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柊家と天井桟敷館


私は昔、柊家に泊まったことがある。
柊家は京都の老舗旅館で、超お高いのである……。私のような身分のものが、本来泊まるべき場所ではない……。
私としても、無論、清水の舞台から飛び降りる心持ちで宿泊した。

一泊、50000円とかする。
ここは川端康成の京都の定宿の一つで、HPに川端の寄せた文章が掲載されている。

私が泊まった際は夏だった。
ここは市内の中心地なのに、ひとたび宿に入ると、静けさに包まれる。
そして、到着の折に、『冷やし飴はいかがですか?』と問われて、頂いたのだが、そのせいで、冷やし飴=柊家のイメージがこびり付いた。
旧館に泊まって、のんびり、坪庭などをながめた。部屋は思ってたより狭かった。
静けさが心地よかったのだが、時折襖越しに、人の声が聴こえる。
最高なのは、檜風呂で、檜の芳しい香りがいっぱいになった空間で、湯船には溢れても溢れ足らないほどに波々の湯で、全身の疲れが完全に吹き飛んだのだ。

最高の宿の一つである。

川端康成は定宿が多く、若い頃は伊豆の辺りにずっと湯治で滞在していたりした。どこにそんな金が?
よく、宿にずっと宿泊している小説家とかの話を聞くが、あのシステムはどうなっているのだろうか(川端本人も、よくいられたものだ……的なことを書いていたが、どーゆうこと?)
缶詰は出版社が出したりとか、まだ理解できるのだが、定宿でどういう仕組み?サービスパックなの?いや、金銭感覚がそもそも違うのかもしれない……。

伊豆だと(ここからは、私の泊まりたい宿たち、コロナが終わればと夢想している場所たちを書いていく)、まずは福田屋である。

これは、『伊豆の踊り子』の踊り子も泊まって、川端と一緒に遊んだ宿である。無論、あれは事実を書いているので、本当の場所である。つまりは、聖地である。また、映画版の撮影でも使われている。吉永小百合とかが来ていたのだ。

ここに加えて、湯本館がある。

湯本館は、『伊豆の踊り子』を執筆していた場所で、ここには川に沿った形の露天風呂がある。この露天風呂は、恐らくは川端の掌編の最高傑作『名月の病』の舞台になった場所で、このような美しい名文が書かれている。

彼は湯を出て川原へ妻を迎えに行った。橋の上から外湯を見た。外湯に大きい満月が浮かんでいた。
さっきの少女が湯から顔を出して山猫のように目の前の月を睨んでいた。
かぶっと月に噛みついた。そして、頬を膨らませながら力いっぱいに湯を吹出した。
月のかけらが銀の砂のように散った。それから、少女は山猫のような姿で、湯の面が静まり月が円く整うのを待っていた。
また月を食って吐出した。

なんとも美しい文章である…。
月、山猫、銀の砂、私の大好きなモチーフが散りばめられている。

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湯本館で『伊豆の踊り子』を書いていた際、療養で伊豆に来ていた梶井基次郎がその校正を手伝ったという。

それから、『雪国』の舞台、越後湯沢の高半旅館である。

ここは『雪国』の聖地である。この宿には『雪国』の資料室まであって、凄まじい『雪国』推しである。
越後湯沢に行ったのならば、ぜひとも見たいのは雪晒しという麻織物を漂白する作業で、作中のこの作業の描写の美しさは格別である。

「雪のなかで糸をつくり 、雪のなかで織り 、雪の水に洗い 、雪の上に晒す 。績み始めてから織り終るまで 、すべては雪のなかであった 。雪ありて縮あり 、雪は縮の親というべしと 、昔の人も本に書いている 。」

無論、その光景は美しいものであろう。真白な世界で行われるその営みは、彼の心を打ったのには違いないが、通常の人ならば、見たものをそのように変じて描けないだろう。
これよりはより卑近な例で言うと、普段、人々が眼にする様、バスの発車、傘を開く女性の姿、洗い物をする男性、黒板を消す教師、など、ざっと適当に書いたけれども、汎ゆる場面に文章の神は潜んでいて、それとコンタクトすることが出来るかどうか、要は、その人間の視線が試されるのが、真の文章力なのだ。

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小説は、書かれた場所に行ってみると、立体的に、多面的に見えてくるのでおすすめである。

私は川端の『住吉』で母子が渡ったという大橋を見たことがないので、それを見に行った。すると、場面が活きてきた。母子の渡る様が浮かんだ。

他にも、『春琴抄』の舞台の道修町まで行ってみた。薬種商の娘である鵙屋琴の育った町、今は製薬会社ばかりだが、ここにある少名彦神社などお参りして、『春琴抄』の碑を見たりして、過去の、或いは物語の舞台を幻視した。
岐阜の西方寺まで行ってみて、川端康成と伊藤初代がいたという場所にも行ってみた。二人の青春が微かに身近に感じた。

とにかく、行ってみるとその場所が自分の中に活きてくるし、他人事ではなくなるから不思議だ。

最近は、水上勉の『五番町夕霧楼』の舞台の近くを通ったりして感慨に耽ったが、今一番行きたい場所は、小説は関係なくて、青森の寺山修司記念館なのだが、本当は、天井桟敷劇場に、一度だけでもいいから行ってみたかった。

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コロナが収束したら、また色々旅に出るつもりである。

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