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国会議員VS最高指導者 永田町緊急対談

令和3年2月某日、当店の最高指導者KAZUMAが永田町の衆議院議員会館に出向き、立憲民主党の衆議院議員、小川淳也代議士と日本経済再建のための経済政策について意見をぶつけ合った。

小川淳也代議士に関して

小川代議士と言えば、ドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」が昨年公開され話題を呼んだ。大島新監督が小川代議士の17年間の議員生活に密着し、長年の選挙活動や議員生活を隠すこと無くリアルに映像に収めたこの映画は、昨年6月わずか東京の2館のみでスタートしたのだが、異例の動員数を記録し、2020年末には全国80館にまで広がった。「ただ社会を良くしたい」と愚直なほど真面目に政治活動に勤しむ議員の姿は、たくさんの政治不信に陥っている人々の心に一筋の光を与えた。そんな代議士だからこそとKAZUMAが送った1通のメールから、今回の対談が実現した。

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現代貨幣理論MMTについての議論

これまで何度か書かせていただいおりますよう、当しんぶん赤派では現代貨幣理論を軸にお金の仕組みを考え、経世済民を訴えて来た。資本主義の仕組み上、民間企業が融資を受けると民間のお金が増える。しかし民間企業が融資を受けて事業展開をしたいと思わないような需要喪失の時には、銀行融資が減り、世の中のお金の量は減る。するとお金の価値が上がりモノの価値が下がるため、人はお金を貯め、使わなくなり、モノの価格は下がる。これがデフレーションだ。そういった場面では民間の代わりに政府が国債を発行し仕事を作り、財政出動を経て民間に出回るお金の量を増やすべきだ。ではどれだけ増やすのか、その制約がインフレ率となる。要は政府の税収や歳入出のバランスは関係なく、お金の価値が下がりすぎないところまでは、政府が民間のお金を増やしても良い、いやむしろそれこそが唯一のデフレ対策であると。

しかし小川代議士はMMT現代貨幣論を「貨幣経済はフィクションであるという点からも、MMTはマクロ経済学的に正しい、また現在のコロナ禍の中では有事として、困窮者や売上が減少した企業を対象に財政出動すべきである。」としながら、同時に次のような疑問を呈する。「例えば公共事業に財政出動したとして、戦後のようなGDP成長を求める社会を目指すことが、我が国において果たして持続可能なのか。人口減少が喫緊の課題である中、財政出動で民間需要が回復し、成長期のように経済が自然と成長曲線に移り、また貧富の差が解消される日が来るのだろうか。」

人口減少と資本主義の持続可能性

小川代議士の主張はこうだ。江戸幕府開府後の日本は兵農分離や農地開拓により人口は増加傾向であったが、農地開拓が限界を迎える1700年代には人口増加は止まる。享保の改革等様々な改革が取られ、低成長な時代が続く、その後明治維新以降再び経済成長しその約140年で人口は約4倍に増加。そして現在は20年間の不況とともに、人口は再び減少。要するに経済成長と人口増減には相関性があり、またこの先50年で日本の人口が増加に転じることは世界的な状況を見てもあり得ない(これは日本だけではなく世界的な問題)。経世済民はもとより、この貨幣経済というフィクションを採用した資本主義の仕組み自体を考え直さなければならない時期に我々はすでに突入している。

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ベーシックインカム

かつては当ショップもベーシックインカム(BI)を主張していたが、現代貨幣論に基づいて考えると、モノの供給や雇用率の増加を伴わない政府の貨幣供給は、急激な貨幣の価値の下落=インフレを招く危険性があるということと、社会保障を全て撤廃しBIにという某新自由主義指導者のBS番組での暴論が広がったことにより、BIには距離をとっていた。物価は需要と供給のバランスであり、モノの需要が増えるとインフレ圧力がかかり、供給が増えるとデフレ圧となる。なのでBIのような供給力を伴わない給付よりは、失業率を減らし、雇用率と供給を増加させながら民間のお金を増やすほうが持続性があり、インフレ圧も防げるという考えもある。

しかし代議士はBI推進派であり、むしろそれを再分配に組み込むべきと考える。

確かに2020年の統計で日本の高齢者の割合は総人口の28.7%、2030年には国民の3分の1が高齢者となると予想されている。3人に1人が年金をもらう時代に、国民全員に年金同様のBIをスタートしたところで、インフレになるのだろうか?経済成長、人口増加の真っ只中で作られた、現在では持続不可能が叫ばれている年金制度を今後続けるより、税の再分配として全世代型年金的なBIを考えるという部分は、議論するべきなのかもしれない。

「コモン」と「資本主義」のハイブリッド社会を

マルクス研究家、齋藤幸平氏の著書「人新世の資本論」が大ブレイク中だ。人新世(アントロポセン)といえば、当ショップでも扱っているFUTUREISNOWNのデザイナーANTON BUNDENKOも早い段階で訴えており、2020年のコレクションで用いたテーマでもある。

人新世とは、人間の活動が地球に地質学的なレベルの影響を与えていると訴えるオランダの化学者パウル・クルッツェンが提言した、新たな地質年代だ。我が国でも環境危機への対策としてサステイナブルが叫ばれてはいるものの、それらはほとんど企業が免罪符として、またプロモーションの一環として用いられてしまっており、現実この新自由主義的競争社会の中で消費を抑えることは、経済の死を意味する。要は環境危機や資源枯渇、労働者搾取等様々な問題の拠り所を資本主義自体に置き、資本主義そのものの仕組みを考え直す時がすぐそこまで迫っているという考え方だ。

確かに資本主義は、サステイナブルと相反する所にある。極端に言うとこの資本主義社会から倫理観を取り除くと、資源をできるだけ無駄遣いし、環境を汚し、労働者を搾取すればするほど利益が出るという仕組みである。しかし資本主義下で生まれる企業間競争は、必ずしも悪い方向に向くとは言えない。競争を無くすと成長は止まり、国力は低下する。民間企業は国家間競争下で不利になり、また防衛の面で他国からの脅威に晒されやすくもなる。

小川代議士はその辺り、競争社会とコモンが共存するハイブリッドな社会を目指す。世界が成長の渦中にあった冷戦時代とは違い、今や国家経済の仕組みが共産主義、資本主義に2分されると単純に言い切れる時代ではない。医療、介護や保育など生活の基盤となるベーシックサービスを将来的には拡大し、コモン(公共空間)を充実させ新自由主義からの脱却を訴える。

激論の2時間を通して

我々BUNKER TOKYOはソ連をモチーフに、レーニン、マルクスを掲げたアパレルショップである以上、ポスト資本主義は当然オープン当初から掲げてきたテーマでもある。しかし西側諸国プロパガンダの中に置かれていた日本ではこういった提案は「社会主義的」と捉えられがちであり、それならば資本主義の中で出来ることをという思いからここ最近は資本主義社会における経世済民を模索してきた。もちろん現在のコロナ禍において世界中が財政出動に踏み切っている中、経世済民は直近の課題であるのは当然のこと。また20年以上続くデフレ、低成長の原因が主流派経済学者の誤りによって引き起こされていたと考える立場は変わらない。だがしかし、あらゆる場でサステナビリティが求められるべき時代の中、果たして今後このまま民間任せの資本主義を継続していくべきなのかという議論、また小川代議士の主張するよう、フィクションである貨幣経済を未来永劫続けていくべきかという議論は、いずれ訪れる避けられないことであると考える。

英国や米国は経済対策と環境保全の両方を同時に回復出来るグリーン投資にすでに踏み切っており、日本でもまずは今すぐこの考えを取り入れるべきだ。グリーンニューディールに基づいた財政出動で新たな形での雇用、公共投資を生み出し、同時に民間の需要を回復する。その先には新自由主義の終幕、ポスト資本主義に向けた議論がいよいよ現実味を帯びてくるだろう。

また、財政出動にせよ税による再分配にせよ、最低条件として政府の透明性は必須である。エストニアではすでに99%の業務がデジタル化され、ブロックチェーン技術により税の使い道の見える化も進んでいる。経世済民やMMTをいくら訴えたところで、それが票田に回るような癒着的な投資をされるようでは貧富の差どころか、結局は富は富裕層に吸われ続け、国民の生活は何一つ変わらない。税負担を国民に課す以上、見える化は一丁目一番地あると意見が合致したところで、次回への課題を残し議論は幕を閉じた。

おまけ

先日小川代議士がSUGIZO氏らとの対談の中で「公園や水や空気の綺麗さはGDPでは計れないけど、心を病んで精神科にいったりすればGDP上がる。」と言っていたということを友人から伝え聞いた。これには全くもって同意である。全てを資本に置き換えそれを指標とする考え方と決別すべきだ。私はベルリンに住んでいたことがあったが、誰かと会う時は公園で0.5ユーロのビール3本で過ごすのが普通で、しかし日本に帰ってくると同じ満足感を得るのに3日で2万円無くなることに非常に疑問を感じていた。また日本に長年住んでいたフィンランド人が「日本はハイキングをしようとしてもここからは入るなという看板があったり、釣りにお金がかかる場所があったり、北欧ではこんなのはあり得ない」と言っていたのが印象的だったが、フィンランドを始めドイツでも北欧にも自然享受権という権利が国民に保障されており、市民や観光客含む全ての人が、土地の所有者や生態系に損害を与えないという条件つきで、誰が私有する森であろうと誰でも自由に立ち入る権利を有し、山菜やキノコなど果実の採取も認められている。共有財産=コモンの意識の違いが明確に表れている一例だが、「構造改革」や「成長戦略」と銘打ち、自然だけでなく医療や土地、インフラさえも全てを資本に置き換えて民営化、競争化させてしまう新自由主義的価値観こそが、そういった無益な競争を起こさせ自分たちを苦しめるトリガーであると国民の側から気づき、価値観をアップデートしていくことも非常に重要であると思う。国民の価値観が変わらない限り、我々はこの新自由主義社会から永遠に抜け出せないのである。

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