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ラヴレター

『文壇バー風紋青春期 何歳からでも読める太宰治』を読了した。

つい2日ほどまでに購入した本だが、一気に読ませて頂いた(遅読なのだ……)。

私は作者の南田偵一さんをnoteで識っていたので購入した。
今作は大きく3部に分かれている。
第1部は表題のごとく、年代別に相応しいと思われる太宰作品を南田さんが紹介。
第2部は本作のメイン、南田さんが文壇バー風紋という異界へと太宰治に誘われて、異界の住人になる回顧録。
第3部は風紋の主人林聖子さんの御母様の富子さんの短歌75首。

という構成で、メインは第2部に当たる。
南田さんは文学青年で、卒論で太宰を書くために、彼の短編『メリイクリスマス』の少女のモデルである林聖子さんのバー『風紋』へ取材に行く。
ここから、文学青年南田さんの『文学界』という異空の旅が始まるという話だ。この風紋には、様々な文化人が巣食っており、下戸の南田さんはこの空間の放つ魔薬の如し魅力の虜になるのだ。

2000年頃、この頃はまだ、今は亡き大正昭和の文豪の関係者はかなりいたことであろう。ただ、2023年の今は、その文豪を子供の頃に見ていた人すら減ってしまっている。
そのような時代、最後の文学的残り香が漂う時代の青春小説である。
今作は明確には回顧録であり、小説ではない。けれども、ある種小説である。小説とは何か、とは、南田さん自身も、今作において登場する編集者との間でやりとりをするが、小説とはそれぞれの定義があるだろうが、1点、今作は最後にも記述のある通り、風紋というバー、風紋という時間へのラヴレターということであり、ラヴレターとは物語であり、人間にしか書けないものである。南田さんが、作中で太宰治は人間を書いている、と言ったように。南田さんは、ラヴレターとしてこの物語を綴っている。それは太宰治にも、林聖子にも、風紋であった人々へも、その全てにである。

私は、太宰治には明るくない。ので、太宰治の作品の良さ、というのはよくわからない。と、言うのも、『人間失格』などのあまりにも有名な作品やその取り上げられ方なども、アマノジャッキーな私にはどうにも敬遠しがちな要素満載なのである。
なので、今作に出てくる情報というのは、新鮮なことばかりで非常に楽しめた。様々な編集者が登場する。そこで南田さんは、社会という洗礼を受けたり、人情という優しさや、人間という刹那を目撃していく。
私は読みながら、今作は映画化しても良いのではないかとすら思えた。それほど話は丁寧に構築されていて、淀みがない。物語として完成されているのである。そこでは大きな事件は起きないが、それは人間の青春というものはそういうものであり、然し、傍から見ればこれほどに美しい青春というのはないだろう。

作中に、又吉直樹が登場するが、そういえば、最近『月と散文』を読んだなぁ……と、何故か太宰治繋がりの縁を感じ、「事とは重なるものですね。」というシャウアプフの言葉が浮かんだ。

つまりは、全ては地続きなのである。文学、というのは感情を封じ込めたものであり、人間を描いたものであり、それを突破しようと試みようとするものでもある。
太宰治と南田偵一さんは確かにつながっているし、これを読んだ人もまた、彼が繋がっていることを識っていて、繋がっていくのだ。
私がこれを読んでいて思い出したのは、『HUNTERXHUNTER』のジン・フリークスの言葉である。

目的よりも、その道草と過程が何よりも欲しい物

一つの青春を読ませて頂いて、それから、少しばかり感傷に浸らせていただいた。涙もろいのかなぁ、最近すぐに涙ぐんでしまうが、それは、人間に触れたからかもしれない。



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