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ここにいるよ、ここにいる。

じぶんの歩いてきた道をたとえば
白い地図に点と点でつないでゆけば
どんな線を描くんだろうって時々
夢想してしまう。

でたらめな線を描きながらも、変わらず
そこにいてくれたのは母かもしれない。

結婚もしなかったから。
離婚した母と暮らしてどれぐらいに
なるだろう。

太陽がいっぱいみたいに、わたしにとっては
まぶしいほどいっぱいだ。

昔は喧嘩もしたし、悪態もついてシカトもした。
沈黙戦を決めて、これ以上黙っていたら病んで
しまうと思うところまで、表面張力ぎりぎりいっぱいに
保たせながら、ふたり意地の張り合いもしていた。

今、母はそんな日々を忘れてしまったかのように
穏やかな日々をベッドの上で暮らしている。

記憶は時々、迷子になる。

でもその新しい見たことも触ったことも
ない記憶はわたしには新鮮で。

じぶんの人生がいまの馴染んだものじゃなくて。

違う世界線があったかのように思えるので。
楽しみながらそれを受け入れてる。

歩けなくなってしまっても、立ち上がろうとするし。
よく笑うようになったし。
どこか悲観の感情さえ置き忘れてくれていることが
ありがたく思う。

決まって、夕方になるとわたしが小さかった頃の話をする。

弟とは4歳離れているのだけど。

今はすっかり仕切られてしまっているけど。

弟が幼い時わたしの姿を泣きながら彼が 道路まで
裸足のまま探しに来てていたらしくて。

今そのことが起きているかのように、すこし
困ったのよみたいな表情で話してくれる。

そうだったのか。
弟のことも今の弟じゃなくて、はじめましての弟と
会っている気持ちになる。

最近十八番のように話してくれる小さかった
頃のエピソードがある。

遊びに来ていたケンちゃんやゆきちゃんが
帰るとわたしの一人遊びが始まるらしい
のだけど。

しばらく母が夕飯の支度に忙しくなると
さみしくなるせいなのか。

だれも呼んでいないのに、ソファの背にもたれながら。

心細そうに。

ぼんちゃんここ
ぼんちゃんここ

って自分の名前を呼んでいる。

ここにいることを忘れないでねっていう
意味らしい。

ああって母の声を聞きながら思っていた。

自己顕示欲が浅いというか低いというか
弱い子だと思っていたから。

ぼんちゃんここっていう自分の姿が
まるで自分じゃないみたいで新鮮だった。

じぶんにも、もうひとつの顔があった
みたいに感じてちょっと面白かった。

夕暮れ、家の中に夕陽が差し込んでくる
頃になると、子供たちはもしかしたら
たちまちどこか所在なげな感覚に襲われる
ものなのかもしれない。

そのことを母が記憶していたことが、
うれしかった。

まるでアルバムをめくるように、わたし
愛されていたのかもしれないと思えたから。

母の愛情を確かめるために今の時間が
あるわけじゃないことは重々知っている。

でも、母が車椅子の生活になった今は
歩けない分、彼女の中で抱えられるぐらいの
記憶をすくいあげてわたしに見せてくれる。

それは手のひらのくぼみに掬えるほどの
記憶かもしれない。

でもわたしに届けてくれるその言葉は
繰り返し聞くたびに、幸せな子供だった
時間を差し出してくれる。

介護は何かを試されてるんじゃないよ、
「生活」だよって
だいすきな友人が言ってくれたことがある。

ほんとうにそれを実感している。

介護って「生活」「暮らし」なのだ。

このまま穏やかにわちゃわちゃふたり
笑いあいながら暮らしていけるといいなと
思っている。



わたしと出会う前の母。
笑ってる。


母と出会って母に撮ってもらった
写真。
わたし笑ってる。

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