エシカルに行こうぜ

「エシカル」または「エシカル消費」という言葉を聞いたことがないでしょうか。

年々注目が集まっている考え方で、マーケティング的にも……っていう前説はちょっと置いておいて、とにかく『エシカルに行こうぜ!』と言いたい。

(最後のほうで制作関連のお話になるので、ちょっとガマンして読んでみてね。)

エシカルってナニ?

エシカル(ethical)とは、直訳すれば「倫理的な」とか「道徳的に正しい」とかいった意味です。

特に「エシカル消費」といった場合は、「倫理的に正しい商品を買うこと」とか「道徳的に良いものを選んで買いましょうね」みたいなことです。

環境を悪化させる作り方をしている商品ではなく、環境に良い取り組みをしている商品を買おう、とか。
労働者から搾取している商品ではなく、フェアトレード商品を買おう、とか。
そういったことです。

エシカルじゃないのって、気分悪いぜ

映画『ブラッド・ダイヤモンド』は、反政府組織の資金源になっている、いわゆる「紛争ダイヤモンド」が一つのテーマになっていました。
めっちゃ安いダイヤ。お値打ち価格の理由は、武装組織が地域住民を拉致して強制労働させていたから。
あなたが永遠の愛を誓い合った純潔のリングに輝くダイヤは、実は血に濡れているかも……。(※)

また、史上稀に見る1,000人以上が亡くなった労働災害がバングラディシュで起こりました。ビルが倒壊し、それに巻き込まれた方たちが亡くなったのですが、犠牲者の多くは同ビルで服飾関係の仕事に従事している方たちでした。
違法に増設された作業場が悲劇の原因となったわけですが、彼らに仕事を依頼していたファッション系企業たちはそのような劣悪な労働環境を把握していませんでした。
ファストファッションの安さを担うのは、経営努力ではなく、押し付けられた劣悪な労働環境。
あなたがこの夏、ちょっとだけ着てすぐに捨てたその服、実は何人もの未来を奪って作られたものかも……。
しかもこの事件、2013年に起こっており、めっちゃ最近です。遠い国の過去の話ではありません。
やべぇ!

こんな感じなこと、すごくイヤだなーって思います。

エシカルな、倫理的に良い影響を与えている商品を買えたらいいけど、せめて、やべぇモノは買いたくないな、と感じます。

とはいえ、値段とかで選んじゃうよね

まったく同じ品質、あるいはだいたい横並びの品質で、別に安けりゃなんでもいいや。みたいな、こだわりが特にないモノを買うときを考えてみましょう。

A:300円
B:200円
C:100円

同品質で上記の品物があったら、まぁー、Cを買うよね。私はそうです。

A:300円
「環境にとてもいい製法で作りました。未来永劫、この製法で作り続けられます。」

B:200円
「環境のことは特に考えていません。」

C:100円
「環境を積極的に破壊しています。猛毒を垂れ流しながら作っています。」

ここまで言われたら、たぶんCは買わないかなー、と思います。でも、Bを買う人も結構いるんじゃないかな、と思います。

人は損失回避性をもっているため、悪いモノはより悪く評価する半面、良いモノをそれほど高く評価しない傾向があります。上記の補足を示されたうえで、それでもBを買うのは、行動経済学で言うところのプロスペクト理論的に正しい反応です。

でも、現実のラベルはこうです。

A:300円
B:200円
C:100円

素直に、「現地の子供たちを児童労働させて作りました! だいたい3人くらい、機器に指が切断されたので解雇しました! 退職金も労災保険もないので、たぶん野垂れ死んだと思います!」みたいなこと、商品ラベルはもちろん、ホームページとか商品紹介とかに書くわけないですよね。
たとえ、そうだったとしても。

こんな恐ろしい商品かもしれんぞ! お前のそれも!!! 血に染まっておる!!!!
とか、
こんな恐ろしい世界の真実を知らないなんて、無関心だなんて、恥を知れ!!!!
とか、そういうことが言いたいわけではありません。

エシカル消費を取り入れることで、せめて、

A:300円
「環境にとてもいい製法で作りました。」

B:200円
C:100円

↑このようなラベルにして、選択肢を増やしましょう、ということだと思います。

「エシカルのほうが売れる」に対する違和感

「社会的に良いモノを、環境的に良いモノを、人は求めるはず。」
「だから、エシカルな商品にしたほうが、マーケティング的に成功し、売り上げが上がる。」
「エシカルに舵を切ろう!」
そんな論調もあります。

これに対しては、ある意味では正しく、ある意味ではちょっとどうかな? と、思う節があります。

エシカルでないものは、バレたときにバッシングや不買運動が広がります。
とりあえずエシカルにしといたほうが、妙なタイミングで大ダメージを受けたりしない、と思います。そういう意味では、エシカルと売り上げは重要な関係があるといえるでしょう。

でも、エシカルな商品だから爆発的に大ヒット、という例はあまり存じません(私が無知なだけだったら申し訳ありません。あるいは、これからは生まれるかもしれません)。

そしてもう一つ。

売れなかったら、エシカルをやめるんか?

エシカルが売り上げに貢献しないとしたら、エシカルなんかやめて、環境を破壊しまくったり、労働者の人権を無視した扱いをしたりするんか? それで原価を下げて、売り上げを作るんか? ということです。 

「倫理的に正しいこと」って、「普通にやろうよ」と思います。難しいんだろうけどもね。

「今の倫理観」を守りながら、より良く変えていく

でも例えば、宝石商の人たちが紛争ダイヤモンドを積極的に買って、武力抗争を煽っていたわけではないんだと思います。
ファストファッション大手が、ツラい環境にスシ詰めの危険な労働環境で下請けの人たちが働いているのを、ヨシとしたわけではないと思います。
当時の倫理観では、そこまでは考えなくて良かったのかもしれません。

別の例では、私はよく「食肉」を出します。
牛肉の生産は環境負荷が高く、温室効果ガスである二酸化炭素もたくさん排出されます。
あるいは、ほかの生命を囲い、閉じ込めて成長させ、しまいには命を奪って食べるというのは、許されざる残虐行為ではないでしょうか。
冷静に考えれば、我々がウシを食べなきゃいいんですよ。
でも、食べちゃう。
(カルビが好きです。)

全員がウシを食べなきゃ解決する問題がたくさんあるのに、みんな食べちゃう。
(中落ちカルビが大好きです。)

このように、一気に全部を覆してしまうような変化は難しいのです。
今回の例で言うと、「今の倫理観」に照らし合わせて、牛肉食は悪ではないからです。
「未来の倫理観」でどうだとか、当然ながら「過去の倫理観」でどうだとか、そういう話に意味はないのです。

「未来の倫理観では、食肉は良くない!」として、価値観の覆しを試みている人たちはいるけど、まったく成功していません。
急進的すぎるとウザがられるし、「大衆の考え方を変える」ことが大事なのに「大衆に嫌われ」たら、おしまいです。

エシカル消費についても同じ。ちょっとずつですが、倫理観を良い方向に変えつつ、「今の倫理観」を守ること。それしかできないですが、そうやっていくしかないと思います。

個人的な経験でいうと、「毛皮」の例が印象的です。
かつては、毛皮農場で、毛皮をとるためだけに飼育された動物たちがいました。
毛皮だけ剥ぎ取られると、生きたまま捨てられるのだそうです。もちろんそのまま、生き続けられるわけはありません。苦しんで死にます。
すべての毛皮農場がそうだったわけではないのでしょうが、確実にそんな場所もあったはずです。
そのような所業に、「反毛皮団体」が立ち上がりました。
あるとき、私が代々木公園を楽しく散歩していたら、「反毛皮団体」の人たちが、「皮を剥ぎ取られて震える、可哀そうな子ギツネ(だったかな?)」の写真をプリントした服を着て、同じ写真がプリントされた袋か何かを配っていました。

純粋に……グロ画像を晒すな!! ビビったわ!!!

インパクトは大きいですが、そのような手法では、「今の倫理観」を更新することは難しいでしょう。

ですが、少しずつ倫理観は変わっていき、現在では、毛皮を取られるためだけに飼育される動物は相当減ったそうです。
肉は食肉になるため、ムダがありません。
これには、毛皮農場を監視する仕組みも大きく寄与しています。毛皮に関する「今の倫理観」は、かつてから大きく、良い方向に変わったのではないでしょうか。

いずれは、

A:300円
「環境にとてもいい製法で作りました。」(←自主的だが、審査機関の基準をクリアした表示)

B:200円

C:100円
「環境を積極的に破壊しています。猛毒を垂れ流しながら作っています。」(←国の基準により、強制的に付けられる表示)

と、いうように、エシカルなものと、そうでないものを区別する仕組みが「今の倫理観で」できるようになる(と、いいな)と考えています。

我々もエシカルに行こうぜ

私が書いた別のページ、
「文章を書く」ことはハードルが高い。なんてことはない
これ実は、かつては
「文章を書く」ことはハードルが高い。と誤解している方へ
というタイトルでした。

でも、なんか「誤解している方」っていうのが、上から目線でちょっとイヤだなぁーって思いました。タイトルを読んだ人がイヤな気持ちにならないかなぁーって。

このページも「エシカルに行こうぜ」というタイトルですが、別に
「エシカルのエの字も知らねぇクソカスどもが! マーケティングにも使える本来は金を取るような最新のボロ儲け手法だが、特別にタダで教えてやる! 無知で貧乏なゴミのてめぇになぁ!!」というタイトルでも良かったのです。
(あ、どうか怒らないで。実際の著者の心情とは異なることにご留意ください。)

と、いうか、おそらく上記の煽りタイトルのほうが、読者数は多くなるような気がしています。
でも、不快な思いをする人も、より多くなってしまうでしょう。

炎上マーケティング的なこと、私自身がすごく嫌いで目にしたくないので、それを自分でやってしまうのはどうかな……と、思うわけです。

PV数アップとかよりも、誠実さを選ぶ。

こんなふうに『不誠実なことを肯定しない』というのが、エシカル的なコツじゃないかなーと思っています。

いきなり、社会全体の「今の倫理観」は変えられないでしょう。
でも「不誠実なことは、肯定しない。」「自分の手で作るモノは、誠実に。」という姿勢を守っていけたら、少しずつ「今の倫理観」を更新していき、エシカルなことが普通な社会になっていくのではないかと考えています。

何より私は、そんな社会のほうが、生きやすいと思うのですが、どうでしょうか。

それでは、みなさんに良きクリエイターライフと、そしてエシカルな暮らしがあらんことを。

※:2020年現在、流通しているダイヤモンドは、だいたい大丈夫なヤツらしいです。

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