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近代植物学のバトンを渡した賀来飛霞のふるさとを旅する。

1、幕末の本草学者ゆかりのまちへ

NHKでは、日本の植物学の父・牧野富太郎をモデルにした朝の連続テレビ小説『らんまん』を放送中だ。ここしばらくは、主人公の万太郎が東京大学に出入りし始めた時代が描かれている。この頃、幕末の三大本草学者のひとりで、私の好きな賀来飛霞かくひかが大学附属の小石川植物園に勤めていたことは、先日noteに書いたばかり。

飛霞は30歳頃まで全国を歩いて現地調査を行い、採薬記や動植物写生図を残している。明治14年(1881年)には『東京大学小石川植物園草木図説 巻一』を伊藤圭介と共に著すなど、日本の近代植物学への橋渡し役を担ったひとりでもある。そんなわけで、今回の朝ドラは個人的に大盛り上がり。「きっとこのシーンの後、万太郎は植物園に行って飛霞と植物談義をしているに違いない」と、勝手ながら賀来飛霞を寺尾聰さんあるいは中原丈雄さんで妄想しながらドラマを観ている。

ちょうどいいことに、実家のある大分へ帰省する機会が訪れた。そこで、賀来飛霞の生誕地である豊後高田ぶんごたかだ市と、彼が医業を開いた地・宇佐うさ市を巡ることにした。

2、昭和に取り残されたことを逆手に取った

賀来飛霞は、島原藩医の父・有軒ゆうけんの三男として、文化13年(1816年)に島原藩領国東くにさき郡高田村(現在の豊後高田市新町)で誕生した。優秀な医者として評判だった有軒。しかし、当時流行していた疫病の治療にあたり、自らも命を落としてしまう。飛霞はまだ2歳だった。

飛霞が生まれた地は、現在「昭和の町」として親しまれている。映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』『坂道のアポロン』などのロケにも使われたスポットだ。

週末(変動)には、
懐かしいボンネットバスも運行しているそうだ

豊後高田市の中心街は、昭和30年代頃まで国東半島で最も栄えたまちだったという。しかし、若者たちの流出や宇佐参宮線の廃線以降鉄道が通らなかったことなどから、繁栄は終わりを告げる。残ったのは寂れた商店街。店主らは、お金をかけずに何かできないかと知恵を絞りはじめ、昭和レトロな雰囲気を活かした「昭和の町」づくりに取りかかる。2000年か2001年頃のことだったと記憶している。猫と病院帰りのお年寄りしか通らなかった商店街は、そこから飛躍的に観光人口を増やしていく。飛霞が現在のふるさとを見たら、かなり驚くだろう。

商店街の側を流れる桂川

商店街には、飛霞の遠縁にあたる店がある。屋号は「佐田屋」。市の公式サイトによると、かつては種の通信販売という先進的な商法を取っていたのだとか。植物の「種」を扱う店であるという点がまた、本草学を究めた飛霞につながっていて感慨深い。屋号は、彼が28歳の頃に医業を開き、また小石川植物園を退職した2年後に再び戻ってくる宇佐郡佐田村(現在の宇佐市安心院あじむ町佐田)に由来しているのだろうか。

屋号についてお尋ねしたかったが、お店の方は不在

「佐田屋」の看板に思いを巡らせた後、お土産に「まめ秀」の豆菓子とランチに「アルフォンソ」のパンを購入。ついでに「肉の金岡」のおからコロッケも。しっかりと味のついた具、サクサクした衣。注文を受けてから揚げてくれるので、カラッと揚げたてをほおばった。ここまで書いて言うのもなんだが、せっかく観光スポットを訪れたのに、我ながら楽しみ方が独特過ぎて昭和の町をほとんどPRできていない。でも私は十分楽しんだ。なんといっても、“推し”の生誕地なのだから。

おからコロッケは、けっこうボリュームあり。
「まめ秀」の定番は柚子胡椒豆とマヨピーだが、
私のイチオシはレモン豆!

3、八幡様の総本宮「宇佐神宮」へ

午後は、宇佐市の「宇佐神宮」に参拝した。全国に4万社以上ある八幡様の総本宮。「道鏡事件」の舞台となったところと言えば、ピンとくる人は多いだろう。このとき、勅使として派遣されたのが和気清麻呂わけのきよまろだ。そういえば、読み方は異なるが宇佐には「和気わき」という地名がある。

鬱蒼とした樹木の中、上宮へ

境内には、神仏習合を物語る弥勒寺跡も。平安時代には九州最大の荘園領主となり、大きな勢力を持っていた宇佐神宮。当時の表舞台にあったことは明らかだ。太古の森に包まれた境内は、清々しさより重々しさの方が勝り、国宝に指定された八幡造りの本殿はいっそう威容を放っていた。

上宮には大きなご神木も

「二拝四拍手一拝」で、一之御殿から三之御殿まで順番に参拝。せっかく訪れたので、おみくじを引いてみた。なんと大吉。「相場」の欄には「買え 今が最上」と書いてある。帰りはどこにも寄らずに、宝くじを買いに行こう。上宮の参拝だけだと片参りになってしまうので、下宮にも参拝した。

「今が最上」って、これ以上もうお金とは縁がないということでは……

4、干潟に落ちる夕陽を見たい

忘れないうちに宝くじを買いに行き、再び豊後高田市へ。まだ日暮れには早かったが、日本の夕陽百選に選ばれている真玉またま海岸へと車を走らせた。ここは大分県で唯一、水平線に日が沈む場所。干潮と日の入りが重なると、美しい干潟の夕景が見られることで知られている。

海岸には、3階建ての「真玉海岸恋叶こいかなゆうひ♡テラス」がオープンしていた。昭和の町から真玉海岸、縁結びの神様・粟嶋神社、花とアートの岬・長崎鼻を結ぶ、国道213号の愛称「恋叶こいかなロード」から命名されたのだろう。

建物の最上階は展望テラス、2階は多目的スペース、そして1階には、昔からここに店を構えて夕陽スポットを盛り上げてきた「SOBA CAFE ゆうひ」が入店していた。手打ちそばをはじめとする食事メニューのほか、気軽なドリンクやスイーツメニューも揃う。主にカウンター式で、1人1オーダーすれば、大きな窓越しに縞模様の干潟と夕陽のコントラストをゆっくり楽しめる。

1階は一面ガラス張りのカフェ

海岸は今でこそ有名スポットだが、30年以上前は近所の人やマニアのカメラマンだけが集う場所だった。私の父も、写真を撮りに足繁く通っていた。生前最後に訪れたのは、何年前のことだろうか。その時、すでに病気で持てなくなったカメラと三脚は、同行した私がセットしたのだ。父がシャッターを切っていると、近くで撮影していた仕事帰りらしき作業着の男性が、驚いたような表情で話しかけてきた。

「〇〇さん(父のこと)じゃないかえ? わしのこと覚えちょる?」

男性は、昔この海岸で父に会い、夕陽の撮り方をよく教わったのだという。教わったといっても、父はアマチュアカメラマン。教えたのは、基本的なことや構図の取り方ぐらいだろう。しかしその男性は、「自分が夕陽を撮れるようになったのは、あなたのお蔭」と言った。彼は父と会話を交わして以降、カメラを趣味にして海岸に通っていたのだ。そのハマりぶりは、カメラ本体に取りつけた大きなレンズが物語っていた。

そんなできごとを思い出しながら、海岸が茜色に染まるのを待った。厚い雲に隠れた夕陽は、最後まで現れなかった。しかし、家族で亡父の思い出を話すことができて良かった。

せっかくなので、3年前の秋に撮影した夕景をアップ
同じく3年前の秋撮影。西の空には三日月が

5、翌日は賀来家が暮らした佐田へ

ところで、賀来一族には、海防強化のために民間で初めて反射炉を構えて大砲をつくった賀来惟熊かくこれたけがいる。賀来家は、代々大庄屋だったそうだ。庄屋の当主だった惟熊は飛霞のいとこで、大砲鋳造には飛霞も協力したと言われている。惟熊の4人の息子も大砲づくりに奔走しており、実はこの偉業は次男の惟準これのりが中心人物だったのではないかという新説を新聞で読んだことがある。

賀来家屋敷跡。看板には直系の子孫・
賀来千香子さんの写真が掲載されている

現在の宇佐市安心院町佐田地区には、庄屋時代の賀来家の屋敷跡として、石垣だけが残されている。また屋敷跡から車で数分のところには、惟熊らが反射炉を構えた佐田神社がある。苦労して続けた大砲鋳造だったが、時は幕末。自分たちの大砲を国内の争いに使われたくないと、惟熊は反射炉を取り壊す決断を下した。今は反射炉に使われた耐火レンガが、本殿裏の土塀に残されるのみ。盗難被害が多いため、近づけないようになっているのが残念だ。

反射炉の耐火レンガの一部
緑の中にある佐田神社

境内を散策すると、モミジに覆われていることがわかる。秋には一帯が真っ赤に染まるだろう。外の鳥居の側にはニワゼキショウとシロツメクサが咲き乱れ、その向こうには小さな集落の家並みと田んぼが広がっていた。

6、最後に手にしたのは、またもやパン

これにて、賀来飛霞に思いを巡らす旅は終了。帰りに、「里の駅 小の岩の庄」へ立ち寄った。お目当ては「岸田パン」の牛乳パン。旅人は、なぜパンばかり買ってしまうのか……(半分、自戒の意をこめて)。

安心院あじむと言えば、葡萄と岸田パン!」と思っているのは自分だけではないはず。それほど岸田パンはこの地に浸透している。パンの入荷曜日は決まっているので、ないときにはない。曜日限定で「あったらラッキー」と思わせるのが心憎い(笑)。昔ながらのソフトな生地とシンプルなクリーム。飽きの来ない味わいは、老若男女に愛されている。同じように地元で愛されているパンでお気に入りは、宮崎にある阪元製パンのヨーグルトパン。おそらく私は、この系統のパンが好きなのだ。

岸田パンの牛乳パン。次はいつゲットできるかな?

1泊2日、賀来飛霞ゆかりの地を歩いた小さな旅。「本草学の神様」と称された彼を知る機会は、一般的には多くない。ならば、自分から彼に近づくしかない。この旅は、そのほんの一歩。緻密で美しい飛霞の写生図を再び見たら、これまでとは違う感情が湧いてくるかもしれない。近いうちに、見る機会があることを願いながら、帰路に着いた。

今年こそは、賀来飛霞に関する講座を受けに行きたい


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