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下鴨納涼古本まつり 

古書市というものに関して。

今、下鴨神社の糺の森では、毎年恒例の納涼古本市が開催されている。
五日間ほど、テントなど出して、様々な古書店が集まって市場を開催するわけだ。


古書市場、というものは大変魅力的だ。何よりも、この糺の森の納涼古本まつりは、森見登美彦の『夜は短し恋せよ乙女』にも出てくる、まぁ京都の風物詩のようなものである。

然し、このような古書市場で掘り出し物などほぼない。いや、個人的な掘り出し物はあるかもだが、黒っぽい本などあまりないのである。
特に、こういう有名所で多く一般に向けての古書市ならなおさらである。基本的に、好事家ばかり集まるような所にはそれなりに本がそれなりの値段で出品されている。

黒っぽい本、とは希少性のある本で、文学系のレア物などを多く指す。反対に白っぽい本だと、まぁよくある本である。
まぁ、黒っぽい本を欲する好事家など、ほとんどいないわけであるから、別にいいのかもしれないが。

インターネット、というものは恐ろしい。今は、全国各地の古書の在庫などが確認できて、相場もだいたいそこから判明する。さらに、ヤフオクなどの類だと、ウルトラにレアなものまでが極稀に出土する。常にパトロールが必要なわけだが(西村賢太は日に五回ほど藤澤清造で検索していたそうだ)、昔は目録などでしか拝めなかった書物の書影が簡単に画像で見ることができる。

まことに恐ろしく便利な時代になって、事実、書店は駆逐されて、大抵はショッピングモール内の大手書店、もしくはライフスタイル書店に二分化されて、そのどちらも余程の場所じゃない限り、売れ線の本しかおいておらず、ネット書店に太刀打ちが出来ない。
それはコミックも同じで、既に電子書籍に紙の本は負けているわけで、もはや本屋はアートを気軽に楽しむ場所に変化、ライフスタイル書店にしか活路はないのかもしれない。

本を読まない人が増えたとのことで、私も本は読んでいないので偉そうなことは言えないが、糞みたいな本しかないのも問題である。
小説なども売れない売れないと嘆くが、まぁ売れなくて当たり前である。粗製乱造の極みであるし、漫画のほうがコストパフォーマンスも良いし、面白いし、誰でも簡単に理解できる(一部難しい作品を除いて)

私は、個人的には文学は漫画に勝るという考えだが、それは一部の頂点ともいえる文字芸術においてのみであって、85%くらいのの文学は漫画に負けていると思う。
漫画の方が、遥かに高難度の技術を要求しており、文学に関してはそれに匹敵、乃至は凌駕するものはやはり一部の人にしか書けていない。

まぁ、出だしと全く関係のないことを書いてしまったが、とにかく今はネットで稀少な本を浚うことができるため、一部の作家の熱狂的なファンなどは、そちらの方が良い物を取得しやすいかもしれない。

下鴨納涼などは、ある種ライフスタイル型書店の古書版のように思える。
四季を感じ、汗をかきながら、今まで触れたことのない本や、文学的な香りに触れる。文学的な匂いを楽しむ場所。
モダンな場所ではないが、そこに置かれている本は、まさに祭りの名にふさわしく、特別なオーラを纏っている。祭りの屋台の焼きそばやたこ焼きは、ただのそれとは違う特別なものである。

そこで本を買うこと、見ること、本に触れることこそが、何よりも文学的な体験であって、本それ自体は主役でない。つまりは、糺の森それ自体が、一つの作品であり、そこに踏み入れた人のライフスタイルを文学と接続するための依代のようなものである。
そこで買った本、というものは暫くの間、文学的な香りを放つことになる。
この香りを楽しむのが、納涼古本まつりかな、と個人的に思っている。

黒っぽい本はない、と書いたが、署名本なども普通に棚に並んでいたりするし、ないことはないので、せどりの腕の見せ所かもしれない。
私の興味のない分野ではレア物もたくさんあるのかもしれないし。それに、レア物だとか、そのようなことを言う私の考えは、少々下卑ているのだろう。


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