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愛おしき食材、伝われ想い!つくる現場と食べることがもっと近くなったらいいなと思う。
私は毎日ご飯を食べる。家に帰る途中、いつものスーパーに寄る。
そこで私の目線はどこにあるだろうか。
1.整列した野菜
2.土まみれの野菜に触れる
3.小さな力が積み重なって
4.選ぶこと、選べるということ
5.買うこと=ラブコール
整列した野菜
現代のスーパーってほんとうにすごい。
豊富な品揃え、いつ行っても欲しい食材が手に入ってしまう。
カラフルな食材たちが、ずらりと、無言で並んでいる。
私の暮らしている国の食糧自給率が40%なんて、嘘なんじゃないかと思ってしまうほどだ。
学校帰り、なんとなくカレーが食べたい気分になり、スーパーに寄った。
ニンジン 3本 128円
ジャガイモ 1袋 258円
トマト 1個 98円
タマネギ 1個 88円
あ。私は自分が無意識に安い食材に手を伸ばしていることに気がついた。
私の目線は値札に向いていた。食べものを単なる消費の対象としか見ていなかった。
食材が“今ここ”に来るまでにどんなストーリーがあったのだろう。
誰がつくったの?
どんな土地で?
どんな方法で?
どんな想いで?
食材が自分の目の前に届くまでの道すじを見てみたいと思った。
土まみれの野菜に触れる
2021年の春から、つくる人に会いに行ったり、少しずつ自分でつくることに挑戦を始めた。
・駅の下にひっそり佇む畑でシェア畑をやることになった。
・住んでいるシェアハウスの畑でも野菜を栽培した。
・6月になると、田植えのお誘いがあって参加した。
裸足で田んぼに入ったのはなかなか気持ちがよかった。
・夏の間はとにかく草取りが大変だった。
・秋になると、米の収穫のお手伝いに行った。
稲を鎌で刈ったときのザクッザクッという音が爽快だった。
・冬に近づいたころ、収穫した大豆から豆腐を作ったりもした。
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この年は私にとって、食について考える年だった。
つくる人にたくさん出会って、いろいろな話を聞いた。
農業をはじめたきっかけや大変なこと、難しさ、喜びを感じる瞬間、挑戦していること。みんなそれぞれの想いを持って、一生懸命育てているんだ。
笑顔が素敵なその人は豊かでやさしい自然の中で、農薬や化学肥料を投入する農業は似合わないと考え、自然栽培で米や野菜を育てていた。それは決して簡単な方法ではなく、農業だけでは暮らすのが困難だと言っていた。けれど、「来年はこんな方法をやってみるんだ。」、「こういう品種で試してみようか。」と挑戦に目を輝かせていた。
「農業に卒業はない」と語るその人は、なぜかたまに英語交じりでラップ調。自分の畑を耕しながら、作る喜びを共有し次世代につなげていくために、年齢も職業も多様性あふれるシェア畑をつくった。「これは俺の妄想なんだけど、」そんな風に語られる畑や地域の未来に胸が躍る。
また、ある人は東北大震災を機に自分の「生き抜く力」の弱さに気づき、無農薬・無肥料で米栽培をはじめた。芯の強くてかっこいい人であり、好奇心旺盛で笑顔が秋に黄金に輝く稲穂よりも眩しい。
また、また、ある人は、無農薬でリンゴの栽培を何十年も続けている。私は無農薬で果樹を育てることの難しさを知らなかったが、話を聞いて、いかに難しいことなのかを学んだ。周りの人たちに笑われて、呆れられたとこもあったそうだ。しかし、あきらめずに挑戦を重ね、誰にも真似ができないリンゴを今も作り続けている。話し出すとなかなか帰してもらえないけれど、おじいちゃんの話す菌や森の話はずっと聞いていたい。
小さな力が積み重なって
さて、スーパーの場面に戻ろう。スーパーに並ぶ食材を選ぶとき、
私は何を見て、何を考えていただろう。
大型のスーパーで目にする食材の多くは遠く離れた場所から送られてくる。
きれいな見た目で味もよく、安い。なぜ、傷がなく、虫食いもないのか。
なぜ、いつも同じ味がするのだろう。なぜ、こんなにも手ごろな価格なのだろう。なぜ、、??
私が何も考えず、表面だけで野菜を選んだとして、何か変わることがあるだろうか。たった一人の、小さな選択が世界に影響するのだろうか?
きっと見えている世界は何も変わらず、いつも通り流れていく。しかし買い物は投票だと言われるように、選択はたとえ微力であっても「変える力」があると思う。そうであってほしい。
一人一人の何気ない選択が積み重なって、世界は変わっていく。
私の選択もその一つだと考えると、少し恐ろしいなと思う。
選ぶこと、選べるということ
この話をしたら、友人が私にこう言った。
「選ぶことができるのは、僕たちが恵まれているからなんだよ。」
私は、確かにそうかもしれない思った。誰もが自由に選択できるわけではない。お金のことやそれぞれの背景がある。
こういうことを考えると頭の奥がズキズキする。
世の中で起きていることはそれぞれが複雑に絡まり合っていて、何かに向かって真っすぐ走っていると糸に絡まって身動きが取れなくなるような感覚に陥る。
だからこそ、誰かの選択を否定する姿勢を取るのではなく
自分の選択についてよく、よく考えて、悩んで、納得することが大切なんじゃないかと思う。正解はわからないけれど、今の私にはそれしかできない。
買うこと=ラブコール
食材を選んで、買う。
それは食材やつくる人へのラブコール。
あなたのつくる野菜が好きです!というかあなたが好きです!
と伝える方法。
そう思うと食材を買うのも、料理するのも、食べるのも、
なんだかいつもより楽しくなる。
私の好きなあの人がつくった、愛おしの野菜たち。
つくる現場と食卓がもっと近くなったらいいな。
どっちの想いもちゃんと伝わるようにしたいな。
そんな風に思っている。
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