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【名作映画感想】第2回 『パラサイト~半地下の家族~』

こんにちは、buchizashiです。
名作映画を振り返る個人的感想、第2回目です。今回も勝手に超個人的感想を書き綴っていこうと、思います。

今回扱う作品は、皆さんの記憶にも新しい、
第72回カンヌ国際映画祭パルムドール、第92回アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編作品賞等々最多部門、他去年の数ある映画賞を総ナメした呂布系無双映画ポン・ジュノ監督脚本作品『パラサイト 半地下の家族』ですー。

選んだ経緯は、、毎度ながら気まぐれなんですね。コロナも相まってというか、現在の仕事についてから緊急で呼ばれたりする可能性もあるもんであまり映画館に足を運べてないんですね。。恥ずかしい限りです。映画を語るなと、言われてもしょうがない。この作品も劇場では見ずに最近になってようやく配信で見ました。すみません。。

で、まあ思うところもあり、みんなどんな感想、考察を抱いてるのかなとネットを流浪すると、まぁとにかくこの映画の解説考察動画・記事の多さにビックリしました。そんなにみんな感銘を受けたんだなーとね。わかります。その理由を考えてみますとね、なるほどこの映画の構図、面白さの為の仕掛けが見えてくるかなーと思ったのと、前回の「ゴッドファーザー」の対極にあるような映画だったことから2回目にちょうどいいではないかと思った次第です。

前回同様
・あらすじ
・まだ見てない方の為の見どころ
・個人的考察

の順でこの映画を振り返っていきましょう。

あらすじ

過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。映画 パラサイト 半地下の家族 公式HPより引用 http://www.parasite-mv.jp/story.html

まだ見ていない方の為の見どころ 
~とにかく”わかりやすく”シンプル直球で面白い~

とにかくこの映画、いろんな意味で「わかりやすい」映画とするためのプロットが非常に多いと思います。前回”難しさ”を味わおうとしたゴッドファーザーと比較するととってもシンプルな作りになっています。それは悪い意味では決してありません。余分な要素をゴリゴリにそぎ落としているだけな印象でした。核の部分が非常に分厚く仕上がっているため、濃厚な味わいを楽しませてくれるはずです。なぜそういったシンプルさが可能だったのか、後述しますけども、登場人物の人数、場面の数、構図、時間軸これらに一切の過不足が無いように思われました。主要登場人物って、たったの11人ですよ??空間的重要舞台は3場面しか無かったりするんです。少なすぎでしょ!普通だったらこれしか場面も人も少ないと面白さを醸し出すには足りないところだと思うんですが、この映画、十分面白くしてくれるんですよ

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ブリンク映画調査隊より引用 https://blinkeiga17.com/archives/3719   ホントにこの人達+@しか出てないんですよ。
これで面白くなるんだからすごいよね。

ですからキャラクターの関係性や時間軸、空間認識がスムーズに頭の中に入ってくる仕組みになってると思うんですね。「あ、そっちいったらダメだ!」みたいなハラハラにも台詞がいらないんですよ。皆飲み込める。前半の半地下家族がパク社長宅へ「寄生」していくシーンはさながらミッションインポッシブルシリーズやオーシャンズシリーズを彷彿とさせる(ぱっと見の雰囲気そんな風には思えないですよね!ホントですよ!?)非常にテンポのいい語り口で、ノンストレスで物語の中腹まで駆け上がっていくわけです。(そこに関しては後ほど考察で言いたいことがありまして、、、ご覧になってから是非)その効果が後半、ある一つの真実をきっかけに文字通り「転げ落ちて」いきます。その不安定な緊張感とラストの爆発には手に汗を握らずにはいられません。と、同時に今まで知ることの無かった韓国の現実、今そこにある問題を深く私たちに刻み込んでくれました。不勉強ながら、全く知りませんでしたけど、この映画(あくまでフィクション)を通してたった2時間で事の重大さ、このまま進んだらどうなるのかを教えてもらった気がします。あくまでそれら社会的問題提起は「結果」として物語の根幹であることに気づかせてくれるまでで、見ている最中は純粋にエンターテイメントとして成功した「悲喜劇」(監督の言葉から)を楽しませてくれます。もしかしたら韓国の当事者達は笑って見れないのかもなあ。。。。

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朝鮮戦争休戦後、北朝鮮による国内ゲリラ事件を封切りに建設法で義務づけられた「防空壕」がソウルの人口増加により格安で賃貸物件として利用され始めた「半地下」。下水設備が上階のものを使用しているため、トイレが小高い位置にある。韓国貧困格差の象徴なんだとか。。。しらなんだ。。。

まあシンプルに超面白い映画なのは間違いないです。是非ご覧になってください!

おすすめシーンは”キム一家が階段から転げ落ちるように下界に下るシーン”ですねー、クライマックスに向けての非常に心震える悲しいシーンでした。

あと、皆大好き(?)時計回りのくだりですよね笑。アホかと。吹き出しました。クダラネー(褒めてますよ)。

※以下ネタバレ要素を含みますので、映画を見終わった方はご覧になってください。※

個人的考察その① 
「わかりやすさ」の工夫と効果

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いつかは住んでみたいなと思わせてくれるザ・高級住宅。リスペクトッ!

みなさんご覧頂けましたでしょうか。いかがでしたか?

前半と後半のギャップに否応なく映画を見る前の自分とは別の世界にぶっ飛ばされる体験が味わえましたでしょうか?或いはちょっとなんかなーともやもやさせる映画でしたでしょうか?

見る人によって受け取り方って全然違うし、これだけ考察記事、動画が上がっている作品も珍しいですから参考までにいろいろと拝見させて頂きましたけど、皆さん全然違う意見をお持ちだったり、博学だったりっていうのがよくわかりました。細かい所まで見てるし、よく知ってますよねー。石の解説、考察なんか「はぁーーーへぇーーー」って感じでした。リスペクトッ!私の見方も当然ちょっとそれらとは違うかもしれないんで、まあいち考察としてちょっと覗いてって頂ければ幸いです。

さて最初は先述しましたこの映画の特徴、わかりやすさの工夫と効果についてです。敢えてわかりやすくシンプルにそぎ落とされた脚本や演出、でも骨太な骨格がしっかりと残っている、と言う話は先ほどの通りです。考察記事が多いのもそのためなのかなーなんて(自分もそうですけど)。解説が必要なくらい難解な映画では決してなかったとは思いますね。だからこそすごいんですけども。最低限の知識の補充をしたくらいです。半地下の歴史的意味までは、さすがに知らなかったです。ただそこに語り尽くせぬ仕掛けやドラマがこの映画にはありますよね。リスペクトッ!

さてこの映画の「わかりやすさ」はどこから来るのかな?と考えると以下が挙げられるのではないでしょうか?

①登場人物が少ない ②空間的舞台が少ない ③構図がシンプル ④時間的進行がシンプル

私はこれらが主なものと考えました。これらは映画がより観客に没入させてくれる意図的で効果的な手法に思えました。それぞれの効果がどの様に生かされたのかを踏まえて振り返ってみましょう。

①登場人物が少ない

半地下家族のキム家の4人、地上家族パク社長家の4人、地下家族ムンガン夫婦、友人ミニョク。。。計11人。まあ強いて言えば最初の運転手と路上の酔っ払い、ピザ屋のバイトってなもんですよね。少なすぎる。。さらには画角に入り込むのがほぼこの人達で、余計な人物像が入り込まない、ノイズが無い、と、思いませんか?(体育館にいっぱいたとかはあるけど)登場人物が少ないほど、頭の中で記憶、整理しやすいため物語により集中出来る効果があると思います。それに引き替えゴッドファーザーは多いからなー(褒めてます)。

②空間的舞台が少ない

言葉が合っているかは不確かなのですが、この映画キム家、パク家、そこをつなぐ坂でのシーン、がほとんどでその他のシーンってほんの少しですよね。

余談ですが、しかも最初はそこまで坂を描かないんですよね。ちょっと坂を上ってったとこくらいの描き方に留められていて。終盤に嵐の中、坂を駆け下りていくシーンには心を締め付けられました。「格差」を文字通りそのまま高低差のある空間に見立て、それがいかにキム家とパク家の隔たりが現実には大きいかを「坂を下りてくるだけ」で表現されたような気がして、感銘を受けました。

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さっきまで天上人になれてたと、心から思ってたのに。。。
現実を突きつけられる悲しいシーン。

話がそれました。その三つのシーンしか無い上にほぼ決まった場所で(特にパク家ではリビング、2階の娘ダへの部屋、地下室、庭)物語が進んでいくので、空間把握しやすいと感じました。「ダメだ!庭にはガキがいるぞ!」と心の中で我々(観客)は叫びますけど、映画では無線の音が鳴るのみ。にくい演出です。それができるのも、我々がパク家の家の中を、なんなら見取り図かけるくらいわかりやすく限局しているからではないでしょうか?

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また話それますけど、
ソラで家の見取り図かけるキャラクターなんか、
この人とこの人の家くらいじゃないでしょうか?

③構図がシンプル

シンプルというか、直線的ですよね。特にパク家では顕著ですけど、階段のところや庭、地下室は固定された同じ画角の中でキャラクターが移動したりしてました。空間を読みやすく感じます。あえて真正面からショットを捉えてカメラを動かさないみたいなシーンは多かった気がしますが、直線的、絵画的な描写はキッチリし過ぎてて、パク家の見た目上整った居心地の悪さ、違和感を助長させている気がします。

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真正面から、直線的。無機質。人工感。作りもの感。
パク家のイメージピッタリ。

④時間的進行がシンプル

キム家からスタートした物語はおそらく数日でトントン拍子に寄生していくわけですけど、じっくり見せるところとポンポン進むところのメリハリがしっかりしてる気がします。寄生するまでのスピード感、地下を見つけてしまってからのスピード感、違いますけど(地下見つけてからラストまで半日ですからね。)今自分がどの時間軸に立っているか把握しやすい構造です。ようは、振り返りや回想シーンが排除されているという事だと思います。時間軸でもあっち行ったりこっち行ったりしない、流れのままに物語は進んでいく。大正解かなと思います。

これら4つ全て意図的に仕組まれたわかりやすさ、と私は認識しました。全ては我々観客がスムースにお話にのめり込み、最後のストレートのためにガードを下げる為のオモテナシ?だとしたらめちゃくちゃ手の込んだ引き算。リスペクトッ!

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キム家の計画は崩れたけど、製作陣の計画は大成功。
キムさん、やっぱり計画は立てた方がいいよ。

個人的考察その②
実際に格差、差別について考える。

この映画がこれら韓国の社会的背景を織り込んだ作品だという事は異論の無いところと思います。作り手のメッセージとして、しっかり受け止めるべきでしょう。
格差、差別、それら普遍的な目に見えない概念をこの映画は可視化する事に成功している気がします。わかりやすく消えない匂いだったり、物理的に高低差がある居住空間だったり、我々がわかりやすく学ぶために、”台詞を用いず”しっかりと描き分けてくれています。地上の家族、上辺だけ地上の家族に装うものの匂いを消せない半地下の家族、そして格差を受け入れてしまうに至った地下の家族、しっかりレイヤーができてますよね。

では何故格差がダメな事なのか?

この映画のような事が起きるかも知れないからでは無いでしょうか?

と、映画が教えてくれた気がします。人の尊厳を”無意識に”、パク社長の口癖を借りるなら”土足で境界を超えてきて”人の価値観を馬鹿にしてしまう土壌を作りかねないからではないでしょうか?

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社長、あなたが半地下の境界を跨いで攻撃しちゃってるのを
気づいていないんでしょう?

だからって、この物語の登場人物に根本的悪人は1人もいないです。そんな中、悲劇は起きてしまうんですよね。彼らの違いは何だったのか?

実は人間性に関してはそこまで違わないわけですよね。

パク社長も基本善人だし家族は無神経なだけ、だからこそパク家はキム一家のパラサイトに騙されちゃったわけです。

キム家の面々も軽犯罪は犯したものの一家団欒の食事を大切にする仲の良い家族、誰もいないパク家でドンちゃん騒ぎするキム家は計画がうまくいき過ぎて、心の底から地上人になれると勘違いをしていました(特にギウはですね)。地下のムンガンが腹が減ってるだろうからと飯を運ぼうとしたりました。

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キム家の食事は仲良く皆で一緒。いい家族よね。

地下の家政婦ムンガン夫婦だってただ借金取りに逃げてただけだし、あのカビくさそうな部屋には使用済み、使用前のコンドームがいっぱいありました。旦那が死んじゃうかもしれないとわざわざリスクを冒してパク家に戻ってきました。仲睦まじい夫婦じゃないですか。家政婦ムンガンの夫グンセが奇行に走ったのは愛する妻への復讐でしたしね。

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あんたら悪い人じゃなかったよ。。哀れだったけど。。リスペクトっ!

なんならパク家の方が表面的で中身の無い生活を送っているように感じます。決してツルッと愛しているとは言えない社長。恐らく麻薬をおキメになられて昼間っから庭でぶっ倒れているし、表面的なものの充足しか価値を見いだせない母ヨンギョ(途中までかわいらしさもある人でしたけど、後半ラスト周りは何か無神経さが際だって見えました)。ギウへの恋心しか見えてこない娘(友達がいるとか、なんで大学行きたいのかの進路の話とか、わからないんですよね。)わがままが通ってしまう事で完全に大人をおちょくる事に楽しみを見いだしている息子ダソン。(キム家次女ギジョン先生には通用しないんでしょうね、おとなしくしてました。)まあ、やな部分はありますけど、だからって不幸になって良いか?と言われるとそんな家族ではありません。

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富を手に入れることは、決して悪いことじゃないのよね。

これら3家族の根っこは変わらないのではないでしょうか。価値とは相対的なものですから(後ほど石の話に回します。)、決して能力値だけで決められるものでは無く、この3家族に人の生き死にを違えるほどの根本的な差って無いように思います。同じ人間ですよね。

だのに「格差」は、振り払えない匂いとして、決して同じ高さに住めない住居として、可視化されて間違い無くそこにある現実として我々を打ちのめしてくる。。。たまりません。貧しい者同士が争いたくもないのに争ってしまう、現実の社会を反映しているようにも見えます。グンセが格差を受け入りきってしまって、あまつさえ尊敬の念さえ抱いているのも格差の終着点のような見え方もします。全く同じ経歴を進んできた地下人グンセと父ギテク(同じ台湾カステラで失敗したって言ってましたね、流行ったのかな?)、ギテクには数年後の自分のように見えたんじゃないかな、と思ってしまいます。

さらに「差別」が重なり、ラストの悲劇を生んでしまいました。

すこし話をそらしますが、差別の怖いところについて実際こんな事が最近ありましたので、良い例だと思いましたので振り返ってみます。

先日Twitter上で某映画評論家M氏と俳優のT氏の間でちょっとしたすれ違いが起こってしまいました。T氏が自分の畑で大切に育てていた農作物を荒らされ、盗まれる事件が発生し、現行犯で日本語が不自由な恐らく外国人の方が犯人であったとTwitter上で報告しました。それに対して多く方から、何故外国人と書く必要があったのか、差別ではないかと言う指摘が出ました。犯人は外国人だったと思われるし、T氏は被害者なのだから差別は関係なく事実を言ったまでだと反論、そこからは話がいろんな方向に進んで言ってしまい、T氏は差別主義者ですか?●●マン(T氏が過去に演じた子供向けヒーロー)なら差別をやめなさい!みたいな極論に発展してハラハラしてしまうひと場面がありました。

個人のアカウントですので、引用元は避けます。みなさんはこのやりとりを見て、どう思われましたでしょうか?どちらの意見が正しいと思いますか?

私はどちらも正しいし、どちらも間違っていると思います。両者論点がずれちゃったせいで歩み寄れなくなっちゃったと思うんですよ。

「差別」とは決して意識的に、能動的に起こすもののみでは無いと思うんですね。ナチスドイツが根拠も無くユダヤ人迫害をした、有色人種を罵った、これらはわかりやすく能動的に差別をしています。これは当然良くないことなのは解ると思います。しかし差別は全く無意識に人を踏みにじる可能性を秘めているということを、加害者側は気づいていません。「概念」がインプットすらされてないからです。インプットされた概念なら、皆意識的に気をつけれる様になってきました、女性社会進出を進めよう、BLM運動、悪いことだと当事者以外の人にも意識が芽生えたからでしょう。T氏がSNSに”外国人”と不特定多数を無差別に対象としてしまうワードを使って被害を訴えたことで、「ひとくくりにしてくれるな!」と怒る人は、いると思うんですよね。M氏達の言い分はそこです。ですけど、T氏は「差別主義者」じゃ当然無いわけですよ。少なくとも能動的、意識的に行っているわけでは無いでしょうし、そう言われると「私はそんなことはしていない!」と怒るのも理解できます。

だいぶ話逸れましたが、ようは「差別」とは無意識下でも他人を傷つけてしまう可能性を十分に秘めているということです。(これを話すために長い引用をつけてしまいました。。)

パク社長は決して差別主義者ではありません。でも差別を生んでいます。(においっていうのは生理的嫌悪として作用するから、ホントの差別はもっとわかりにくいものだとは思いますけど。)ラストまでの数分間、パク家の無意識的差別にギテクは人としての尊厳を著しく傷つけられていきます。

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パク家の全く知らないところで、ひどく尊厳を傷つけられるギテク。。。
パーティーの準備はそれを加速させていく。。

インディアン(搾取される側としてのオブジェ的効果があるでしょう。)を扮する事に抵抗を感じると「金ならだすから、ちゃんとやれよ。」とこれまた無意識的侮辱、さらにさらに自分の娘が重症を負っているにもかかわらず、それに一瞥をくべる事無く地下人グンセのにおいに鼻ををつまむ始末。「俺の娘の命は、くさいからといって後回しにされていいものだというのか・・・?」そういった不満がギテクの暴挙を引き起こさせたプロセスかと思いました。。。。

誰が悪い?
社会が悪い。。

だから社会は格差と差別をほっといちゃだめなんだなと痛感します。

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これ以上、馬鹿にするのもいい加減視しろよ。。の顔。
ソン・ガンホ、名優です。

さらに、ラストのラスト、自分たちの力で差別を格差をはねのけ、自由を手にした、、かと思いきや、、それは幻想なのだ、というシーンでこの映画は締めくくられていました。それは、韓国における格差・差別問題が永遠に解決されることはないのでは、、?という悲しい暗示のようにとらえることも出来て、なんとも言えない気分になりました。。。。はあ、、、、。

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個人的考察③ 
ちょっとここは納得出来ないぞ! 
「失敗しない」計画

たいへん素晴らしい映画でしたが、一つだけ、もっとこうした方がよかったじゃなかったのかなーというポイントを書いておきます。えらそうに!すみません!

それはですね、キム一家がなぜあんなプロ級詐欺師のテクニックを身につけていたか?についてです。

キム家がパク家に寄生していくシーンは非常にテンポが良く、まるでスパイ映画もののような雰囲気を味わわせてくれ、非常に楽しい重要なシーンでした。皆大好きだと思います。

しかしそもそも、キム家は最初日雇いの仕事でようやく食いつないでいく程度の生活をして、さらには父ギテクなんかは少しポンコツ要素さえ感じさせています。そんなキム家が、なぜあのようなスーパースキルを持ち合わせているかの理由づけが少ないため、「そんなにうまくいくか??っていうか、なんでそんな事できんの??」ってなっちゃうんですね。私だけでしょうか?無計画が一番いい計画だとか言っちゃうんですよ。。うまくいく要素が見当たらないように思います。

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情報検索ソースがYou Tubeの家族ですからね。
特殊能力を持っているように見えない(写さない)のは、、うーん。

たとえば息子ギウ。世渡り上手とは思います。ピザ屋に狡猾に次の仕事をゲットさせてましたから。しかし、金が無いとは言え大学試験に4回も落ちた劣等生です。それがいきなりあんなスムースな授業出来ますでしょうか?さらにはパク家娘ダへを惚れさせてします”脈のくだり”なんて出来るでしょうか?恋愛上手には見えず、むしろ奥手な印象に見えましたが。。?高級住宅すら初めて見るような彼に、「気品あふれる演技」がなんで出来るのでしょう?気品とは無縁のゲットー暮らしなのに。パク家がむちゃくちゃバカだからとしてもいいのですが、だったら社長にはばれちゃうみたいな展開があってもよかったかなーと。

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君がとてもイーサン=ハントには見えんのだよ。
あと、時計とかで社長にはばれるもんだと思うよ?
「何処の時計?」とかね。社長は聴いてくると思うなー。

とにかくこの家族失敗しないんですね。大門未知子か!

娘ギジョンは実力はあるけど予備校が通えなくて、、とはありましたからまだわかりますが。。問題は父と母です。特に父ギテク。彼は作戦において「におい」以外一切の失敗を犯しません。このチームにおいて絶対的な不安要素であるはずなのに。。作戦中のドジってはらはらするし、笑えるし、効果的だと思うのですけどね。

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観客の予想を裏切り完璧に仕事をこなして”しまっている”家長。
ごめんなさい、一切期待してませんでした。

スパイものだったらやはり予定外の失敗とそれを乗り越える機転と運が盛り上げる要素じゃないですか。それがこの家族に起きない理由が、少なすぎるんですよねー。。。完璧にこなせるにはそれなりの理由が書かれるから作戦中「ああ、おまえならそれくらいできるかもな。」と思わせてくれるわけです。なので、この家族がいきなりスーパー詐欺師集団に見えてしまうとちょっと違和感がでるわけです。

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映画オーシャンズ13 より。
この人達はその筋の”プロという設定”ですから。説明不要なんですけど。
この人達ですら(特に左端の彼ね)失敗しますからねー。。。 

さらにこの事は、ラストのラスト、超重要なオチに影響してしまう可能性がある重要なファクターと思うんです。先ほど書きましたとおり、最後自分たちの力で格差を乗り越え、自由を手にした、、しかしそれは幻想であって、永遠に父を助け出すことは出来ない=格差を解消することは出来ないのでは。。?という深いラストに思えました。キム家がもし理由もなくスーパースキルを身につけている集団だとしたら、「この家族なら、もしかしたらワンチャン、父ギテクを助け出すことが出来るかも、格差をはね飛ばす事が出来るかも。。?」と思わせ”ちゃう”と思うんですよね。妄想から覚めても。それだとラストのメッセージは半減してしまうのでは。。?もったいない。。と思った次第です。勘違いでしょうか??

だからこそ、ラスト絶対に父はもう助け出せないだろうな、、格差は無くならないだろうな、、とさせるには、この家族の作戦には、超絶な運の良さ=本人達にはどうしようも無い部分で乗り越えていく要素があればよかったかなあと。それってコメディ要素としてもうまく働きますし。「んなわけあるかいw」と。

個人的考察④ 
おまけ 「石」の話。

「石」の考察がとにかく多いので、自分も意見をまとめておこうかなとおもいました。最初に友人ミニョクが持ってきた、あの石ですよ。

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なんか石そのものにいろんな意味があるんですって。

いろんな説を見かけました、皆さんホントお調べになったり鋭かったり、とにかくすばらしいですね。リスペクトっ!

ですが、私はですね、あの石そのものには何の意味も無いと思った次第です。何も知らない日本人の私から見ると、あれはただの石です。石っころ

人の価値、物の価値は相対的なものだとおもいます。それをよく現しているのが、あの”石”だと思うんですね。宝石ですら、赤ん坊から見たらプラスチックとなんも変わらんのと一緒です。ギウにはそうは見えなかったんでしょうね、憧れのミニョク(真似までしちゃってましたしねえ、恥ずい。)が持ってきた石に何か特別な鍵となる価値を自分で見出し、石に与えていました。その後、石に価値を付加したように、中身の無い自分に見せかけの価値を与える事で、自分が崇高なものになった気分になれたし、実際パク家に認められるという社会的地位さえ手に入れてしまいました。

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結果的に社会的立ち位置をゲット出来たキム一家。石のおかげ??

状況が悪化し、自分の寄り添いどころの石を使って、地下の男グンセを殺そうと(そう見えましたけどねー、自分が貰ったようにグンセにも石をあげようとしたみたいな記事も見ましたが、、、どうですか?)したけれども、返り討ちにされてしまいました。グンセにはただのそこにあった都合の良い石でしか無いわけです。

人も物も所詮は他者に定義つけられた相対的な「価値」をまとって存在いるもので、その境界があやふやになりながら勘違いをし続けているキャラクター達がこの映画の中にはたくさん出てくるように思えました。その引き立て役として”石”が出てきたのかなと、思いました。運命をかき乱す起爆剤としての”石”。

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荒木飛呂彦 著 ジョジョの奇妙な冒険 63巻 第5部エピローグ 
眠れる奴隷より引用 要はこういう事。

まとめ

今回も長くなってしまいました。思うところはあれど、とても楽しめたかなと思います。さらに、2時間という映画を見ることで、ここまで我々に楽しませながらスムースに社会を伝えてくれるという効果も含ませてくれるなんて、やはりすさまじい映画と思います。役者陣の名演があったからこそと思います。

何となく個人的にまだ踏み込めきれていなっかった韓国映画シーンですが、(一時期のお涙頂戴&主人公か片割れのどちらかが病気になっちゃうシリーズが多い印象で、ちょっと敬遠してたんです。)これからさらに深く掘っていくに十分な歯ごたえでした。楽しみです。

いかがでしたか?今回は答え合わせ的な要素としてたくさんの方の考察を見ることができて、それは違う、それはそうだねと新しい意見が溶け込んできて非常に楽しかったです。あーでもないこーでもない語れる映画ってホント楽しいですよね。是非私の感想へご意見お持ちの方は書き綴って頂けると幸いです。

次回は何にしようか。。。

それでは次回にお会いしましょう、さようなら!

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ラストは映画史に残るパワーワード「時計回りがいい!」でシメw。

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