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父が死んだ日からの悲喜こもごも⑥/滞りなく終わらない葬儀

1、何回食べるのか

少し話は戻るけれど、父が死んだ夜から食事を摂るどころではなく、打ち合わせや遺影の写真探しをしていた夜は、隣のおばちゃんがおにぎりと味噌汁を作ってくれた。日本人たるや、おにぎりを食べると馬力があがるのだ。

通夜の日は振る舞いのオードブル。どれだけの人が集まるのかわからなかったが、うちの田舎では料理や酒が不足するのが一番まずい。下手すると末代まで言われる可能性がある。恐怖である。そのため、ずいぶん多めの仕出しをオーダーすることに。酒は姉と私の痛恨のミスで不足したが、料理は予想以上に余った。しかしオードブルのため、衛生上持ち帰ってもらうのも難しい。仕方なく、泊まり込みの家族と親族でまた食べることに。これが2020年なら完全にアウトだ。今年、通夜・葬儀の形式は大きく変わっただろう。

翌日の午前中にはお斎(おとき)。お斎を葬儀前に食べるか食べないかは地域によって違うらしい。これもまた同じ仕出し屋から届く。葬儀・火葬を終えると、そのまま初七日法要、そして最後の振る舞いとなる精進落とし。斎場によっては、葬儀の中で初七日法要を済ませ、火葬中に精進落としを振る舞う場合もあるようだ。

精進落としで最後とはいえ、仕出しが続くのは正直つらい。ガツガツ口にするものではないけれど、お斎を食べた段階でおそらく全員が飽きていたと思う。

「おにぎり食べたい、お味噌汁飲みたい」と姉と二人で言いながら、葬儀前に自らを奮い立たせた。もうこの段階になると、私も母と同じで、故人を送り出す気持ちより「あと半日滞りなく終わってほしい……」と願う気持ちの方が強くなっていた。故人のことを考えると気が緩まり、その場にヘナヘナと崩れ落ちそうで。緊張感でどうにか食い止めている、そんな具合だ。

2、弔辞でざわざわ

葬儀・告別式がはじまり、読経、引導、焼香と続く。家族、親族、参列者と次々に焼香していく。これが終われば弔辞だ。あの弔辞だ。Cさん、頼むから無事に終えてくれ。いや、失敗しようが思い入れのある話なら別にそれでいい……。ただ、父は50年以上地域活動に明け暮れており、付随する形の趣味のカメラも、それについてしか言うことがないぐらいの人なのだが、幼馴染であるCさんがどこまで話してくれるのか。おそらく、参列した地元の人みんながそこに注目していた。

弔辞は小学校の思い出から始まった。Cさんは明らかに緊張していた。それはうわずった声から、また途中哀しみというよりは「あれ?なんだっけ?」みたいな長い沈黙がたびたび起こったことからもよくわかった。その都度、参列席がざわざわした。そんな中、皆で旅行した晩年の話が出た。次が地域活動やカメラの話?

しかし結局、長く携わったそれらについては触れられなかった。

最後に、力のこもった言葉でCさんの弔辞は締められた。

「〇〇くん(父)、永遠にお眠りください!」

……ん?  永遠に!?
もう永遠に眠ってるよーーー!!

家族と親族が困惑のなか、参列席がまたざわざわし始めた。話し声が次第に大きくなる。「笑ってはいけないけど笑ってしまいそう、ああ、どうしよう」。そんな空気とざわつきが会場に響き続けた。

母に目をやると、諦めの顔だ。だって仕方ない、いろいろなしがらみからこうなったのだから。お願いしたのはこちらなのだから。Cさんは悪くない。でも唯一本人が褒めてほしいであろう話が出なかったのは、やはりショックだった。そしてそれは、最初に弔辞をお願いして断ってきたAさんも同じだったようだ。

気を取り直さなければ。喪主挨拶が残っているではないか。

母がマイクの前に立つ。ここは絶対に失敗できない。「だいたい、あんたがしっかりしないから、母さんが挨拶することになったんだからね」と、通夜の日に姉からこっぴどく言われている兄は、ちょっと背中を丸めて家族席でボーッと立っていた。

母は、私がひと晩考えた挨拶文の最初の3行は完璧に覚えていた。が、真ん中の5行ほどを完全に飛ばし、最後の2行で着地。非常にあっさりとした喪主挨拶が終わった。

3、棺はゴミ回収車ではない

出棺前の最期のお別れがはじまると、親族知人が一斉に花などを持って集まってきた。口の悪い近所のおばちゃんが「〇〇ちゃん(父)、いつもひどいこと言ってごめんな。きついことばっかり言ってごめんなぁ」と号泣しながら、手にした花を棺に入れていたのが印象的だった。

ところで、棺にはたいてい故人が気に入っていたものや趣味に関するもの、身に着けていたものなどを入れる。通夜の前日、何を入れるか話し合った。

父は病気発症後に、同じ地区で地域活動を共にしたAさんとお遍路の旅をした。前々から行きたがっていたため連れて行ってあげたいと、Aさんが全部段取りをし、一緒に旅をしてくれたのだ。

棺には、その際の白衣や笠をまず入れる事に。生前の父からは、「間違っても掛け軸(納経軸)は入れるなよ」とキツく言われていた。これには理由がある。父の知人もかつてお遍路さんへ行き、納経軸を大切にしていたのだが、亡くなった際に奥さんが誤って、白衣ではなく納経軸を入れてしまったという、笑うに笑えない話を聞いたからだ。納経軸は末代まで家宝とするもので、わが家でもお盆や法事などには床の間に掛けるようにしている。

母は革靴や鞄、眼鏡も当然入れられると思っていたようだが、葬儀社に「今は燃えない物や有害なガスの出るものは入れられない」と言われ、困り顔。次に出たことばが「だって、これ家に置いててもしょうがないし。一緒に焼いてくれたら、ほんいいのに」だった。いかにも母らしい思考だ。

父は郷土芸能の伝承活動もしており、舞台の際につける面も顔にあわせて彫ってもらったものがあったのだが、ずいぶん後になって、母が布に包んで棺に入れていたことが発覚した。

「えー、あれ一緒に焼いちゃったの?」
愕然とする私。気づかなかった……。形見として取っておいてほしかったのに。

「だってあんた、あれがあったって私は使わんし」と母。
答えがどこまでもこの人らしいのだった。


***

次回は、「消えた火葬許可証」「ここはどこ!? モダンな美術館?」などをお送りします。もうしばらくおつき合いください……。

大変おこがましいけれど、登場人物は父(橋爪功さん)、母(白石加代子さん)、姉(小泉今日子さん)、叔母(高畑淳子さん)、親戚の夫婦(北村有起哉さん、坂井真紀さん)、兄(大泉洋さん)、私(水野美紀さん)、父の幼馴染(小野武彦さん)& 僧侶(田山涼成さん)、葬儀社の人(池谷のぶえさん、野間口徹さん)の超豪華メンバーで変換&お送りしております。ドラマ脳で、ほんとすみません!

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