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映画を観ていると心に風が吹き、血が騒ぎ、胸が乱れる。

また、Amazonプライムで映画を観る。Netflixは、最近あんまりコネクトしていない。
『乱』を観る。乱、という漢字。乱打、乱心、乱交、乱視、乱獲、乱れる乱れる。

私は、『乱』は観たことがなかった。

なので観たのだが、ここに『クレヨンしんちゃん アッパレ戦国大合戦』の元ネタがあるとは識らなんだ。

26億円の制作費だが、配給収入が16億円ほどで赤字になったそうだ。26億円の場合、大体50億円〜60億円稼がないとペイできない。配給収入16億円なので、興行収入に直すと大体26億円〜27億円とかくらいだろうか。
当たり前だが、やはり、映画は藝術、である前には、商売、なのであるから、ヒットしないことには正義ではないのかもしれぬ。

然し、『乱』は、その映像美の凄まじいこと、私は度肝を抜かれた。
所々、戦国時代にこんな木あるかな?と思うような、ニュージーランドで撮影した『ラストサムライ』の如くも何のその。

仲代達矢が主演だが、狂気の大殿をこれ以上ないほどに熱演している。
また、根津甚八が出ている。私は、根津甚八が好きだ。今でも、映画『GONIN』における、根津甚八とたけしの銃撃戦は、マイ・ベスト銃撃戦なのだ。

そして、やはり時代劇、その衣裳、まぁ、今作はワダエミさんなので、『英雄-HERO-』の如くに、原色がキレイで目がチカチカするが、美術は堪能、いやぁ、戦国時代、それから室町時代、そのような中世、というのはええなぁと思う。

レンジャーかよ。

特に、中盤、盲の鶴丸が住む庵なんて、幽玄で堪らないよ。鶴丸を演じているのは17歳の野村萬斎で、それにも驚く。然し、一番良いのが、原田美枝子演じるかえでかたで、復讐の女狐、種類は違えどその様は妲己だっきの如く(何回如く言うねん)、彼女が最後に一刀の元に斬り伏せられるシーンの凄まじさは衝撃的すぎてリプレイしてしまった。直接的な描写はない。つまりは、『スカーフェイス』のチェーンソーシーンの如く(何回言うねん)、カメラが少しパンするため、現場を観ることは叶わないのだが、血糊が壁一面に花火の如く(何回……)咲き誇るのである。

妲己とは違うけれども、楓の方も怖かった。
すごい目ヂカラだ。ここにもパールがいたんだね。

うーん、すごい、すごい絵だ。すごい絵しかない映画だ。やはり、時代劇は金がかかる。だから、そのような、金のかかる夢想を実現しようという試みは、大変な労苦を伴うだろうが、ついついリプレイしてしまう、そんな力に充ちている。

で、その後に観たのは『からっ風野郎』だ。三島由紀夫主演だ。

監督は増村保造。なので、珍作なんか傑作なのか、観るまでは判断がつかない。結果、良作寄りの珍作だった。
まず、三島由紀夫主演、というだけで、こう、吹いてしまいそうなオーラに満ちているが、冒頭、刑務所にいる三島の開口一番で、やはり笑ってしまう。嬉しくなってしまう。
凄まじい棒演技だが、然し、三島は真剣だ。真面目に、熱く演技している。
周りは芸達者ばかりだ。笠智衆に、船越英二など、そういう人の演技と比べてみると、玄人と素人って、こんなに違うんだー、と思わざるを得ないが、然し、だんだん、あれ?三島、なんか演技上手くね?と、妙な錯覚を覚えてくるから不思議だ。上手くないのに、なんというか、役が生きている。
三島という役者と、三島が演じる武夫というヤクザ、この2つが重なり合い、どこまでも滑稽な存在のCHEMISTRYにより、気付くと、この滑稽の|三昧境ざんまいきょうで溺れそうになるのである。

まぁ、物語は説明するのが面倒くさいので、Wikipediaなどを読んでほしいが、三島なのか、武夫なのか、そのどちらかはわからなくなるようなこの万華鏡映画に、私はすっかり魅せられてしまった。
ヒロインは若尾文子だが、彼女は映画館のもぎりをやっている。その映画館の雰囲気とか、売店に置いてあるお菓子とかが、あの、『タクシードライバー』でトラヴィスがコークなどを購入した売店にすごく似ているのである。

クラウンコーラしか置いていない。ダイアン・アボットは一時期デ・ニーロの奥さんだった。

そういえば、なんか、デ・ニーロと三島も、似ていないこともない。
ミシマ・デ・ニーロなのか、いや、名前だから、ユキオ・デ・ニーロか。
なんだろう、すごくしょぼい売店なのだが、私はこの売店の空気感、そして、ワクワク感が忘れられない。
昔、今は無き、四条大宮にあった、大宮東映で春の東映アニメフェアなどを鑑賞にいった際、そこでの売店は、何か、ワゴン車にたくさんのグッズを乗せていたりして、子供心にしょぼいなぁ……しょぼい売店だなぁ、と、そんな感想を抱いたものだ。
やはり、グッズ、などは、こう、ショーウィンドウの中、或いは、売店の壁などに、恭しく飾ってあって欲しいものだ。
京都宝塚や、京極東宝は、そんな感じだったような気がするが、どうか。

パンフレット、というのは、以前はいつもいつも購入していた、映画の記憶装置である。昔は、500円とか、600円くらいだった。たまに、糞高いので800円とかだったが、今では、1000円くらい普通にする。誰が買うかい!ってなもので、私は、パンフレットを10年以上買っていない。
なので、ライムスター宇多丸氏の、映画評、私は、確か、2008年か2009年くらいから聞いているので、普通に、もう、15年経つが、30分の映画評を年間50本、通算、750本である。
それ以外にも、宇多丸氏は映画について常に発信しているが、然し、750本×30分、というと、22500分、なので、375時間、つまりは、15日〜16日、映画の話をしていることになる。恐ろしい話だ。

で、その宇多丸氏は、パンフレットに対して常に苦言乃至は絶賛の何れかを語っているが、然し、私は、その話には乗れない。なぜならば、お金がない、からだ。決して、絶対に、パンフレットがいらないわけではない。要は、予算、の問題なのである。

なにせ、紙物が好きな私なので、映画館で買いたてのパンフレットの、あの、糊がピリピリと剥がれる感じが堪らないし(それは雑誌でもそうだ。紙と紙がくっついているのをピリリと剥がす恍惚を超える快楽はない)、印刷の匂いも、そして、なるべく油をつけないように、丁寧に扱うその仕草までも、思い出すたびに、ああ、パンフ買いたいなぁ、と、やはり思うことは思うのである。まぁ、ただの新品主義かもしれない。

で、『からっ風野郎』、というタイトルの通り、風が吹いては消えるような男の話だった。

で、その次は、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』を観る。まだ観たことなかったので、鑑賞するが、すごくすごく良かった。だが、良かった、というのが、あまりにも洞口依子のお陰に寄りすぎている気もしないではない。

ものすごい美女だし、出てくるだけで画面がここまで締まるのは凄い。然し、とはいえ、やはり、映像のレイアウトというか、特に、屋内での画面構成は、そのロケ地も含めて大変美しいものがあったが、まぁ、物語は意味不明である。元々、『女子高生・恥ずかしゼミナール』という日活ロマンポルノの映画として制作したものが、一般映画として編集され直して公開されたそうだが、この、映像美のみならず私は、洞口依子さん、といえば、初めて観たのは、園子温監督の『部屋 THE ROOM』だったけれども、その作品はモノクロ映画で、それはもう、マネキンのように美しかった。いや、マネキンというものが人間を模しているのだから、人間のように美しいマネキン、どっちだろうか、いや、マネキンは、そもそも、人間の理想であるかもしれないのだから、やはり、マネキンのように美しい、という形容で正しいのか。

マネキン、というと、例の、美しい美しい小説、川端康成の『浅草紅団』の一節を思い出す。

「をかしいな。観音さまに鶏をかつてるかね。」といひながら、私は冷つと足をすくめる。ー着飾つた娘が四人、真白な顔で立つているのだ。「浅草つ子になれない人ね。花屋敷のお人形よ。」と彼女に笑はれる私だ。

YASUNARIは魔界の小説、即ち、後期の『みづうみ』、『古都』、『眠れる美女』、『山の音』、あたりの、なんというか、京都とか鎌倉の辺りの小説、日本の美、的な風に流れそうだが、然し、初期のモダニズム関連の方が、活き活きとしていたりする。

まぁ、その分、若干、意味不明な筋運びもあるが、冷静に考えると、YASUNARIは常に意味不明なのである。まぁ、『浅草紅団』は皆が読んで欲しい佳作であるから、読みにくくても、ぜひ購入してちょ。



 
 
 
 
 
 
 
 
 

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