インプットとアウトプットのバランス


この投稿は、前回記事に関連しています。
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バランスの取れた生活

私は今、インプットとアウトプットのバランスが取れている状態にある。
しかし、それは昨年インプットを増やしたことで、それ以前のアウトプットが間に合わない状況を克服しただけに過ぎない。だから今年はなんとか駆け抜けることができるけど、油断するとまたインプットとアウトプットのバランスが崩れかねない。
現状、インもアウトも“腹八分目”でやっている。
それも悪くない。でも私はこれから、アウトプットの質を高めたいと思っているわけで、きっとまた追い付かない·足りない、つまり忙殺されるときが来ると思う。
家庭を持って、またライフステージが変わるとすれば尚更だ。
来るべきときのために、インプットすることにまだまだ貪欲でいなくてはいけないと思う。

舵を切る覚悟

スタエフでも話したことがあるけど、インプットとアウトプットというのは循環にほかならない。
インプットしていると、自分がしているアウトプットを体系化なり言語化なりしてくれたものに出会える。
一方で、アウトプットしていく過程においても、必要なものは何なのか明らかにすることができ、質の良いインプットに繋げることができる。
いずれにしても、行動<アクション>を起こすことが必須である。
そして、インプットとアウトプットのどちらにも覚悟が要る。それは誰かの情報源になりうるからだと、スタエフでは話したけれど、同時に、この循環の積み重ねが、そのままイコール自分の人生の軌跡になっていくからだ。
「こんな分野に進みたい」「こんな自分で生きたい」「こんな人を歩みたい」と、方角を覚悟は必要だ。

もちろん、何が起こるか分からない人生。
アクシデントやハプニングに遭って、その度真剣に悩んで、道を変え舵を切ることがあってもいいとは思う。
ただ、次にどんな一手をくだすか、ある程度の方針を決め先を見据えないと、何も始まらない。

質を高めるということ

もうすぐ29歳になる。
来る30代を決める最後の1年。
いま、あらゆるものの質をどれだけ高めることができるかが、自分にとって重要で、勝負どきだと思っている。 
現状の仕事や人間関係にはおおかた満足しているから、大きく方向を変えるつもりはないけれど、そのなかでいかに質を高められるか……

意識しただけで変えられるものだとは思えない。環境づくりが鍵を握っているはず。
学びの循環のなかに、不純なものがないか。
遊びを取り入れるために、必要最低限の部分は仕組み化ができないか。
見直し試していくときだと腹を括る。

感情とタスク

ちなみに、noteやstandFMでの発信を始めてから、行動の質は上がったように思う。
専門的な知識の投稿こそしていないけれど、感情のアウトプットをさせてもらったおかげで、そのあとの指針がくっきりと見えていくからだ。
それなりに感受性も高いし、日々思考は繰り返しているから、一旦それを出さないと行動に移せないのかもしれない。
ただ悶々としていた学生時代に比べれば成長したものだ。

そうして感情を出しきると、抵抗なくToDoリストの作成に移ることができる。
これも、タスクの洗いだし、アウトプットの一環。

アナログでも、感情とタスクの洗い出しは心がけている。感謝日記を付けたり、ジャーナリングをしたり、色々なことをルーズリーフ手帳に書き出している。
吐き出したものを、うまく整理するのは、まだできてないように思う。多分、学んだものの整理もあまり上手くはない。
それが、これからの課題。

またひとつ記事を投稿することで、気持ちは一歩前進できるのだと思う。
明日からもまた歩み続けなくてはいけない。
同じところで足踏みするにとどまるか、確実に次の景色を観ることができるか、これからの行動にかかっているぞ、と自分を鼓舞して投稿ボタンを押す。

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