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自分の日常を見ていると錯覚しそうになる/ドラマ『日曜の夜ぐらいは…』

「これは日曜の夜にはつらいかも……」。それがドラマの冒頭を観た感想だった。でも最後まで視聴して、やっぱり続きが観たくなった。

テレ朝の新しいドラマ枠で始まった『日曜の夜ぐらいは…』。脚本を岡田惠和さんが手がけるオリジナルストーリーである。別々の場所で暮らす3人の女性が、あるラジオ番組のリスナー向けツアーに参加したことから出会い、友情を育んでいく。

(以下、ドラマの内容を含みます)

清野菜名さんが演じる岸田サチは、車イスの母・邦子(和久井映見さん)と団地で二人暮らし。朝から晩までバイトをして、家計を支えている。職場と家の往復の日々。事あるごとに「ごめんね」「ごめんね」と言う母、そのことばに無反応のサチ。そんな場面がとても切ない。邦子が車イスになった原因と、何か関係するのだろうか。サチは笑い方すら忘れているようだ。

岸井ゆきのさんが演じるのは、家族から縁を切られた元ヤンキーのタクシードライバー・野田翔子。代わり映えしない毎日と孤独の中で、将来がまったく見えない。そして北関東の田舎で、祖母・富士子(宮本信子さん!)と古い一軒家で暮らす樋口若葉(生見愛瑠さん)。かつては裕福だったようだが、今は祖母と一緒にちくわぶ工場で働いている。母親は金と男にだらしなく、家族写真に写るその顔には富士子が殴り書きした×印。エンディングのクレジットから、母親役はどうやら矢田亜希子さんらしい。

それぞれが事情を抱えた登場人物たちは、『泣くな、はらちゃん』や『川っぺりムコリッタ』をちょっとばかり思い起こさせる。

家族や生き方に悩みながら、どうにかこうにか暮らしている3人が、ラジオリスナー向けバスツアーで隣同士に。母の代理で嫌々参加したサチは最初こそ無愛想だったが、翔子と若葉の調子に巻き込まれるうちに、やがて笑顔になる。一体いつぶりに笑ったのだろうか、彼女は。

スマホに映った笑顔の自分を見て、サチは涙を流す。

「楽しいことがあるときついから。きついのに耐えられなくなるから」

楽しいことがあると、つらい日常に戻るのが余計につらくなる。毎日つらい状況だけをつくっておけば、何も考えずに済むというのだ。

このシーンを観ながら、咽び泣いていた。何だろう、なんかわかる。すごくわかると思ってしまった。

夕食の宴会を抜け出した3人。「行き詰まったとき、どうしてる?」と訊かれ、サチは「コンビニで一番高いアイスを食べたら、まだやれると思うんだ」と話す。まさに母の邦子を連れて、コンビニでアイスを買って二人で食べるシーンがある。「まだ大丈夫だよね、やれるよね」と、自分たちに言い聞かせる母と娘。娘は自分を押し殺して母を支え、母は自身が娘の人生に暗い影を落としていると感じながらも普段通りに接する。

「世の中が楽しいことにあふれていても、自分とは無縁だ」と、線引きするクセがついているサチ。別れ際に「LINEを交換しよう」と提案する若葉に、「楽しかったから、このままで。だんだんLINEが来なくなったりするの、マジでダメだから」と返し、どこまでもネガティブに捉える。そこを「なんで?」と強引に押さない翔子と若葉も、彼女の気持ちを理解しているのだろう。

バスツアーでの出会い方は非現実的かもしれないけれど、彼女らが抱えているものは誰にでもあるもの、起こりうるもの。歯を食いしばって生きてきて、ときどき我に返ると本当にしんどくて、心が折れそうになることがある。それに耐えながら、また同じ朝を迎えるのである。しんどいループから抜け出せないサチのやるせなさや翔子の寂しさ、若葉のあきらめ。

「人生は、すべての過去との戦いなの」と翔子は言った。ツアーから数日経って、翔子と若葉はそれぞれ、コンビニで一番高いアイスを買って頬張った。そしてサチは、3人で写った笑顔の写真を削除して、日常に戻っていった。出会ったことで、各々の抱えたものから解放される日は訪れるのだろうか。

日曜の夜に観るには少々重い。しかし彼女らの行く末が気になる。3人の日常は、ここからどのように交錯するのか。劇中の台詞の端々にハッとさせられることも多く、聞き逃せない。

いつだって人生をポジティブに捉えられる人がこのドラマを観たら、もしかするとポカーンとするかもしれない。だけど閉塞感や生きづらさを感じている人には、一筋の光のようなドラマになる予感がする。

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