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私らしい私は、まだみつかっていないけれど。

物を書いたり作ったりしていると。

色々な方から批評されたりスルーされたり
色々だけど。

いつだって書くことや発表することから
怖さは遠のかないので、書くぞって覚悟
するまでに時間がかかる。

そんなわたしにも、かけてもらっ忘れられない
言葉がある。

はるか昔のこと。

<新神戸・オリエンタルホテルの二十九階の窓から下を見下ろすと、家々の屋根が、どこまでもどこまでもつらなっています。手元にある投稿された短歌の原稿は、それらの屋根と屋根のすき間から舞い上がってきた悲鳴のようにさえ思えます。短歌という制約を持った歌は、その制約をこそバネとするのでしょうか。>

『鳩よ!』での蜷川幸雄さんの応募者たちへの評語


わたしが投稿ばかりに精を出していた頃、はじめて
短歌を選んでくださったのが、蜷川幸雄さんだった。

はじめは蜷川さんの舞台演出での熱を放つ力を、
雑誌などのうわさで聞いていただけに、
短歌の選者である蜷川さんにわけのわからない
不安とおそれを感じていた。

でも、どこにも所属していなかったわたしは
そんな他流試合をこなすことでしか、短歌との
つながりがみつけられなくて、毎月何首かの歌を
詠んでは、マガジンハウスの<鳩よ!>の
編集部宛てにせっせと送り続けていた。

冒頭ちかくの蜷川さんの文章は、そのコーナーで
採用してくださった時の文章だった。

応募作に対して、たくさんのダメだしや言葉の上
での<灰皿>が、短歌めがけて飛んでくるかも
しれないことを想像していたわたしは、その真摯さに
こころ打たれたことを思い出す。

いつもいつも選ばれることはなかったけれど、
蜷川さんに頂いた短歌への評語はいま読み返すと、
ほんとうに励みになることばかりだった。

蜷川さんはいつも<短歌たち>と人称化して
呼んでいらっしゃったことも、あたたかくて
懐かしい。

今、バックナンバーをしずかにめくりながら
いろいろな想いに取り囲まれている。

あの頃の焦燥ややるせなさや、うまくいかない
日々を回収できなくてもやもやしていたあの
時間のことを。

それは今もどこか変わらない表情でわたしの
前にあるような気がする。

ずっと変わらないんだなって思いながら。

あれからも短歌を辞めたりまた続けたりしながら
ここのnoteで再び出会い直したようなそんな
気持になっている。

こころのずっと奥底に響いてくるような蜷川さんの
肉声がいま一瞬、聞こえたような気がしていた。



春の午後からだのなかに雨が降る青い吐息をのみほしてゆく


春の風だまったままでじゃんけんを手のひら熱い つぶやくように


 

伝言がひかりのなかにまぎれても名前を呼ぶよほのかに呼ぶよ



🍃ライラック杯の短歌部門に参加します!🍃

   

今回は、審査員もご一緒させて頂くことになりました。
みなさんのすてきな作品にたくさん出会えることを
楽しみにしております。
〆切は25日まであります。まだまだ大丈夫ですね!
どうぞよろしくお願いいたします🍃

 

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