、

どんどん薄れながらも、大きくなると

夜眠るのが下手なひとになっていった。

眠らないと自分の闇をみつめてしまう。

自分はたぶん8割ぐらいの闇でできているん

だろうって。

そして、眠れない人たちが書いたものを好んで

よく読むようになった。

<すぐそばに、犬がいっぴき。じっとして、さっきから、
遠い一点を、見ている。彼のからだをすっと、とおりぬけて
いきそうな、永遠の、沈黙が>


ウンベルト・サバの詩を読んでいると

いつのまにか、自分が犬の視点になっている

ようなそんな気がしてくる。

どこにも海はないのに、波の音が犬の耳の中に

聞こえてきて、やがて静まりそれが凪になって

いるような。

そしてそのせつな生き物たちがすこやかに

眠りにおちてゆけることを祈ってしまい

たくなる。

そんな闇をみつづけていたわたしはある日

noteにやってきた。

やってきたときは、まだ闇を抱えたままで。

そして、わたしはたまごまるという名前の人と

出会った。

わたしは彼のことを明暗で分けるとぜったいに

明 だと思っていた。

光と闇で分けるなら

闇はわたしで、

は たまごまるなのだと。

そして、わたしの言葉を受け止めてくれて

こっちにおいでよって声をかけてくれたことが

うれしくて、遊んでもらうようになった。

仕事場でも、わたしはどこかみんなと仲間である

とか思えないところがあって、何年一緒に同じ

チームにいても打ち解け下手でそれが難しい。

下手なことがわたしには多すぎる。

立ち位置は、今はあまり言わないけど絶えず

アウェーな感じだった。

なのに、なぜかおそるおそるnoteにやってきて、

彼にわたしの言葉を読んでもらってからは、

たまごまるという強力な味方を得たことが

わかった。

そう思っている人はnoteに数知れずいるだろう。

わたしもそのうちのひとりだった。

そして、ある日わたしnoteに馴染んでここに

住んでいるんだなって気づいた。

馴染むって、何年振りだろうって思った。

馴染めたことの一つは、大切な友人たちが

いたからだ。

その中には おおきなたまごまるが 

いた。

わたしにとっては心の中に占める存在が

とてつもなく大きかった。

きみの味方だよっていう言葉や声にずっと

飢えていたことをわたし自身知った。

負のエネルギーが強いわたしに対して

正のエネルギーのたまごまる。

前のアイコンも白っぽくて白いし

わたしは黒猫の黒で。だから、

白が たまごまるで

黒が    ゼロの紙だ。

基本的に彼とわたしは対のような性質なのだと。

楽しいこと、やさしいこと、あかるいこと

ゆめのあること、わいわいすること、

ハッピーであることはすべて彼の担当で

あるかのように過ごしていた。

そういうところはもう彼の十八番だと思って

いた。

だけど、よく考えたらわたしの書く文章に

共感してくれるということは、彼のなかにも

わたしがいたことになる。

そして、突然の彼のお休み宣言。

それを知って動揺した。

みもふたもなく悲しんだ。

その悲しみ方がおかしいと半ばお叱りを

受けたようなそんな言葉ももらったことも

あった。

でも、悲しみって、わたしだけのものだから。

それは、今でも誰のものでもないと思っている。

あれを機にわたしの心があたらしい扉を開けた。

ライフがあってそのなかにnoteがあるのだから。

ライフのこともちゃんとしようねって。

軌道修正できるものはしようと、心の

シフトチェンジができた。


ある日のことだった。

洗濯物を干しにゆこうと思ってふと部屋の壁をみると、

レースのカーテンを通して光が射して、

まるいふたつのわっかの影が重なっていた。

〇 と 〇 が 重なっていた。
なんだろうって思った。


輪の正体は、2本のマニキュアの容器のてっぺんの

ちょっとメタリックにひかる〇だった。

なんてことはないのだけれど。 

その時あっ! て思った。

そういう瞬間をみつける度にうれしくなる。

ベランダから戻ってきたらまたみようって思った。

でも、戻ってきた時には、もうそれは跡形もなくて。

ひかりと影がタイミングよく出会った時にしか、

あらわれないことに気づいたのだ。

その時に、もういちどわたしはその頃おやすみの

たまごまるのことを考えていた。

さっきの残像を思い浮かべながらこれだよって。

どっちが光で、影なのかわからないけど。

こんなふうに、どっちかが光になったり

影になったりすればいいんだって。

彼がもどってきたら、ひかりの部分だけを彼に

おしつけてはだめだって。

役柄は当番制で行こうよって。

お帰り

が、言える日がやってくるのを待っていた。

ひと月ちょっとたった昨日、あの日のさよならは

ここに到達していた。

あの時わたしは悲しんだけどあれは

行ってらっしゃいぐらいの感じで見送れば

よかったんだなって。

そしてお帰りが、言えた。

それもわたしと桃子さん(如月桃子さん)のお誕生日の日に。

そして、彼はわたしへの言葉を贈ってくれた。

おぎゃーってわたしが生まれた日、祝福の言葉を

受けたであろうその日のことを思い浮かべてしまう

ようなそんな素敵な手紙をもらった。

たまごまるさんことまるる、わたしはまたあなたに

たいせつなものをまた頂きすぎた気がしている。

あなたのままでいてねって、わたしは小さい

場所でつぶやいた。

あの言葉が届いていたことがうれしい。

たまごまる、あなたの本名は知らないけれど。

生まれてくれてありがとう‼

そして、noteでたまごまるになってくれて

ありがとう!

いつかまた行ってらっしゃいって言える日が

来ても大丈夫だし、わたしも行ってきますって

言うことがこわくなくなったよ。

終わり(まるるの記事の終わり方真似してみたよ!)


垂直に 夜が滴る 地球の果てで
すれ違う 憂いたちも 眠りに落ちて

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