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『少年愛の美学』および、クナーベンリーべの近親相姦的美学』  稲垣足穂考/タルホと月


マクラ

夜半、自宅へと向かうバスが目的地へと着き、降車すると夏至の匂いがする。それは、「菊の香や 蘭より暗き ほとりより」という、医師である桃園豪が、「どうだ。このパロディは」と胸を張る蕪村のパロディ句に親しいが、けれどもこの匂い、それは、それよりももっと、肉体的な情緒を削ぎ落とした感覚、乾いた感覚の世界である。
花壇には、蘭や菫も愛らしく微笑んでいて、ヘリオトロープが匂い立ち、
月光と、幾つかの瞬く星々に照らされている。川沿いの学校の前のバス停だからだろうか、木に溢れていて、私は、いつもこの時間、この季節、澄明ちょうめいな夏の夕べという言葉と共に、稲垣さんの作品のことを思うのである。

稲垣足穂に関して語る時、幾つかの大きなテーマが掲げられる。

一つは天体。
一つは飛行機。
一つは弥勒とキリスト教。
一つは未来派。
一つは少年愛。と、天狗。

これら五つを基軸として稲垣足穂という魔術家は五芒星ごぼうせいを描く。
けれども、実際にはPentagramペンタグラムという魔法陣ではなく、その象形は実は一本の線で成り立っていて、これは本当には円筒である。円筒に様々な複合的な要素が絡み合うのも奇妙なものだが、この円筒がスペクトラムで紡がれている天体望遠鏡であると喝破かっぱしたのは種村季弘である。
その天体望遠鏡とは、それは稲垣さんの言うところの『幼心の完成』である。その、舶来の品のように香気を放つ玩具は、一つの線を仔細にほどいていくと、実は他の線と結ばれており、それが紡がれていることに気が付く。私はその中でも一等に『少年愛』の線に重きをおいている。
この稲垣さんにおける少年愛、独逸ドイツ語で言えば『クナアベンリーべKnabenliebe』は、エッセイ『洋服について』で語られるシューベルトとゲーテの『魔王』における父子相克の近親相姦的同一性、お父さんが息子の美少年時代に自己の理想を見ることに鍵があるのではないか。
「ゲーテ「魔王」 ナルシズムの危険についての警告である。」「おのれの顔を見るのは致命的である。」は、ゲーテの詩『魔王』に関して稲垣さんがノートに書き記していた言葉であり、これを見るに、父子同一性という鏡像に関して思索を詩から読み取っていることがわかる。
稲垣さんの書くお父さんは、常に首なし族であり、愛子を求めている。
白いダスターコートを着、買いたてのロードスターに乗って、満天の星の夜に息子を預けた寄宿舎を訪れる紳士であり、これはまさに『魔王』ではないか。
歌人塚本邦雄の短編小説の傑作に、『蘭』という作品がある。この文庫で10ページ、文字数は5000字強。。原稿用紙なら15枚にも満たない作品に、稲垣さんの世界にちかしい、それ以上に毒々しい世界が描かれている。舞台は神戸から滋賀県の東近江の安土城跡であり、父とその恋人の男性である桃園豪の秘密、そこから導かれるおののくべき父と息子の関係性が描かれている。
蘭とは両性花りょうせいか、そして、ここで語られるのは近親相姦的愛情であり、信長と蘭丸を通底音に置いている。御小姓おこしょうであった蘭丸に象徴させている。蘭丸。お蘭。
そして、その蘭とは日本の古来からの蘭である菊科の藤袴ふじばかまのことを指すが、藤袴ふじばかま禁色きんじき、即ち菫色の袴であり、それはお能へ郷愁を覚える稲垣さんが最も愛する色であり、美少年の色であり、タルホ世界の色である。お父さんは、いつでも、寄宿舎にいる息子に菫色や水色の半ズボンを着せてみたい。ハイカラーの首元のシャツを着せてみたい。聖歌隊の寄宿舎にいる年少の息子、そのエルマフロディットりょうせいかの制服の半ズボンに百合ひらくのを見てびっくりする首なしのお父さんのA感覚ドッキングへの希求こそが稲垣さんの『少年愛』であり、『ヰタ・マキニカリス』という童話の花束であり、『少年嗜好症ペドフェリアエロイカ』という男性の宿痾である。
藤袴ふじばかまのお蘭は、いつでも永遠の父へ誘われたい。『少年嗜好症Urania』を裏返すと、『天体嗜好症Uranismue』になる。この円筒こそが父子のメビウスの輪であり、天体望遠鏡であり、宇宙的郷愁、美少年愛である。
少年は、息子とはそれだけで花の如し、美しいのは自らの理想である郷愁時代だからである。

これに関して、まずは私のユリーカをここに置くとして、稲垣さんの近親相姦的父性愛に関して、綴らせて頂く。

私は、稲垣足穂という作家を私淑しているが、彼はもう故人である。精々が、墓前に百合の花とお酒を手向けるのが限界である。
けれども、稲垣さんもまた、レオナルド・ダ・ヴィンチにも、ロード・ダンセイニ卿にも、武石浩玻にも会えなかったではないか!

私が所持する、稲垣さんの描いた『タルホと月』。『一千一秒物語』の最初のカヴァー案。

前述したように、『少年愛』は、私がタルホ世界において一番に共感されるテーマである。
男色なんしょく、という部門で括れば、南方熊楠、江戸川乱歩、三島由紀夫、果ては井原西鶴まで、海外で言えばヴェルレーヌやジョン・アディントン・シモンズまで様々な同性愛文学の先達から後輩までを稲垣さんはエッセイで取り上げ、指摘しているが、その中でも一等に、三島由紀夫の御自身への理解に対して思うところがあったようだ。

三島は、1948年、まだ三島由紀夫ではなく平岡公威であったころに、第十四次『新思潮』への寄稿のために椿実によって口述筆記された文章(結句、第十五次『新思潮』へ引き継がれることになったそうだが)において、稲垣足穂を日本で唯一の天才と呼び、彼の詩想を絶賛している。これはまだ三島が23歳の頃の話で作家未満、この時代の稲垣さんは48歳、その2年前に『弥勒』が発行されている。三島の慧眼けいがんは、既にして稲垣さんを天才と見抜き、その理由において、三島一流の正鵠せいこくを射た評論をそこで展開している。

さて、松岡正剛の語るところによれば、稲垣さんには全てが抽象化される。
抽象化こそが稲垣足穂の藝術手法である。そうして、稲垣さんには褒められたい相手がいる。それはべっぴんさんである。
べっぴんさんとは、稲垣さんにとってはマリアであり少年であり弥勒だと、松岡正剛は言う。
ぺっぴんさんは稲垣さんがよく口にする、見えない的、天井桟敷てんじょうさじきの上の人々、人が天使や神という存在である。
見える的=人間界を相手にしていては藝術ではない、藝術家である甲斐がないとまで稲垣さんは言う。稲垣さんが文学賞や編集者の同情、世間並みの評価というものに期待していないのは、三島の指摘するように「生活に夢を抱いていないから」であり、そもそも天井桟敷に腰掛けた天使へと語りかけているからで、恐ろしいのはこれは奇をてらったハッタリなどではなく、そのような強固な思想を終生抱いて仕事をしていた。

そして、稲垣足穂にはもう一つのぺっぴんさんが存在する。
それは、彼を愚者にも聖者にもさせたアルコールで、星も月もマリアも仏も入っている液体美女であると稲垣さんは言う。
稲垣さんは実践しないことこそが最大のエロティックである、と語っているが、つまりは、恋愛においてもセックスを果たさないほうが奥床おくゆかしい、『少年愛』も、実際の性行為ではなく、それを詩や童話などの藝術として昇華することこそが真のエロティークだと語っているのだ。
事実、第1回芥川賞の候補になった稲垣さんの古い友人の作家衣巻省三きぬまきしょうぞうは、「タルさんはあれで結構女好き。」と証言しているし、弟子の折目博子に自らの一物を見せて誘ったり、戸塚グラウンド坂時代には、美しいユリ子さんを花嫁にしようとしていた。ユリ子はさんはジャンヌ・ダルクめいた、つまりは美少年めいた美女で、二人は婚約に近しかったが、然し、急なユリ子さんの反故ほごで彼女は稲垣さんとの関係を精算したあと結婚し、後に旦那は自殺している。書肆しょしユリイカの編集者の伊達得夫に、ユリ子さんが去ったことについて稲垣さんは、『盗まれた天国』という作品で燻っているという、そのようなことを言っていたが、これは『戸塚抄』という作品に生まれ変わり、然し、稲垣さんはこの作品を貶し、あまり言及していない。けれども、ここに書かれた美しいユリ子さんへの詩は、稲垣さんの燃える心情と絶望とが同居していて、稲垣足穂としてはあまりにもセンチメタルな美しい詩句になっている。

稲垣さんは、肉体的には女性を愛していただろうし、バイセクシャル的な傾向にある。
そして、そんな稲垣さんには『少年愛の美学』というエッセイが代表作として存在している。このエッセイは、1969年に第1回日本文学大賞を受賞して、30歳頃から黙殺されていた稲垣さんが69歳でようやく世間的にブレイクを果たした経緯になった1冊である。
彼は、東京からの一度目の遁走とんそうの際、地元明石にちてから39年間、東京や京都と居を移しながらも、何れも居候や荒屋あばらや、それも、何もない虚空の部屋において、御自分の文学を磨き続けてきた。
『少年愛の美学』は名古屋の同人誌の『作家』にて連載されていたエッセイで、これを大きく推したのが三島由紀夫である。
彼が強引にねじ込んで、大賞を受賞した。ダブル受賞の作品は、映画にもなった井上靖の『おろしや国酔夢譚』だが、三島は大賞は稲垣さんの単独受賞にしたがったが、あまりにも『推し』が過ぎると受賞自体が危うくなるというので、それで手を打ったそうだ。
三島由紀夫は稲垣足穂にこそ憧憬を抱いていた。私淑ししゅくしていた。そう、まさに私淑ししゅくである。誰にも見せない、恋心。
こちらに関しては後述するが、三島由紀夫こそが稲垣足穂最大の理解者であり、息子である。
私は、三島由紀夫の旧蔵だった『少年愛の美学』を所持しているが、これは稲垣さんの友人でもある亀山巌のイラストがあしらわれたまさにA感覚味あふれる装丁である。
三島由紀夫は、この『少年愛の美学』をこそ夢見ていて、『少年愛の美学』に親しい作品をこそ、小説として、或いは童話としてものしたかったのではあるまいか……。これは、あくまでも稲垣さんの推測ではあるのだが。


さて、稲垣足穂には、その人生において、大きく10のフェーズが存在すると思っている(これは、あくまでも私の区分けであるので、詳細ではない。)

第1期…幼年〜少年時代
第2期…関西学院中学時代
第3期…上京〜西巣鴨時代
第4期…明石没落時代
第5期…東京再進出時代
第6期…東京戦中戦後時代
第7期…京都時代Ⅰ
第8期…結婚・京都時代Ⅱ
第9期…ブレイク・京都時代Ⅲ
第10期…隠棲・京都時代Ⅳ

第2期〜第3期が黄金時代であり、第4期〜第7期は基本的に中央の文壇から黙殺され、少数の文芸誌や同人誌などの依頼で糊口ここうを凌いでいたが、然し、傑作を多くものしていた時代である。
第9期以降は基本的にはエッセイばかり書いているが、そもそも、彼は後半の第7期〜8期以降、四半世紀小説はほとんど書いていない。小説という媒体を書くことが稲垣さんには難しいのである。
小説というもの、特に大衆小説というものは、起承転結、テーマ(稲垣さんが最も嫌悪している)、女性が不可欠であり、彼は会話というものを極端に嫌っていた。会話、というもので稿料をもらっている作家が嫌いだとも公言している。
「あのいつも人の悪口ばかり言っている先生でしょ。」と評されるように、文壇から知り合いまで、目につくもの全てを罵倒している。伊藤整は「稲垣足穂の作品には女性がいないし、書けない」、と批判していた。だから、大衆には受け入れられないのだと。確かに、読んでみると肉体や個人の性格を備えた女性は百を超える著作で数本ではないか。それもまた、抽象的に抽出されており、女性が主役の物語などはないし、登場人物としても縹渺ひょうびょうとしている。
それは、『ヰタ・マキニカリス』を編纂させた美しきいとけなき夫人に象徴される。彼女との夜道の散歩が、『僕のユリーカ』、『弥勒』へと結実し、稲垣さんの宇宙的郷愁を具現化させる。彼女こそが、稲垣さんのべっぴんさんなのであろう。

私の所蔵している書肆ユリイカ版『ヰタ・マキニカリス』。限定500部で、私は2冊所蔵しているが、カバーありは内1冊これだけ。

さて、そうして、稲垣さんは商業小説も、文芸小説も放擲ほうてきして、彼はそうして、創作の場をエッセイという形でもって延々と綴るようになる。つまりは、思想を書き連ねている。その思惟体系しいたいけいに肉体と骨を与えることに苦心するかのような創作の日々である。
けれども、エッセイに鞍替えしようとも、彼の書く小説というもの、或いは童話というものたちは、時代を経ても、これもまた思想と本質というものをキャンディの包み紙でくるんだハイカラーなものであり、それは藝術品と言って差し支えない。

稲垣さんは、自分の著作は全て、処女作である『一千一秒物語』の注釈に過ぎないと公言している。彼の23歳の時の作品集である。今年(2023年)で、この本は生誕から100年を迎える。
『一千一秒物語』は星とお月さまや猫など、基本的には人間は登場しない世界で、SF+童話+ショートショートといった趣だが、つまりは、全てはここで、この世界において、抽象化されているのだ。少年愛も、飛行機も、弥勒も。抽象化こそが、イナガキタルホの藝術である。

その後、『ヰタ・マキニカリス』において、34ぺんの小説・童話が編まれたがこれは『一千一秒物語』を更に波状にして分散化し、肉付けしたものであろう。さらにその下には、数多の小説群が置かれて、そうして更に膨大なエッセイがそれを下で支えている。彼の須弥山しゅみせん世界である。
稲垣さん自身、「他人がどうやって長編小説を書いているのだろうか、どうすれば長いものが書けるのだろうか、と考えたことがある」そうだが、そう思うのも無理からぬほどに、稲垣さんの小説というものは非常に読みにくく、合わない人には飲めないものである。一般的な小説の、起承転結がある、乃至はキャラクターが立っているなどの、そのどちらかに馴染みのある読者には、その、何が描かれているのかさっぱりと理解できない文字の羅列に面を喰らい読むのを止めてしまうだろうし(特に30代以降はその傾向が顕著だ)、かと言ってそれは、物語がただ不条理な作品、というわけでもない。幻想小説には近いところはあるが、幻想小説にすら筋立てや通俗的ロジカルというものは常に働いている。それが壊れている。稲垣さんには通俗的な文章は書くことが出来ない。それは、完全にナルシシズム、自分が一番の読者であり、自分自身へ向けて書いているからである。

結句、様々な評論家の語るように、彼の小説は文章のモザイク画であって、一種のアウトサイダー・アートとでも言えるだろう。稲垣さんの記憶、夢、思い出、思想、出来事が彼一流のロジックで並び立てられていて、一つの筋はあれど、そこに時間という概念はない。明日が十年後に飛び、その数行後には昨日に戻っている。時間との格闘は稲垣さんの命題として大きくのしかかる。死、という選択のできる運命よりも、何故今ここに生まれ落ちたのか、その選択の出来ない運命をこそ問題にしていて、それはどのような科学をもってしても解けないことだという。だからこそ、三島の割腹《かっぷく》自殺には終始冷ややかであり、死など相手にしなくても良かったとこき下ろしている。
ここでも、稲垣さんが死という定点ではなく、郷愁という原点に囚われていることが伺われる。
そして、同じ出来事や季節が複数の作品で視点や名称を変えて描かれる。そうして、モザイク画は完成していく。それぞれの小説は、一つの葉脈であって、巨大な大樹の一部でしかないのだ。いいや、或いは翅脈かもしれない。
稲垣さんという蝶々の翅を構成し、それで天高く空を飛んでいくのだ。つまりは、全てで一つである。
何故ならば、まず、彼の作品というのは、彼の自叙伝が大半であるからだ。
短いものなどは童話のようなもので、小説的な匂いのするものは、必ず彼の過去、それも何度も何度も何度も何度も呼び名を変えて同一の事物が物語られる。そうして、読者は何度も何度も何度も同一のものを読むことにより、その地脈を自身の体にまで取り込む、稀有な体験をする。読書を通して、何度もタルホと交感し、タルホを識るのである。

稲垣さんは、短編小説『レーディオの歌』や短編小説『They-彼等-』においても、ニーチェの永劫回帰を持ち出して、それを作中で「永劫回帰の夏休み」と称している。
「永劫回帰の夏休み」とは甘美な言葉であるが、これは、稲垣さんに時間の概念はなく、同じ時間を何度も取り戻そうという、『懐かしの七月』を感じさせる、あの六月の夜の都会の空へと続く郷愁の恢復こそが彼の文学であるから当然の思想であり、詩想である。
然し、『弥勒』のように、単体のモザイク小説そのものが一つの大きなコスモを形成し、見事な作品となっているものもある。国宝的原稿、御馳走という評価をした一般の学生もいたが、正しくその通りだ。

とにかくも、世間一般の小説に慣れた大抵の人には、一読しただけではついていけない。
これが、稲垣さんが天の邪鬼な文学好きに愛される所以かもしれない。
稲垣さんの小説の読者は、作品に対して内容がわからない以前に、情報をどうさばくかにも慣れなくてはならない。けれども、そのような天の邪鬼に対して、彼の周辺の人物、周辺の出来事を勉強させる、そのように行動させてしまう魔力が放たれているから、ファンになれば追いかけていくのは容易たやすいし、より真理を追求したしたいと思えるのだ。

この巨大なイナガキタルホという弥勒或いはキリストー……つまりは、ダンディズムの極地であり、百合や菫の香りがするハイカラーな稲垣さんには、鼻眼鏡がよく似合う。
この、紳士兼魔術家がなぜそこまで『少年愛』にこだわるのか。私がこの稿で改めてそれを確認したいのは、私は稲垣足穂という天才藝術家(或いは天体魔術家)の作品群の中では、それらに一番文学的香気を感じるからである。これは個人的な趣味の域を出ないのかもしれない。
そうして、その一本こそは天体や星々や飛行機やキリストすらも内包されるほどに彼自身の思想とわかちがたく結ばれていると思うからである。
それは、先述した『少年愛の美学』に詳しいが、彼が度々口にする、「本当の藝術とは自叙伝である」、「藝術とは幼心の完成である」、という言葉がその一本に通底しているからである。
種村季弘の稲垣さんを評した文章において、「ああ、天体望遠鏡」という無底の円筒を用いて彼を見事に解体したものがあるが、まさにその一本である。三島由紀夫が種村のこの文章において、稲垣足穂の全てを包括して余蘊ようんがないと語るように、事実こちらの評論は完璧である。

さて、そうして、稲垣さんの『少年愛』ものこそが本質だという私において、最も愛する作品は『天体嗜好症』だ。稲垣さんは、『天体嗜好』とは裏返すと『少年嗜好』であり、美少年とは自己の理想に他ならないと述べている。これが、まくらで書いた通りの言葉であるが、この言葉が全てを要約している。
『天体嗜好症』という作品は稲垣さんの言う「幼心の完成」であって、少年愛=自己理想を抽象化した童話である。彼は、26歳の若きにおいて、この美しい童話を書き上げている。
私は、この『天体嗜好症』を読みながら、彼の言う『少年愛』というものは、自己の幼少のカリカチュア戯画化であると同時に、自己に連なるもの、即ち子供であり、それも息子への思慕ではないかと感じられた。その息子とは、他ならぬ稲垣さん自身である。
『天体嗜好症』には明確には大人の登場人物は出てこないし、台詞もない。
出てくるのは主人公とその友人のオットー、そうして、オットーが主人公を連れて行こうとする展望台の主だけであるが、彼は最後まで物語には登場しない。
それは一つの神(父)のようでもある。稲垣さん自身には子供はいなかったが、彼は母よりも父に重きを置いており、謡曲ようきょくにのめり込んでいた父親には文学への理解はないと識りながらも、彼を形作ったのは父親であることを一番に理解していた。

『青い箱と紅い骸骨 a study of gray』という作品がある。
今作は、稲垣さんが観た奇妙な夢のような話で、私には今作とスタジオジブリの2014年公開のアニメーション映画『思い出のマーニー』が似通っているように見えて面白い。それは、互いに夢のような場所の美しく怪しい洋館で、幻想のような体験をするからで、いずれも、肉親が時間という障壁を物ともしない姿であるから。

湿っ地屋敷はフカの屋敷のような幻想性がある。
『思い出のマーニー』は祖母と孫娘の百合物語。稲垣足穂的少年愛の裏返しともいえる、ある意味では『少女愛の美学』である。『思い出のマーニー』には、男性が極端に少ない。約3名ほどである。あとは女性で占められていて、男性は蚊帳の外である。
女性の秘密を売ってしまった女性作家はまだいないと思われる。それは、女性性が関係しているように思えてならない。

『青い箱と紅い骸骨 a study of gray』は、主人公である私が、かつて識っていたふか汽船会社の社長であるフカのお父さんが建てたという、フカとその妹が住む、灰色の御屋敷に偶然赴いた際、そこで行われている昨日亡くなったというフカの妹の葬儀に参列することになる、という話で、後半はその幻想がより広がり、私自身のお父さんもその場所に、なぜか急に登場する。
今作は当初『びっくりしたお父さん』という題名だったが、改稿されて、最終稿が『青い箱と紅い骸骨 a study of gray』になったわけだ。
今作ではまず、灰色という色に関しての講釈が始まる。稲垣さん曰く、灰色、という色は青色と赤色に分けられるため、このタイトルになっている。父親への思慕は、エッセイである『蘆の都』や『花月幻想』、『天狗考』などでも度々言及されるテーマであり、稲垣さんにとって、お父さんという存在こそが、彼の愛するドイツ文学者のヴェーデキントの『春のめざめ』におけるデウス・エクス・マキナこと仮面の紳士であり、謡曲物語ようきょくものがたり『花月』の清水の桜の木の下で再会する父親である左衛門(天狗)なのである。

彼はいつも、父親を、何か、ここではないどこかへと連れ去ってくれる存在として思慕している。関西学院、つまりは稲垣さんの通っていた新月学園の文集に書かれた『六月の夜の夢』における、「星の世界に行きたいなぁ。」という、モーリッツ的感覚の薄弱であり薄幸である少年の嘆きである。
これは当然、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』に向こうを張って稲垣少年が書いたものだ。

さて、この流れから出てくるのが、先程の稲垣さんの息子であると書いた三島由紀夫、そして稲垣さんの『山ン本五郎左衛門只今退陣仕るさんもとごろうざえもんただいまたいさんつかまつる』との関連性である。
三島由紀夫は、澁澤龍彦との対談において稲垣足穂を私淑ししゅくしていることを告白するかのように彼を絶賛する。稲垣さんを私淑ししゅくしている作家には塚本邦雄もいる。本稿でも冒頭に作品を紹介しているが、彼もまた、男色なんしょくにまつわる短歌・小説を書き残した大家だ。
会員制のミニコミ誌であるゲイ雑誌『アドニス』において、変名で男色的作品を寄稿している。『アドニス』とはギリシャ神話での美しい青年で、アメリカではMLBの大谷翔平選手もまた、アドニスと評されている。
塚本の作品は三島の比喩とは異なり、物の持つ意味、ミーニングを作中に散りばめて豊穣にさせることが多々ある。『蘭』においても、作中にはLPレコードでラヴェルの『ける皇女のためのパヴァーヌ』が流れている。ラヴェルもまた、ゲイであったと言われる作曲家だ。

第63号で終了した会員制同人誌。稲垣さんの同性愛傑作『つけ髭』は№36号に掲載された。
※画像をお借りしました

三島に話を戻ろう。三島は澁澤との対談中、


「非常に個人的な理由ですけれども、僕はこれからの人生で何か愚行を演じるかもしれない。そして日本じゅうの人がばかにして、もの笑いの種にするかもしれない。まったくの蓋然性がいぜんせいだけの問題で、それが政治上のことか、私的なことか、そんなことはわからないけれども、僕は自分の中にそういう要素があると思っている。ただ、もしそういうことをして、日本じゅうが笑った場合に、たった一人わかってくれるのが人が稲垣さんだという確信が、僕はあるんだ。僕のうぬぼれかもしれないけれども。なぜかというと、稲垣さんは男性の秘密を知っているただ一人の作家だと思うから。ついに男というものの秘密を日本の作家はだれも知らない。-後略-」

タルホの世界 対談

と、そのわずか数年後に起きる割腹かっぷく自殺を示唆するかのような言葉を吐くが、稲垣さんは三島自決後の『三島ぼしつ』というエッセイの中で、「彼の書くものには郷愁が欠けている。なつかしいものが少しもない」と、徹頭徹尾こき下ろしている。

『花さかりの森』は読んだが、それは湘南青年文学の過ぎず、『禁色』は禁じられた同性愛的な意味はない、飽くまでも「紫色」でしかないのに、そのようなハッタリをかけるところ、また文学的野心の強さに、その俗人ぶりを酷くけなしていた。

つまりは、小説家の宮本百合子が岡本かの子を評した際の言葉同様の「繚乱りょうらんたる虚無」であるのだという。稲垣さんは、ナルシシズムが外に伸びて外野がいやの栄光に如才なく立ち回る三島に失望し、『空廻りの文学』だと評した。ナルシシズムは、外に見せるべきものではなく、自らを兄事けいじするものなのである。
三島は、以前の評論において、天才は稲垣さんと岡本かの子だけ、と説いたが、それもまた皮肉な話である。然し、三島の足穂評を読む限り、誰よりも鋭く稲垣足穂という作家の本質を抽出しており、稲垣さんも彼の評論を読んだ際には、様々に自作に引用し、三島が自身の理解者であることを認めるような節が見受けられる。三島にとって稲垣さんは終生会いに行きたくない人、という態度で、外側から論じるだけであり、「彼は男性の秘密を暴いて売ってしまった」と美しい表現で絶賛したのち、その態度から一転、急に
「イナガキ文学では初期のヒコーキと取組む部分以外は、自分は認めない」、と人伝ひとづてに一方的な絶縁を稲垣さんに投げかけるに至るが、これもおかしな話で、三島由紀夫は彼の選ぶタルホ作品の編集プランにおいて、七つのタルホ作品の中、『山ン本五郎左衛門只今退散仕るさんもとごろうざえもんただいまたいさんつかまつる』を選んでいる。


また、『いざなわれ行きし夜』という天狗もの随筆を、『山ン本五郎左衛門只今退散仕るさんもとごろうざえもんただいまたいさんつかまつる』の解説としてその中に置いており、まさに後述する、『少年愛の美学』の系譜に連なる流れとしてプランを編纂へんさんしている。
これらは飛行機ものと同様の香気こうきを放つものの、やはりそれ以上に、三島由紀夫の慧眼並びに彼の『クナーベンリーベ』への傾倒を客観的に著しくすくい取るかのような作品である。
特に、『山ン本五郎左衛門只今退散仕るさんもとごろうざえもんただいまたいさんつかまつる』については、稲垣足穂の研究者である高橋孝次氏の論考に詳しく、こちらは傑作の論文だが、ここでも指摘もあるように、『山ン本五郎左衛門只今退散仕るさんもとごろうざえもんただいまたいさんつかまつる』は三島由紀夫の批評とわかちがたく結びついた作品であり、それは稲垣さん自身も言及するように恐らく正しい。
これほどまでに、三島は稲垣さんに対して、稲垣さんの言葉を借りるのならば、「誠に配慮の行き届いた好意」を示しているのに、急に世間並みの反応でもって異端の作家から距離を取るために踵を返す。『少年愛』、というジャンルにおいては、1960年代後半では、まだまだそれをカムアウトするのには恐るべき外圧があり、タヴーであったことは事実だろう。今ですら、三島由紀夫と同性愛を絡める向きをよろしくないと考える人もいる。つまりは、あくまでも比喩であり、作品としての同性愛なのである。そして、それはその他の世界、文学界、スポーツ界、芸能界、どのようなスーパースターでも、カミング・アウトには恐るべきものがあるはずだ。

さて、山ン本五郎左衛門さんもとごろうざえもんは妖怪の王、魔王であり、今作は、この魔王と主人公である平太郎少年との「妖怪教育」だと三島は解いている。
稲垣さんの種本となったのは、平田篤胤ひらたあつたねの『稲生物怪録いのうもののけろく』であるが、これは備後国三次びんごのくにみよしを舞台にした物の怪怪異譚かいいたんで、彼はこの写本の数カ所を少年時代にお父さんに読んでもらい、深く印象に残していた。それから二十年の歳月を経て、再び手にした本により今作を書く。この作品の描く「妖怪教育」こそが、高橋孝次氏の書くように、稲垣さんにとっての「少年愛の要約」なのである。
山ン本五郎左衛門さんもとごろうざえもんという魔王と少年のひと夏、あの、懐かしの七月、三島は、この日々において、「妖怪たちの跳梁跋扈ちょうりょうばっこする異常な体験を、平太郎少年への試練、即ち「妖怪教育」だ」というのである。そして、このひと月の体験、その異常な日々を、愛の体験だったとして稲垣さんは作品を結んでいる。愛の体験が持つ欠点は、「人はそれを無くしては耐えられない」、ということであり、彼は今作のヴァリアントにおいて、それを強調するあるじと客との問答を書き添えた。

山ン本五郎左衛門と平太郎
妖怪教育

懸命な読者ならば、人外のものによる異常な愛の体験というものが少年にとって何を意味するのか理解できるだろう。先程も書いたように、稲垣さんにとっては、詩や童話というものは、抽象化されたものをあらわす藝術である。
稲垣さんが「少年愛」を描く上で、何度も何度も抽象化されて作品の中で跳梁跋扈ちょうりょうばっこするもの、それは、お父さんである。
息子が恋をしてもゆるされるお父さん、息子に恋をするお父さんを何度も作中に書くことで、稲垣さん持つ父性への回帰という近親相姦的欲望を抽象化させている。
そうして、その抽象化された父性というものを描いた藝術作品に、山ン本五郎左衛門さんもとごろうざえもん同様に西洋の魔王である、シューベルト作曲のゲーテの詩『魔王』がある。
ここにおいて、「同性愛・少年愛におけるおそれが巧みに捉えられている」と稲垣さんは前述したエッセイ『洋服について』、或いは『緑色のハット』で述べている。
シューベルトやゲーテら藝術家たちにとり、「少年愛」とは『魔王』の詩そのものである。
このハンノキの王様(乃至は妖精の王様)への恐怖を描いた作品の詩想と同質の作品が『山ン本五郎左衛門只今退散仕るさんもとごろうざえもんただいまたいさんつかまつる』なのだ。
大好きなパパが愛してくれる理想の美少年時代への郷愁を抽象化したものが稲垣さんの詩であり童話であり、そこではパパは様々な姿で、息子を奪いに、誘いに、教育をしに来ようしている。
なぜお父さんは息子を奪いに、教育しに来るのか。それは、息子こそが失われたかつての理想の美少年であるからに他ならない。
そして、痛み、恐怖、おののきという感覚こそが、少年を美少年へと変えるファクターであるからだ。そして、冒頭にも書いたように、このユリーカにたどり着く、父と息子の同一化こそが、稲垣さんが様々な作品に書いてきた美少年時代の詩想である。

稲垣さんは、対談である江戸川乱歩との『E氏との一夕』や、美少年を隣にはべらせ、ダンスホールで暮らしていた西巣鴨時代を書いた『美少年時代』でも(まさに、信長と蘭丸の如し)数多の作品で美少年という存在を書き続けている。
その美少年、という一点に、「私の作品は全て『一千一秒物語』の注釈である」という言葉の意味が活きてくる。星と月とについて語る時、稲垣さんは常にお月さまへの憧憬を隠そうとはしない。
稲垣さんは月に関しては独逸ドイツ語では男性名詞であり、日本語やラテン語では女性名詞であることに触れ、さらに花王石鹸やステッドラー社の月じるし鉛筆などに描かれたお月さまの老若男女定かではない様に、月を両性具有者ヘルマフロディトスとして捉えている。また、花が優美なのは雌雄同体であるから、花もまた両性具有アンドローギンであると書いているように、花と月、まさに「花月」であるわけだが、この『花月』は先述したように、幼少の稲垣さんが父親から教えられた謡曲である。

両性具有/ヘルマフロディトス
美少年時代、美少女時代だけが持つ両性具有であり理想
天狗と牛若丸

稲垣さんは、天狗が花月を掴んで空を飛ぶ場面を、父が鼻を啜りながら情感豊かに謡い、小鼓を叩いてくれていたことを、何度も自作に書き付けている。『花月幻想』からなる『花月』のファンタジアに関しての論考はライフワークとも呼べる執拗さをもって、延々とヴァリアントを重ねている。
『花月』を取り上げた『日本の天上界』という随筆では、能の持つ宇宙的郷愁について、その真髄である『天鼓』も合わせて論じており、ここでも夭逝の美少年像、永遠の美少年像に関して稲垣さんの言葉が尽くされているが、『天鼓』もまた父と息子の死別による哀しくも美しい物語だが、この謡の一節、「人間の水は南、星は北にたんだくの」は、稲垣さんが終生愛してやまなかった文句である。『天鼓』は亡き息子の霊が鼓の音が鳴る時だけ父の前にあらわれて、美しく朗らかに舞うのである。この天上の感覚、夜空への郷愁を、稲垣さんは美少年ものの傑作として見て、江戸川乱歩にもそのことを伝えていた。全ての作品に共通するのは、父親の存在である。母恋いの話は、稲垣さんには皆無に近いと言えるだろうし、これは稲垣さんも言うところの、谷崎潤一郎の領分である。
そして、お父さんを人外の者、象徴的なものへと転化していることが稲垣さんの作品には多々ある。

山ン本五郎左衛門退陣仕るさんもとごろうざえもんただいまたいさんつかまつる』における山ン本五郎左衛門さんもとごろうざえもんと平太郎
『花月』における天狗(僧侶左衛門)と花月
『青い箱と紅い骸骨』におけるフカと私
『春の目覚め』における仮面の紳士とモーリッツ(メルヒオール)

『春の目覚め』では、最後に仮面の紳士が連れて行くのはメルヒオールであるが、稲垣さんはメルヒオールの友人のモーリッツに尋常ではない入れ込み様を見せている。稲垣さんは、学生の頃からモーリッツを気取り、ウィスキーの酒瓶を胸元に忍ばせて学校の裏山の林中を歩きながらピストル自殺を夢想する少年だったわけだが、モーリッツの父親は厳格な父親として描かれており、試験に失敗したモーリッツに失望する。モーリッツは自殺という最大の希求を実行してなお、父の愛を受けることが出来ない。父は出来損ない息子を、自分の息子だと思わない。
モーリッツは、最終的には物語前半でメルヒオールに語った「首なしの王妃」の話よろしく、自分は自分で首なしになり、メルヒオールと仮面の紳士と問答の末、最終的には誰もいないハンノキの森の中で冷たい土の中へ還る。この顛末に、父への思慕を隠せない稲垣さんは彼のお父さんの如く涙を流すのだ。
ハンノキの森、ハンノキの王はまさにゲーテ・シューベルトの『魔王』だが、共にドイツの文学作品である。
『魔王』の作曲者のシューベルトもまた、父親は厳格だった。寄宿制神学校コンヴィクトに入学したシューベルトのボーイ・ソプラノを愛していた。けれども、音楽家、作曲家という道を選ぶことは猛反対していた。リアリストな父親像である。シューベルトは思春期から青年期にかけてゲーテに心酔して彼の作品をベースに歌曲リートを書き連ね、友人などにも協力してもらい、彼に手紙を送っていた。ある種、ゲーテはシューベルトのお父さんだったと言えるだろう。然し、彼の『魔王』はうら若き美少年メンデルスゾーンは気に入りだったが、終生、シューベルトへの直接的な返事はしなかった。
仮初かりそめの『魔王』には相手にされなかったが、現実の『魔王』への恐怖はシューベルトも同様に抱いていたからこそ、彼はゲーテにシンパシーを感じたのかもしれない。そして、その恐怖とは、ジェームズ・フレイザーの言うところの「自分を鏡で見ることの危険性」、ナルシス化である。
稲垣さんは、父親から異常な愛情を受け戸惑う『魔王』の少年が持つ同性愛へのおそれを見抜いて、エッセイに書き付けているが、父親的なるもの、それは先述した、複数の人外の者たち、その系譜に連なるものとして『魔王』を捉えていることに相違ないだろう。

シューベルト/ゲーテの『魔王』は父子互いの同性愛への恐怖・好奇心を描く

稲垣さんが示した、男性の持つ永遠の父への復帰のために手を差し出すのは常に人間の父親ではなく、代替だいたいとなる人外でなければならない。或いは、象徴でなければならない。
魔王、山ン本五郎左衛門さんもとごろうざえもん、天狗、仮面の紳士。
何度も言うように、彼らは近親相姦的な父性愛、少年愛への恐れの抽象化された姿であり、詩として抽出された存在である。
つまりは、パパと息子がそれぞれがそれぞれに抱く恐怖、その心情の根源、同性愛への恐れである。
稲垣さんは何度も『花月』や『山ン本五郎左衛門さんもとごろうざえもん』のキネオラマ化、映画化を脳内で試みているが、それはいつでも天空にさらわれる感覚、お父さんの腕に抱かれて運ばれる、あの、幼心の記憶、愛の記憶への再現のためであり、それを詩として朗するのが稲垣さんの作品なのだ。
それはお父さんの腕に抱かれるだけに飽き足らず、彼特有のAANUS感覚的糞便を拭いてもらうという郷愁へと結実したのが、前述の『蘆の都』での回想であり、その粗相を拭いてもらった時、山林の中、松茸の香りがしていたと記載のあるように、ここでも匂いが重要な要素として描かれる。お父さんの匂いである。それは、シガーやコーヒー、糞便の匂いなどの、男性的体臭である。そこにこそ、息子は安堵を覚える。

『蘆の都』では俄か雨に濡れたトアロードの坂道を愛子を探した首なしのお父さんが新しいロードスターを駆って寄宿舎へと向かうその幻想が語られているが、これこそが稲垣さんの『魔王』だ。彼の欲しいものを、このエッセイにおいて余蘊ようんなく自ら記している。
稲垣さんは、小説が書けなかった。本当のお父さんへの父恋を書くためには、それは、抽象として顕す他に術がなかった。

モーリッツを気取る稲垣さんらしい誤謬ごびゅうは何時しか真実となる。誤謬ごびゅうこそが藝術において真理に成り得ることを三島由紀夫は語っていたが、稲垣さんの文学には本質的な評論軸を確信的誤謬ごびゅうが裏支えしていて、それはイエズス・キリストの如し物語性・超克ちょうこく性を帯びて、読者の胸中へと運ばれる。
怪我をして包帯を巻いた少年、先生の腕に抱かれて運ばれる少年こそが美少年であり、それもまた一つの代償行為である。稲垣さん曰く、少年や男性の包帯は安心感を与える、女性だと痛々しいだけである、たったこれだけの文章がなんと真理を言い当てていることか。

稲垣さんがキネオラマ化しようと構想した作品のうち、『花月』は桜の木の下で再開した父と子が、父は魔道に、子は仏道にと相対し、ヒマラヤで再び相まみえるという、そのような筋立てを考えていたようだが、父子相克ふしそうこくの種が自分にないために、それ以上は発展しなかったと書いていた。父子相克ふしそうこく、魔道と仏道こそ、この二元論は実際には一つのこと、天地も親子も実際には一元論でしかなく、互いは同一のものなのである。
稲垣さんは、『花月』での当日の父子の再会は理想型との邂逅に他ならないと喝破した。つまり、稲垣さんの言う、自らの、その他の男性においての『痔の記憶』と同質のものである。稲垣さんは痔にはなったことはない(との本人の弁)。けれども、痔の記憶こそが、美少年時代、お父さん時代どちらにも呼応する、紛うことなきA感覚であることをここで述べているわけである。

父は息子に理想の美少年時代を見つめ、息子は父にさらわれることで美少年時代を全うし、永遠の父への快復を果たす。
全ては一本の円筒、近親相姦的父子の無底の円筒である。

「おまえの書いた『香炉の煙』を読んでいると、何やらボーッとしていて、いい気持ちになるな」と、『七話集』を読んだ父が稲垣さんに伝えて、それを受けて、「父が純文学の近日点に達した唯一の機会だった」と述懐している。
これは、永劫回帰の夏休みを、懐かしの七月という虚空を掴もうとし続けた稲垣さんに与えられた父の愛の言葉であり、愛の体験であり、このたった一つの言葉を、稲垣さんが記しているのは、それは自己と父の同一化が図られたからではあるまいか。
近日点、ああ、天体望遠鏡。
稲垣さんもまた、幼い頃に一度だけ、能舞台で、後張り大口袴を履いている。それは菫色のような藤袴だったのだろうか。
お父さんは、いつだって息子に理想の自分を見ている。それが愛なのである。けれども、息子はいつだって、お父さんの愛を信じながらも不安になる。


『天体嗜好症』は、稲垣さんが26歳の時に書いた。
先にも書いたが、『天体嗜好症ウラニスム』とは『少年嗜好症ペドフェリアエロイカ』であり、稲垣さん曰く、「いわゆる『詩』が、『女』というものを対象においた幻想に醗酵はっこうされていることが事実だとすれば、『童話』とは明らかに『少年嗜好癖』に生まれたものである」と語るように、稲垣さんの『天体嗜好症』は父子の『童話』なのである。

今作では、神戸トアロードやその周辺を舞台に物語を書いているが、そこでは、『弥勒』や『僕のユリーカ』にも通じる、六月の夜の、夏至の夜の、初夏の夜の都会の、未来派の夜を舞台にしている。
そこで、友達のオットーと私は、『Starry Night』という、薄荷のような涼しいクリームが口いっぱいに広がるシガレットまきたばこを噛みながら初夏の夜の天文台を目指す。
まだ子供なのに、シガレットまきたばこを吸うのはただの不良ではない、彼もまた、大人と子供、お父さんと息子の混成である。そうして、オットーは石野重道や猪原太郎という、稲垣さんが天禀を認めた友人たちの混成。それらは、彼の言葉を借りるのであれば、級長めいた微笑みを浮かべている少年である。
彼等Theyが向かうのは、A山の天文台である。
その場所は、『薄い街』のようでもあり、段々と人気がなくなりまるで、稲垣さんの書いた『新月挿話-ポエジイ・ド・コント』で現れた、稲垣さんの間借りするダンスホールに、クリスマスの舞踏のために現れた、美少年のような少女、ガス灯で育ったかのような少女がいる場所のように、不思議な場所。そして、その場所はごちゃごちゃと明治時代からの西洋館が取り巻いている場所。
そこにいる想像のE氏は、きっと短い口髭があるハイカラーな、しかし落ち着いた四十すぎの紳士であるに相違ないと、作中の『私』は思う。
E氏は最終的に姿を見せないが、永遠の父として、ハイカラーな父として、初夏の夜の都会の空の下、銀梨地の星空の下の丘の上、緑色の灯影が漏れる円屋根の天文台で、『息子』を待ち続けて、そして、それらの邂逅、近日点を覗くためには、稲垣さんが書き続けてきたたった一つの必要なもの、それは円筒であるところの天体望遠鏡だったのです、ねぇー

【了】








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