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美佐江のバルセロナ放浪記

美佐江は、まだ高校2年生だ。女子校の中で、目立たない存在だ。短大の文学部に入って、会社勤めをして、そこでかつこよくなくてもいいから、真面目な男性と結婚して、子供を産んで、慎ましい家庭を作りたいと思っている。

昭和の時代は、慎ましく社宅に住み、貯金をして、いずれ郊外の一戸建ての家を持って、家族仲良く暮らすのが、みんなの共通の夢だった。サラリーマンと言う言葉が定着し、誰もが真面目に働いて居れば、郊外だが家を持てた時代だ。

そんなレールの上を走れば、平和な家庭が築けた。そんな夢の中を彷徨っていた時期もあったと振り返る。実際は、女子大を卒業すると紀伊國屋書店という本屋に就職した。当時は、紀伊國屋ホールという劇場があり、演劇や落語などが催されていた。

小さな本屋から文化を創ったと言われる田辺茂一は、創業者である。1905年、東京・新宿で薪や炭を売る「紀伊國屋」の跡取りとして誕生。裕福な家庭で育った田辺は、10歳の時に洋書と出合い本屋になる夢を抱くようになる。

1927年、21歳で「紀伊國屋書店」を開業。文芸同人誌を刊行するなど、独自のアイデアが功を奏し支店をオープン。1932年、結婚し3人の子供に恵まれるが、結婚生活は4年で破綻。さらに、作った雑誌も次々と廃刊し失意のどん底に。しかし、終戦後、焼け野原に新たに店を再開。

1964年には地上9階、地下2階の巨大ビルに建て替え、カフェや花屋、演劇ホール、人気テナントを呼び込んだのが、戦後のことだ。美佐江は、絶頂期の紀伊國屋に就職した。新宿に文化が花開いていた。

美佐江は、落語界の異端児であり田辺の愛弟子の立川談志や「いつも心に太陽を」、「熱海殺人事件」、「蒲田行進曲」などを手がけた「つかこうへい」の劇を観ることが出来た。身近に新宿カルチャーが手に入った。アルタや紀伊國屋から伊勢丹までの新宿通りは、黄金のストリートで、伊勢丹、三越、丸井などのデパートだけでなく、周辺には、鈴屋、三愛、高野、三峰、高久など人気のファッション専門店が軒を並べていた。漢字で書いてある頃の方が景気が良かった。そのような気がするのは、ほとんどの店が閉店、撤退しているからだ。

銀座が高級店なら、新宿は若者中心のカジュアル店が圧倒的に多かった。世の中もトレンドが毎年目まぐるしく変わるカジュアルな時代だった。ベーシックアイテムなど見向きしないアグレッシブなスタイルが好まれ、派手にアピールしないと生き残れないような雰囲気があった。今のベーシックなユニクロスタイルなどあり得なかったのだから、時代もファッションも大きく変わった。美佐江もベルボトムジーンズに胸元を開けたシースルーのシャツなどを着ていた。オフショルダーやチュニックなどもセクシーに着ていた。

真面目な男と結婚したいと望んでいた美佐江に結婚を決意する男性が現れた。合コンで知り合った四国の資産家の息子だった。まさか、東京暮らしの女が四国に引っ越すと思わなかったが、資産家の家なので、別宅を郊外に買って、たまに東京に来たい時に使うという約束で、結婚したようだった。子供も産まれ、順風に人生を謳歌している美佐江は、高校時代を思い出していた。

井上陽水やさだまさし、リリイ、などのLPを聴いていた頃、赤川次郎や星新一、筒井康隆などのSFや青春ものを読んでいた。まだ、恋愛など具体的な相手もいない乙女の思いは、純粋で無垢だった。後悔はしないが、田舎くらしで社長夫人という重圧もある現在では、百人ほどの部下の目もある。結婚は人生の墓場のようにも見える。

何か違うと違和感がありながら、仕事と経営に夢中の夫に対して、さりとて、不満もなければ、要望もない何一つ不自由のない生活を営んでいる。突然に、「海外に一人旅に出たい」と夫に言った。美佐江にとって、初めての欲求だったかもしれないと思った。なんとなく、あてもないが、バルセロナに行きたい。夫が意外なことを言った。「もう15年間、こんな田舎暮らしをさせて、社長夫人という重しを課せたのだから、一度くらい自分の好きなことをさせてあげたい。本来なら、私も付いて行きたいが仕事から目を離せないので一人で行って来てくれ」と言うのだ。普段から大人しい夫からこんな返答をもらうとは思っていなかった美佐江の方が驚いた。

スペインのバルセロナの人気の理由は、市内にはローマ時代の遺跡や旧市街の街並みが数多く残っているほか、世界的な建築家、アントニオ・ガウディをはじめ、ミロ、ダリ、ピカソなどそうそうたる芸術家を多数輩出したアートの街として知られている。そこが、美佐江が心惹かれた点だ。宿は、旧市街の小さなホテルを取った。もちろん、小さな旅行代理店を通して、四泊五日の短い旅だ。モスクワ経由のアエロフロートで行ったのだが、トランジットでいつも出発ゲートが度々変わるのには閉口した。便名だけを頼りにゲートを探す。

成田からモスクワまでの道のりも結構ある。トランジットでバルセロナ便に乗り換える。あまりの暑さでモスクワ空港で、ビールを飲んだ。もちろん、クレジットカードが使えるか心配だったが、こんなにビールが美味いのかと感心してしまった。多分、普通の生ビールだが、乾き切った喉につき刺さるように、一気に飲み干した。旅先の心配や不安が消え、気分が良くなった。

バルセロナでは、ホテルの近くにあった朝食のメニューが豊富な喫茶店のような店に毎日通った。と言っても実質3日しかない。観光する場所は、いくらでもあるので、迷うほどだった。サグラダファミリアは、ガウディが生涯をかけて作った建築だ。ここは、1日たっぷりかけてみたい。

「ランチはバゲットに切込みを入れイベリコ豚のハムとチーズを挟んだサンドイッチが大人気です」と旅行ガイドブックに書いてあったので、食べた。ワクワクしながら、サグラダファミリアの階段を登りながら、「一人旅もいいけど、家族で来たらどんなに楽しかったのだろう」と思ってしまうほど、想像以上に壮大で厳粛な空間であった。自己解放と言った今回の旅だが、家族あっての美佐江だと痛感させられた。

次の日に『パラウ・デ・ラ・ムシカ (カタルーニャ音楽堂)』へ行った。優雅なステンドグラスに思わずうっとりする音楽の楽しめる名物観光地だ。そして、グエル公園。町の中心から少し離れた静かな公園で、小さな家やベンチのモザイク、でこぼこした壁など、公園内に風変わりなガウディの作品が散りばめられていた。

最終日には、地中海の海沿いを散歩した。メトロの駅はビーチと同じ名前「Barceloneta」海岸までの道沿いにレストランが点在している。地元の人が食べに行くパエリヤの名店が並んでいた。もちろん、パエリアを食べた。美佐江は、開放的で、心が自然と弾むのがわかった。

心苦しいが、旅が最高潮に盛り上がった時に、帰国しなければならないのは、口惜しいが、仕方ない。「自撮り棒で撮った写真は、自分ばかりで、情けないくらいに無理な笑顔が悲しく見えた」と自問している。ただ、ひとり旅をして分かったのは、観光客を狙う悪い人たちも大勢いるが、大半は優しく接してくれた。人を思う心は、変わらない。美佐江は、日常の生活から離れて一人で過ごすことも大切だと思った。帰ったら、必ず夫に言うことがある。「ありがとう」と。「愛してます」を含めた感謝の言葉だ。突然、離婚をするカップルが多い。なんだか、美佐江のように、時たまだが、自由にさせてあげているのかと思う。借金してでも、妻に自由な時間のたまに与えたことがあるのだろうか。友が言う「うちは、逆に妻に金を借りているよ」それじゃ、ダメじゃん。そんな訳で、甲斐の無い男が多くなり、離婚が増えたのかもしれないと美佐江は思った。


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コミックの小説家でデビューしました。笑いをお届けしたいと思います。ペンネームは文豪乃冬目創玄てす。 こちらにも https://note.com/bungo_3/