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書店パトロール34 人魚と水島爾保布、そしてツェリードニヒ。

タニジュン、まぁ、所謂、谷崎潤一郎のことだが、私はタニジュンの小説の中では『細雪』、『春琴抄』、『蘆刈』、そして『武州公秘話』が好きなのだが、もう1冊、大正タニジュンの代表作『人魚の嘆き』も好きである。

『人魚の嘆き』、といえば、放蕩の限りを尽くした皇子が、人魚という禁断の生き物を見せられて、その虜になる話だが、この『人魚の嘆き』は初版本が大変高騰しており、大正6年に出てから、『魔術師』も加えての新装版が大正8年に発売された。

その復刻版もまた、2020年に発売された。

この本は文庫でも発売されているので、まぁ、読みたい人は文庫がいいだろう。

然し、私が今作をここで取り上げたのは、また規格外の金額の本が発売されていたからである。今作の大正8年版の挿絵画家である水島爾保布におう(読めねーよ)の評伝が今月発売されたからである。

私としては、美術本であり、文芸本である今作は、まぁ必ずや読まなければならないものである。
然し、値段を見て私は文字通り声を上げた。「い、いちまんごせんよんひゃくえん……だと…。」
15,400円。税込でだ。本体価格は14,000円である。私は天を仰いだ。天を仰ぐ時、私はいつも、塔矢アキラのようになる。

15,400円。凄まじい価格帯だ。初めから一見さんなど見込んではない。
絶対に買うであろう500人〜1000人に向けての本であり、この本は私も欲しいなぁ、悩ましいなぁと思う。
800ページの大著である。これはもう、作者も人生の一大事ばりの熱意での本なのであろう。

本書の冒頭は「誰のことだね、という人もあるだろう」という一文で始まる。「名前の読みからして難しい。そこはミズシマ・ニオウと言えば済むにせよ、その先、誰かというのを、さて、どう答えたらよいものか」と謎めいた問いかけで著者は続ける。
明治・大正・昭和にわたり、文学・美術の分野に大きな足跡を残しながら忘却の彼方に消し去られた畸人の魅力を、十年の歳月をかけて調べ上げ、執念と使命感を深くして掘り起こしたのが本書である。
爾保布とは誰かを明かすため、著者は周辺の人物を探っていく。たとえば「日本のビアズリー」と称された爾保布が、谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』の挿絵と装幀を手がけたこと。長谷川如是閑に大阪朝日新聞の記者として迎えられ、画文ともに活躍する場を与えられたこと。また鬼才中の鬼才武林無想庵とは生涯の悪友として付き合ったり、門弟三千人といわれた文壇の大御所佐藤春夫の媒酌人も務めたり、同じ旅好きの岡本一平らと漫文『東海道漫画紀行』を刊行したり等々……。
自ら世間の梯子を降り、四方八方に才知を蕩尽し、諧謔と反骨に生きた姿を、畏敬の念とともに現代に引き戻す。

[目次]
 まえがき 愚かさの方へ
第 一章 根岸、不思議ね 追憶の家郷
第二章 この父の子 父の履歴と幼少時代
第三章 二兎の徒に 美術学校と詩心の目覚め
第四章 鳩よ、見やる闇夜とは 児童文学と従軍
第五章 意地もひもじい 美校卒業と結婚
第六章 黄泉の季節、鬱積の御代 「新文芸」の頃
第七章 暗い快楽 明治の終焉、デカダンの日々
第八章 異端、変態 「モザイク」と行樹社
第九章 長旅、延びたがな 新潟から関西彷徨へ
第十章 居場所なし、よしなよ芝居 美術劇場と「モザイク」の終焉
第十一章 軽やかさ、大阪やろか 大阪朝日新聞へ
第十二章 社が多才さ耕し 大阪朝日での仕事
第十三章 字に黒し、真白く虹 白虹事件と大阪朝日退社
第十四章 醒めとったまま、また勤めさ 東京日日新聞の頃
第十五章 とかくに一言、皮肉かと 「根岸より」
第十六章 如何はせん、現世は瓦解 関東大震災の前後
第十七章 なんか槌音、落ち着かんな 帝都復興と中国趣味
第十八章 どんなもんだ、奇談も何度 児童文学と水島家
第十九章 委細見物、雑文掲載 満韓遊覧と円本ブーム
第二十章 徒食、閑談、書くよしと 漫画家仲間と「食道楽」グループ
第二十一章 ニヒル、淡々、暗澹たる日に 「大日」のコラム
第二十二章 屈む、かじかむ画家 日中開戦の頃
第二十三章 国もヨタ、四方に苦 近衛新体制の時代
第二十四章 遁世、敗戦と 太平洋戦争と新潟疎開
第二十五章 雪に消ゆ 新潟隠棲と晩年
 あとがき
 参考文献
 人名索引

公式ホームページより

水島爾保布という画家は私も『人魚の嘆き』でしか識らないが、日本のビアズリーだとか、そういう二つ名を付けられている。安易ではあるが、わかりやすい。
まずはなんとも言えない絵の不気味さがあって、作品にマッチしている。やはり、絵師、というものは作品のイメージを司る存在であるから、それが上手くハマった時、その作品の持つ匂いが何倍にも膨れ上がる。

この太さ。極太である。そして何よりもこの美しい装丁。私はシンプルイズベストだと思うので、ごちゃごちゃしているのは好きではない。

人魚、といえば、私は真っ先に手塚治虫の『火の鳥 異形編』の八百比丘尼を思い出す。八百比丘尼は人魚の肉を食べたため、不老長寿となるのだが、その咎は彼女を未来永劫の輪廻の円環に閉じ込めてしまう。この漫画は本当に本当に傑作だとは思うが、人魚、というと、他にもゲームの『SIREN』などを思い出す。あれも人魚伝説の話である。あ、『人魚伝説』という映画は傑作なので観て欲しい。『死霊の罠』との二本立てが最高だ!

そもそも、SIRENとはセイレーン、であって、セイレーンは人魚のことを指す。然し、元々のセイレーンとは人面鳥のことである。
何れにせよ、海の悪魔であり、旅人をその美しい声で惑わして自殺させようとする。

本当によく出来た作品。傑作である。
オデュッセウスは人魚たちに誘惑される。なので仲間にマストに縛られている。他の人には聞こえない。
どっちが怖いかといえば、どっちだろうか。私は水生生物に最恐の恐怖を抱いているので人魚に軍配を上げたいが、鳥の顔した女性はもっと怖いかもしれない。

そして、『レベルE』である。『レベルE』の3巻に人魚を密輸して荒稼ぎする屑宇宙人が登場するが、まぁ、これはよく言われるように『HUNTER×HUNTER』のツェリードニヒのプロトタイプだろう。
『レベルE』はキメラアント編のプロトタイプもあるし、冨樫先生のアイディアスケッチのようなものなのかもしれない。

『レベルE』でのエピソードはある種、人魚が絶滅危惧種のような扱いで、それはクルタ族の生き残りであるクラピカと重なる。

人体蒐集家であるサイコパスの皇子ツェリードニヒ。
『レベルE』の悪徳宇宙人

どちらも屑であるが、様々な遊びを試した挙げ句に、放蕩の果に人魚に取り憑かれる皇子は緋の眼を蒐めるツェリードニヒ皇子のようである。
『人魚の嘆き』や『レベルE』同様、美しいものは囚われたままではない。自由になるべきなのである。
『HUNTER×HUNTER』はどうなるだろうか……。









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